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透明人間たちのひとりごと

ダ・ヴィンチの罠 裁判劇

 1476年のフィレンツェにおける裁判記録に
、レオナルド・ダ・ヴィンチ 他3名の青年が
同性愛の容疑を掛けられるが、放免されたと
いうものがあります。

 17歳のヤコボ・サルタレッリという青年と
の男色行為疑惑で罪に問われたのですが、

 もう少しだけ詳しく書くと、

 1476年4月、当時24歳だったダ・ヴィンチ
は、3人の若者とともに男色の廉(かど)で
訴えられた、この「サルタレッリ事件」
と称される出来事は、訴えられた4人の若者
の中に、ロレンツォ・ディ・メディチに関係
する名家トルナブオーニの子弟がいたことで

   
   ロレンツォ・ディ・メディチ

 メディチ家からの圧力が掛かり無罪放免
になったとされているのですが、

 その2ヶ月後、ダ・ヴィンチは再び匿名
の密告によって同性愛容疑で逮捕されます。

 それは、またもや、

 17歳の金工師ヤコポ・サルタレッリとの
ありもしない関係を云々する告発で、街の
目安箱に密告文が投げ込まれていたのです。

 ダ・ヴィンチに対する露骨な嫌がらせや
彼を貶める意図をもった者の卑劣な謀略で
あったと思われますが、ダ・ヴィンチには
ショッキングな出来事でした。

 こちらもダ・ヴィンチの父セル・ピエロ
が辣腕の公証人であったことから 事なきを
得るわけですが、彼に対する不穏当な噂は
後を絶たなかったとされています。

 

 以来、現代に至るまで、なにかにつけて
同性愛の嫌疑が彼につきまとうのも、この
事件がひとつの根拠となるからですが、

 逮捕されて、たとえ、一時的であっても
牢屋に入れられた恐怖からか、後に、牢屋
から脱出するための道具を発明しています。

   
     マジかよ!?

 ここからは想像であり、推理・考察でも
あるのですが、ダ・ヴィンチの手記にある

「わたしが神様を嬰児として描いたとき、
あなたはわたしを牢屋へと投じた、が、
わたしが神様を大人に描けば、あなたは
もっとひどい目にあわせるにちがいない」

 と記したことと「サルタレッリ事件」
とは決して無縁ではないと考えられます。

 なぜなら、

 この件以外にダ・ヴィンチが投獄された
とする記録(履歴)は確認できないわけで、

 最初に逮捕されたときの取り調べと拘禁
(投獄)の経験が、あまりにも酷いもので
あったがゆえに、ある意図を抱いて描いた
嬰児の姿と「神をも恐れぬ行為」
された男色における冤罪とをダブらせて
綴ったのではないかと思われるのです。

 ある意図をもって描いた嬰児の姿とは、


     『カーネーションの聖母』(1473‐75年)

 『カーネーションの聖母』における赤子の
イエス・キリストです。

 ダ・ヴィンチの手記にがなく、そこに
一片の真実があるとすれば、投獄されたのは
1476年で、それは「サルタレッリ事件」
に他なりません。

 そして、

 1476年以前に描かれていた嬰児といえば、


     『ブノワの聖母』(1475‐78年)

 『ブノワの聖母』と『カーネーションの聖母』
での赤子のほかには可能性がないわけですので、

 「神様を嬰児として描いた」ことで牢屋へと
投じられたとするからには「神」を愚弄し、
蔑(さげす)むような表現や描写をしたことで、
「サルタレッリ事件」に巻き込まれたもの
と、彼が思ったとしても不思議ではありません。

 そして、それに該当する表現があるとすれば、

『カーネーションの聖母』におけるイエス
表情や仕草の他には考えられないわけです。

 この2枚を見比べて、

 
   画像元: renessance.jugem.jp

 すぐに気づくのは光輪の有無です。

 同時期に描かれた絵画であるにも関わらず、
一方には光輪があって、一方にはないのです
から単なる気まぐれの仕業では済まないわけ
で、そこに何らかの意図を感じるのです。

