今年も1年前と同じ、残り「3分」からのスタートでした。
カップ麺の出来上がりを待っているのではありません。
地球滅亡までの残り時間(タイム・リミット)を視覚的
な概念としてカウントダウンする「終末時計」
が示す針の行方です。
<終末時計>
核戦争や地球温暖化などで地球が滅亡
の危機に瀕していることを訴える目的で原爆の開発
に関わった科学者たちが1947年に科学誌に掲載したことが
キッカケで始まり、以後米誌が管理し毎年発表しています。
これまでの最大危機は米ソ両国が共に水爆の実験に
成功した1953年の「2分」前で最も遠ざかっていたのは
1991年の「17分」です。
この年には、ソ連の崩壊という大事件があった
からですが、ロシアのプーチン大統領は、そのソ連時代の
ような強いロシアを標榜しているようで 時計の針が後戻り
するのは当分の間、期待できそうもないと思っていたら、
ここに来て、オバマ米大統領のヒロシマ訪問の話が俄かに
湧き上がってきたのです。
「核なき世界」を追究すると声高らかに宣言した
プラハ演説からすでに7年が経過し、米大統領として
の最後の年に合わせてレガシー(政治的遺産)づくりを
画策したものであることは明白であっても、実際に核兵器を
使用した唯一の国家としての道義的責任のみならず、その
実相を知ることで加害責任と核兵器の「非人道性」を
アピールすることになれば、停滞する核軍縮への呼び水と
なることが期待でき、これ以上のことはないのですが ・・・
それでは、
唐突にもここで 「なぞなぞ」です
「時間的には過去と未来の間にあって、現在の何もの
をも所有せず、全体に等しい部分と部分に等しい全体を
持ち、分割できないものと割り切ることができて、割っても
掛けても、足しても引いても、同じ量になるもの」
・・・ って、なあ~んだ
これはある事柄についてダ・ヴィンチが語った言葉を
要約したものですが、何についての話でしょうか
たとえば、その答えに近いものとしてエネルギーが
考えられます。
熱力学第一法則(エネルギー保存の法則)です。
しかし、「時間的には過去と未来の間にある」という表現
に合致しないと反論されるかもしれません。
ならば、鴨長明が書いた『方丈記』の冒頭の、
「ゆく河の流れは絶えずして、
しかも、もとの水にあらず」
… ということで「川の流れ」ではどうでしょうか
「川の中ではあなたが触れる水が
一番最後に過ぎ去ったものであり、
また、一番最初に来るものである。
現在という時も同じである」
(レオナルド・ダ・ヴィンチ)
彼自身もこのように言っていることですし、これはかなり
「正解」に近づいたかも ・・・
ですが、「現在の何ものも所有せず」が引っ掛かります。
わざわざ「現在」と断わっている以上、過去や未来での
所有は認めるということなのでしょうか
とにかくも、
この「なぞなぞ」の 「答え」はダ・ヴィンチが、
「偉大なことの中でも、最も素晴らしいもの」
であるとした「無」なる存在のことなのですが ・・・
「無」とは言っても何もないゼロ(零)という意味での
「無」とは明らかに趣きが違い、仏教で言う「空」
の概念に近いもののような気がします。
数学的にもゼロだと割ることはできませんしね
ダ・ヴィンチの思う「無」とは、
「固定された物質的な存在などはなく、すべては変化して
実体のない状態」のこと ・・・
水に例えれば、ある時は水(液体)、ある時は氷(固体)
や水蒸気(気体)のようにその時々で姿かたちを変える
物質としてではなく、H(水素原子)とO(酸素原子)が組み
合わされて“H2O”を構成する以前の元素としての状態
を指して「無」と言ったのだと思われます。
目に見える物質 「色」(しき)に対する目に見えない
元素 「空」(くう) 「無」ということなのでしょう。
それは、
原子という素材が無秩序に渾然となって存在
しているが、実体としては何もない「無」の状態です。
要は、
ダ・ヴィンチが“カオス”として表現した世界が
『東方三博士の礼拝』(マギの礼拝)であると、
『ダ・ヴィンチの罠 摩天楼』に書きましたが
http://sun.ap.teacup.com/japan-aid/461.html
まさにそれが、 ビッグバン(宇宙開闢)以前の
「無」の状態を表現しているのです。
この作品はダ・ヴィンチによる一連の「罠」のスタート
(最初のアルファ)であるだけでなく、予測が不可能
な極小の原子の世界 現代的には「量子力学」
が扱う範疇をもイメージしているように感じられます。
すなわち、