 さらに言えば、

 ここに描かれるイエスには、お世辞にも
可愛くて、愛くるしさを覚えるような表情は
なく、何か異常性を秘めた狂人めいた相貌に
表現されていることです。

 聖母マリアが持つカーネーションでも、

  
 聖母の顔と窓とカーネーション ja.wikipedia.org

 母であるマリアを見つめるでもなく、
瞳は中空を泳ぎ、あらぬ方向へと視線
の定まらない様子のイエスが両手で
懸命に掴もうとしているモノは、

 
  「カーネーションの聖母」部分 

 目には見えないどこか得体のしれない
代物のようですが、


         カーネーションの聖母(部分)livedoor.blogimg.jp 

 イエスの瞳には何かが、あるいは誰かが
見えているような気配です。

 そんな仕草を教会側から追及された場合
のエクスキューズとしては、聖母マリアが
が差し出す赤いカーネーションをイエス
が握ろうとしている瞬間だとでも弁解する
つもりで描いていたのでしょうか?

 腰に巻いた帯は「裁判劇」にまで
発展した『岩窟の聖母』における


     『岩窟の聖母』(ルーブル版)

 聖母マリアの腹帯を想起させる金色で、


   『岩窟の聖母』腹帯(ロンドン版)

 4つの窓から望める切り立った山々は、

 
「カーネーションの聖母」窓の部分 livedoor.jp

 『聖アンナと聖母子』の背景にある山々
との類似性を彷彿させ、
 

 『岩窟の聖母』での大きな岩石や

 


          画像元: sumiremainte.jugem.jp

 尖った岩の山や岩礁などを連想させます。

      
カーネーションの聖母(窓の外の景色部分) ja.wikipedia.org

 さらに、 

 『カーネーションの聖母』での4つの窓は、
『最後の晩餐』の3つの窓と『リッタの聖母』
の2つの窓や『ブノワの聖母』における1つの
窓との関連性を匂わせています。


『ブノワの聖母』  『リッタの聖母』   『最後の晩餐』  『カーネーションの聖母』

 そして、なによりも、

 聖なる人々に冠される光輪を描いた最後
の作品である『ブノワの聖母』と、

 描くことをしなくなった最初の作品である 
『カーネーションの聖母』との対比です。

 これらの絵からは、ダ・ヴィンチの仕組んだ
「罠」に通じる伏線的な要素や萌芽の兆し
がいくつも見つかるのです。

 その一部については、

ダ・ヴィンチの罠 砂漠化 - 透明人間たちのひとりごと

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 『ダ・ヴィンチの罠 砂漠化』

 での記事における解説にもあるように、

 
『ブノワの聖母』 窓部分 smartomaizu.com  『リッタの聖母』 窓部分 smartomaizu.com

 『カーネーションの聖母』を除く、上の
2枚の聖母子像は、聖母マリアとイエスが
モデルではないのです。

  
           

 では、その解説部分を再現してみましょう。

   ★★ 以下、引用 ★★

 なぜならば、彼にとっての救世主(メシア)
はイエス・キリストではなく、洗礼者ヨハネ
だったからです。

 それが、

 『モナ・リザ』の絵画に隠されて
いる4つの生き物に象徴される「黙示録」
「罠」なのです。


   『黙示録』における4つの生き物の隠し絵

 同様に、

 『モナ・リザ』には、異星人を思わせる
異形なる姿も隠されていました。


   『モナ・リザ』に出現した異形なる人物

 さて、彼、あるいは、彼らが、

 異星人であるとすれば、当然のことに彼らは
何らかの飛行物体によって飛来したはずで、

 それを意図するものが、窓が描かれた4つの
作品に暗示される窓の数の増減に伴う外の景色
が示す変化なのですが、


『ブノワの聖母』  『リッタの聖母』   『最後の晩餐』  『カーネーションの聖母』

 窓の数が1~4に増えていくのに従って、
外の景色が徐々に上空から地上に近づいて
きていることが分かると思います。

 
『ブノワの聖母』 窓部分 smartomaizu.com  『リッタの聖母』 窓部分 smartomaizu.com


    『最後の晩餐』 窓の部分     『カーネーションの聖母』 窓の部分

 これも「罠」の伏線ひとつなのですが、

 窓の数が「罠」を紐解くカギとしての  
ヒントになっているとすれば、

 【窓の数】による「4」の編成、

 ① 『ブノワの聖母』 
 ② 『リッタの聖母』 
 ③ 『最後の晩餐』  
 ④ 『カーネーションの聖母』

 での聖母子のモデルは、それぞれに、

 ① 『ブノワの聖母』における聖母子は
エリサベツと赤子の洗礼者ヨハネであり、

  
      『ブノワの聖母』jfruits.com

 ② 『リッタの聖母』における聖母子は
ダ・ヴィンチの母であるカテリーナと赤ん坊
のレオナルド・ダ・ヴィンチであり、

 
           『リッタの聖母』

 ③ 『最後の晩餐』の使徒ヨハネには
マグダラのマリアと彼女のお腹の中に
いるイエスの子が投影されていて、

最後の晩餐 - ヨハネとキリスト
          『最後の晩餐』部分 amazing-trip.xyz

 ④ 『カーネーションの聖母』の聖母子 
がマリアと赤子のイエスになるわけです。

  
        『カーネーションの聖母』

 こうした母と赤子の組み合わせの違いは
「罠」が計画された当初からのもので、

 「十分に終わりのことを考えよ。
    まず最初に終わりを考慮せよ」

   (レオナルド・ダ・ヴィンチ)

 と綴った彼自身の言葉にもあるように
ダ・ヴィンチは最初からこのことを考慮
に入れていたと思われてなりません。

 次に、それぞれの絵画における母子の
設定(モデルイメージ)の違いについて
の解説に入ります。

 ① 『ブノワの聖母』の設定モデルは、

 

 祭司ザカリヤの妻エリサベツと赤子の
洗礼者ヨハネです。

 前述したように、

 ダ・ヴィンチにとって救世主(メシア)
とはイエスではなく、ヨハネ・キリスト
なのです。

 当然のことながら、光輪を描く対象は
彼らをおいてほかには存在しません。

 ここで、聖母マリアとされている女性
に注目して欲しいのですが、彼女は何歳
に見えますか❓

 彼女がマリアだとすれば、15~16歳の
少女のはずですが、小生にはシワはない
ものの額から前頭部にかけてのオデコの
広がりは少女のそれよりも中年から老年
のご婦人の相貌だし、目元や口許からも
はち切れんばかりの若さを感じません。

 

 眉毛も薄く、首筋からは老いを感じて
しまいますし、服の色も暗く地味です。

 それに比べて、『リッタの聖母』での
カテリーナや『カーネーションの聖母』
のマリアには、聖母のアトリビュートの
一つである赤色(慈愛)が配されている
のが見て取れます。

 一見すると、幼さの残る少女のような
描かれ方をしていますが、そこに「罠」
が仕掛けられているわけで、それを見抜く
ことによって「罠」の全体像が掴めて
くるのです。

 母エリサベツが差し出す四枚の花びらを
もつ小さな白い花に幼いヨハネは興味津々
といった表情で手を伸ばしていますが、

 これが、ダ・ヴィンチの作品内における
「4」の編成や構成につながる婉曲な暗示
(ヒント)になっています。

 ② 『リッタの聖母』での設定モデルは、

  

 ダ・ヴィンチの実母であるカテリーナと
幼いレオナルド・ダ・ヴィンチです。

 大きな特徴は、乳首にかぶりつく仕草に
「どうだ」と言わんばかりの目でこちらを
挑発するかの如くに視線を送る彼の姿です。

 ここでは、

 拭い難い幼少期の拙い記憶がドリップ
したコーヒーのように抽出されています。

 所謂ところの「ハゲワシ事件」です。

 レオナルド・ダ・ヴィンチにとっての
幼少期における忘れ難い記憶として、

 
     記憶 cocoiro.me

 ハゲワシが空から舞い降りて来て、ベッドで
寝ている彼の口もとを その尾で何度も何度も
打ち据えるという話と、

 