人物や馬などが無秩序に混在する前面に対し背景では
異国風の建物(アーチ・階段)に奥行きのある自然を配し、
いかにも東方の雰囲気と広がりのある地平面を演出して
いますが、これらはすべて異次元や別世界の表現であり、
ここから「罠」が始まるという合図(シグナル)です。
しかし、
目に見えない「無」の世界を絵画で表現することは、
天才ダ・ヴィンチの筆をもってしても困難で、混沌とする
極小世界を人物のひとりひとりや動植物、あるいは鉱物
のそれぞれに見立てて、素粒子(電子・陽子・中性子)
や原子を表現してみせたのかもしれません
そうは言っても、正直なところ、
ダ・ヴィンチにそうした量子論的な知識があった
とは到底のことに考えられませんし、
ひとりダ・ヴィンチが慧眼で真理を見抜く孤高の
存在であったなどと言うつもりも毛頭ありませんが、
ただ、
『東方三博士の礼拝』が「量子力学」を
あらわし、それと相容れないアインシュタインの
「一般相対性理論」が導いたブラックホール理論
(重力の法則)を『洗礼者聖ヨハネ』が代弁して
いると考えると、この一連の「罠」の仕組みが、
実にシックリと腑に落ちてくるというわけです
なぜなら、
若きダ・ヴィンチと思われる右端の人物はフレームの外に
いる何者かと話をしているように見えますが、それだけでも
時間と空間を超越していることを鑑賞者に暗示している
わけで、この絵がビッグバン以前のカオス(混沌)
を描いたとすれば、枠外は異次元や時間的に違う異空間、
つまり、
我々が存在している時空(未来)との対話を暗示し、
それを希求するものであったということになるのです。
そこに、
ダ・ヴィンチの真実の一端と「罠」の構造が
垣間見られるわけですが、
結局のところ、何がどうなるのか、当のダ・ヴィンチ自身
にも見当がつかなかったのですから、型通りの完成作品
として『東方三博士の礼拝』を仕上げるわけ
にはいかなかったのです。
さて、
「ビッグバン理論」によれば、宇宙は時間と空間
の区別がつかない一種の「無」の状態(特異点)から
忽然と誕生し、爆発的に膨張してきたとされています。
出典:blogs.yahoo.co.jp
およそ138億年前に生じたこの出来事はアインシュタイン
の「相対性理論」によって示唆されていたこともあり
、現時点ではほぼ定説となっています。
出典:ameblo.jp
この「無」とされるビッグバンの特異点では、
時間と空間はもちろん、物質も質量も元素も原子もなにも
なかったと考えられていますが、ダ・ヴィンチの「無」は
「空」ですから、混沌のなかにありとあらゆる素材
が詰め込まれていたことになります。
出典:blog.livedoor.jp
ちなみに、
標準理論では、ビッグバンによって誕生した宇宙が
急激なる膨張をする中で真空が相転位(相転移)を起こし、
物質化したものがヒッグス場と相互作用をすることで質量
その他を獲得したものとされています。
ところで、
ブラックホールにも特異点がありますよね。
出典:NASA/JPL-Caltech
ブラックホールの特異点とは重力が無限大で、大きさは
無限小といった、超を何個つけ足しても追いつかないほど
の超、超、超、超、高密度な場所ですが ・・・
いわゆる、一般相対性理論が破綻するポイントです。
この特異点は重力が無限大で大きさは無限小という
ことですが、量子論的な効果を持ち出したとしても、本当に
空間が無限小などという状態が存在するのかどうか
それならば、いっそのこと『洗礼者聖ヨハネ』が
妖しく微笑みながら天を指さすその指の先にこそ
すべてを飲み込む巨大なるブラックホールの
「特異点」があるとした方がコトはスッキリとします。
かなり突飛で飛躍の度を超す発想ですが、正確なことは
誰にもわかりませんので言った者の勝ちでしょう
つまり、
最終的にはすべてがひとつ(ただ一点)に凝縮
されて、「無」となり「空」となるわけです。
そんな世迷いごともダ・ヴィンチならば決してあり得ない
話ではないと思わせてしまうのが彼の真骨頂ですが、
次回では、その辺りのことをもう少しだけ穿(ほじく)って
みたいと思っています。
太陽系の惑星軌道
太陽系の惑星
銀河系(天の川銀河)と太陽系の位置
それにしても、
原子の惑星モデルと太陽系の惑星
「ミクロの世界とマクロの世界は
そっくりそのままじゃのう」
「“ミ”と“マ”の違いだけですから」
なるほど
… to be continue !!
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