 山野を散策中に洞穴(洞窟)を見つけて、
その中に潜んでいるかもしれない化け物に
怯えながらも穴の中がどうなっているのか
という好奇心で一杯になってしまった。

 
       画像元:takashi1016.com 

 とする出来事を彼は手記に綴っています。

 プライベートな事柄には無関心でほとんど
触れることのない個人的問題をダ・ヴィンチ
がわざわざ記録に残しているということは、


       神秘体験イメージ (知覚の扉)karapaia.com

 余程のインパクトや強烈な印象を受けた
出来事が起こったからに他なりません。

 symbol2 「ハゲワシ」(手記ではハゲタカ)
の詳しい記憶については、

 『ダ・ヴィンチの罠 砂漠化』

 を参照してみてください。

 さて、

 ルネサンス以前の画家たちは、芸術家と
いうよりは職人であって、自分の好き勝手
に絵を描いていたわけではなく、教会など
「クライアント」からの注文によって作品
を制作していました。

 ダ・ヴィンチの場合も、クライアントで
ある信心会から「何をどのように描くのか」
という詳細な仕様書が手渡されていました。

 「仕様書」の内容については、

ダ・ヴィンチの罠 仕様書 - 透明人間たちのひとりごと

ダ・ヴィンチの罠 仕様書 - 透明人間たちのひとりごと

レオナルド・ダ・ヴィンチの作品の中でも『岩窟の聖母』は「謎」の多い絵画ですが、謎めいた作品というよりは、むしろ彼が仕組んだ「罠」の見本のような存在であるとするほ...

goo blog

 

 『ダ・ヴィンチの罠 仕様書』

 を参考にしてみてください。  

 しかし、

 ダ・ヴィンチは依頼主の求めに応じずに
一般的な描き方ではなく、彼の独断による
「罠」の仕込みを極秘裏に共同作業者で
あるプレディス兄弟にも覚られないように
描き始めたのでした。

 絵画論的に言えば、

 「写実的かつ科学的に罠を描写する」と
いう当時ではあり得なかった方法をもって
『岩窟の聖母』を描いたのです。

 「絵画=宗教画」であった時代において
画家たちは、聖人をあえて無表情で動きの
少ない状態でのポーズで描いていました。

 生身の人間のように自然な表情や動きの
ある仕草などを表現することは禁じられて
いたのかどうかは不明ですが、

 一方においては現実に存在しないはずの
「光輪」や「後光」などを描いています。

 しかるに、

 ここでは、イエス・キリストや聖母には
欠かせないとされていた「光輪」を描いて
おらず、登場人物たちを現実にいるような
人間として表現しています。

 ほかにも、「仕様書」を完全に無視した
人物構成や構図を採用しているがために、

 クライアントであった信心会はこの作品
の受け入れを拒み、「裁判劇」にまで
発展するわけで、裁判沙汰になったという
事実がそのことを如実に物語っています。


           裁判劇のイメージ  ddnavi.com

 ★ 以下は、斎藤泰弘氏によるPDFから
 適宜に引用・構成した内容になります。

 『岩窟の聖母』事件のそもそも
の発端は、あるフランチェスコ会の説教師
が1475年の四匂節の期間においてミラノの
サン・フランチェスコ教会で行なった説教
で、聖母マリアの無原罪の御宿りに捧げら
れた礼拝堂と、それを維持するための同名
の信心会の設立を聴衆に対して呼びかけた
ときに遡ります。

 ところで、

 「聖母マリアの無原罪の御宿り」の教義
ですが、これはイエス・キリストの御宿り
を指すものではありません。

 イエス・キリストは神の子であり、精霊
の力によって処女マリアの胎内に宿ったの
ですから、当然のことに原罪に染まること
はありえないわけです。

 そこで、

 問題となるのは、父ヨアキムと母アンナ
の子であるマリアが母の胎内に宿った時に
どうであったのかということです。

 全人類はすべてアダムの原罪を遺伝的に
受け継いでいるわけですが、そうであると
すると、神の母も他の人間と同様に原罪の
内に宿ったのか?

 それとも、彼女だけは唯一の例外として
原罪を免れていたのか?

 聖母と原罪とをめぐる論争は、 12世紀に
聖ベルナルドによって、華々しくも火蓋が
切られ、その後、原罪派はドメニコ会を核
に、無原罪派はフランチェスコ会の周囲に
結集をして、一般信徒を巻き込んだ激しい
論戦とプロパガンダが繰り広げられること
になります。

 そして、


 大礼服に身を包んだ教皇ピウス9世 www.meisterdrucke.jp

 この論争は1854年にピウス九世が聖母の
無原罪の御宿りをカトリックの教義として
宣言することによって漸く決着するのです
が、この 7世紀にも及ぶ激しい論争史には
いくつかの大きな節目があるのです。

 そんな中でも無原罪派が優勢となる転機
になったのは、1471年のシクストゥス四世
の教皇登位です。

  
シクストゥス4世 cesareborgia.html.xdomain.jp

 聖母に深く婦依していたフランチェスコ会
出身の教皇は,矢継ぎ早に無原罪派に肩入れ
する施策を行ない、1476年には聖母の御宿り
の日を教会公認の祝日として定め、そのため
のミサと聖務日課を承認します。

 こうした教皇の党派的な態度が、それまで
優勢を誇って来た原罪派にとって不当な介入
と映ったのは当然であり、ミラノにおいても
ドメニコ会は猛反撃を開始します。


       サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会(修道院)

 とりわけ彼らの拠点でもあるミラノにある
サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ修道院
の院長であるヴインチェンツォ・パンデッロ
は、1475年に、『聖母マリアの御宿りの真実
についての権威者たちの証言集』を出版して
、無原罪派の主張がいかに教会の権威たちの 
教えから外れたものかを説いて、その思想の
異端性を糾弾します。

 このようなドメニコ会からの反撃に対する
フランチェスコ会の返答のひとつが、最初に
述べた同年の四匂節での聖母の宿り信心会の
設立と礼拝堂の建立だったのです。

       ー 以上 ー

 訴訟記録に基づいた「岩窟の聖母」事件
の再検証(その前史から1506年の裁定まで)

 から適宜に引用・構成いたしました。


          裁判劇のイメージ mi-ej.com

 ここに登場するイタリアはミラノにある
サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会
(修道院)の食堂の壁に描かれているのが

 かの有名な『最後の晩餐』です。

 そんな傑作を手掛けるひと昔以上も前に
『岩窟の聖母』における「裁判劇」
始まっていたのです。

 無原罪派の中心であるフランチェスコ会
との「裁判劇」は、対立する原罪派の
牙城にも等しいドメニコ会の修道院の食堂
の壁でも起こっていたのです。


            「最後の晩餐」構図1 art-ey.com

 『最後の晩餐』における人物の配置

       「最後の晩餐」一点透視図法の消失点 artflow-jp.com

 や構図などの研究による分析結果から

 『最後の晩餐』でのイエスの言葉は
ユダに対する「裁判劇」のそれではなく、


            「最後の晩餐」構図2 art-ey.com

 「裏切者はわたしなのだ」という

  

 イエス自身の出自告白だと考えても



 辻褄は合うし、構図的にも不自然でないと
いうことに気付きます。

 ここに両者に通底する因縁めいた不思議な
縁(えにし)を感じずにはいられないのです。

「裁判劇」に交差する〝縁起〟の妙
なのかもしれません。

      
 ところで、

 「裁判劇」というタイトルから、

 「When(いつ)」、「Where(どこで)」

   
  「Who(だれが)」、「What(なにを)」

 
  「Why(なぜ)」、「How(どのように)」

  と、推理小説のような展開になることを
期待しておったんじゃが ・・・

  
   「当てが外れたようじゃのぅ」

 期待外れと言えば、今回、またしても、

 
    『Lilith』 ジョン・コリア 作

 ● リリスの登場場面がありませんでした。

 
 次回以降のどこかの時点での出演機会を待ちしましょう!


『岩窟の聖母』部分(ヨハネとウリエル & イエスとガブリエル)amablo.jp

「な、なんじゃこりゃ」


   『岩窟の聖母』ロンドン版に仕掛けられているイエス出生の罠
 

 

  … to be continued !!

コメント一覧

小吉
そういえば昔「写真があるんだから絵なんていらないじゃん、無価値だ」と思ってた時期があるんだけど、こういう風に絵に込められた「メッセージ」を読み取っていくと、絵画というものは写真以上に、あるいは言語以上に人々に訴えかけてくるものがあるものなんだな、と、目からうろこがでました。

宗教のこととか歴史のこととか、あるいは聖書のことを知らなければ、それはただの「絵の具を塗りたくったもの」でしかないけれど、背景を知ると絵画の奥深さがよくわかります。
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