… と、ついさっきまで懇願していたのがまるで嘘のように
雨は止み暗雲は消え去り、陽光が射してきたのです。
思えばそれが一昨々日のことで、一昨日には気象庁が
県内を含む東海地方が梅雨明けしたとみられると発表 …
いつなんどきに、突如として何処で襲われるかも予測が
つかないような集中豪雨を「ゲリラ豪雨」とは、よくも
まあ命名したものだと感心しますが、
<神は「光あれ」と言われた。
すると光があった>
ザーザーと大きな音を立てていた雨が、一転してキラキラ
輝きながら降り注がれる太陽の光となって地表に降り立つ、
まさに、そんなイメージの急転直下の …
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… とでも名付けましょうか
いやいや、
「台風一過」 に倣(なら)った「豪雨一過」 の
青空 としたほうがもっとずっと分かりやすい状況だと
思うわけなのですが …
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さて、
前回の 『神よ、傘を与えたまえ!』 では
日本最古の 「ヨハネによる福音書」 の和訳に
関する記述を紙幅の関係から割愛したのですが、
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実は、今回のエントリーは輪番制の順番では、5号が
担当をするはずだったのです。
ところが、割愛した聖書翻訳(和訳)に至るまでの物語に
興味と関心を示した5号から続きを書くように催促された
関係で、こうして2回連続で2号が記事を受け持つことに
なったという次第なのです。
まあまあ、そんな経緯(いきさつ)があったわけですが、
オランダ人宣教師ギュツラフと尾張国は知多半島小野浦
出身の3人の水夫の話を始める前に翻訳された日本での
最古となる「ヨハネによる福音書」の冒頭部分
を紹介(引用)します。
<ハジマリニ カシコイモノゴザル、 コノカシコイモノ
ゴクラクトトモニゴザル、コノカシコイモノハゴクラク。
ハジマリニ コノカシコイモノ ゴクラクトトモニゴザル>
それは、こんな感じの書き出しで始まっているのですが、
一般的な現代版も載せておきましょうね
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<初めに言葉があった。 言葉は神と共にあった。
言葉は神であった。この言葉は初めに神と共にあった>
つづいて、
<すべてのものは、これによってできた。 できたものの
うち、ひとつとしてこれによらぬものはものはなかった>
さらに、
<この言葉に命があった。 この命は人の光であった。
光は闇のなかで輝いている。 闇は光に勝たなかった>
創世記1章1節では
「初めに神は天と地を創造された」という
ように極めて簡素にして力強い宣言をするわけですが
、この場合の「初めに創造された天と地」と
ヨハネが伝える「初めにあった言葉」 とは、一体
全体どういう関係になるというのでしょうか
どちらの「初め」が最初の最初なのか
頭がこんがらがってしまいそうですが、まずは天保3年
(1832年)に舞台を移すことにしましょう。
――
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14人の船乗りを乗せた尾張国は小野浦の千石船が嵐に
あって漂流します。
1年と2カ月におよぶ長い漂流のうえ、帆柱も舵も失った
宝順丸は、カナダの西岸にあるクイーン・シャーロット島に
漂着します。
11人が死んで、残ったのはわずかに3人でした
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この3人はインディアンに捕らえられて酷使されるわけ
ですが、うわさを聞いたイギリス商船が、哀れに思い3人
の水夫を助け出します。
そして、はるか南アメリカのマゼラン海峡を経てロンドン
に連れて行ったのです。
日本人でロンドンに上陸したのは、この3人が初めてで
あるといわれていますが …
その後この3人は、アフリカの喜望峰を経て、マカオまで
送られ、そこでギュツラフという宣教師に託されます。
ギュツラフは20何カ国の言葉を操る語学の天才で、彼は
すでに英和・和英辞典を持っていたのです。
この3人から日本語を学んだギュツラフは、やがて3人を
相手に、初めてとなる福音書の和訳を成し遂げるのです。
福音書の和訳という大業を手伝った3人は、何年も夢に
見た故郷に帰ることになり、モリソン号という船で故国日本
に向かいます。
懐かしの日本を目前にした時の3人の喜びはいかばかり
だったのだろうか、しかし、当時の日本はまだ鎖国政策の
只中にあり、はるばる3人を送ってきたモリソン号を幕府は
異国船打ち払い令によって追い払ってしまったのです
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― 以上 ―
KAPPA BOOKS『新約聖書入門』 三浦綾子著
(光文社)を参考に引用及び加筆アレンジを加えました。
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結局のところ、泣く泣く3人はマカオに戻るしかなかった
わけですが、世界一周を日本人で初めて成し遂げたのも
おそらくはこの3人だったのでしょうね
さて、さて、
前述の最初の最初は「天と地」だったのか
それとも「言葉」であったのか … ですが、
創世記はモーセを通して地球上の人間の視点で語られて
いますので、宇宙の始まりや地球の誕生には無頓着です。
ですから、
「初めに神は天と地を創造された」
とあっさり宣告するわけです。
つまり、
宇宙も地球も創造の日が始まるずっと以前から
そこに存在していたということです。
あくまでも地球という星における創造の日の出来事
(創世記1章3節以降)と天と地の創造(創世記1章1節)は
まったく別の事柄なのです。
<神は「光あれ」と言われた。すると光があった。(中略)
次いで神は言われた「水の間に大空が生じ、水と水とを
分けよ」そのようになった。(中略)次いで神は言われた、
「天の下の水は一つのところに集められて、乾いた陸地
が現われよ」そのようになった>
こうして大空を“天”と呼び、乾いた陸地を“地”と呼ん
だのですが、空に浮かぶ水蒸気である雲も天の上の水 と
してその存在が示されているわけです。
このようにして
神の言葉によって天地創造がなされる以前から
神により創造された「天」と「地」
![right](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/ap/right.png)
はすでにこの世界に存在していたということなのです。
それでは、ヨハネの言う「初めに言葉ありき」の
「初め」とはいつのことでしょうか
文語訳では「太初(はじめ)」ですから、宇宙が
創られるずっと以前のその先の先の先 … なのかも
では、肝心の「言葉」とは、なんでしょうか
神と共にあって、神でもあったモノ、そして万物は
これによってできたとされるモノ …
真理・知恵・知性・叡智・力・エネルギー
この中では、叡智とエネルギーをミックスした
力(パワー)がもっともそれ近いという感じがしますね
そもそもが、
「言葉」という訳がよくない。 誤解されるもとだし、
江戸時代の「カシコイモノ」のほうが訳としては素朴
で理解しやすく断然に優れていると思われます
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上記したヨハネによる福音書の下線部から判断すると、
「言葉」は「元素」と置き換えてもかまわないような
気もしますが、やはり、組成としての元素をもつくりだした
神であって神ではない「カシコイモノ」
に優(まさ)る和訳はないような気がしますが …
![peace](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/ap/peace.png)
ところで、
あの天保時代、寺子屋にもろくに通えずに、書物らしい
書物も読まなかったであろうと思われる3人の水夫たちが
、深遠なる「ロゴス」をどのようにして訳したのだろうか
と思いを馳せると「カシコイモノ」という訳語に
辿り着いたことは奇跡の偶然があったとしか思えません。
それから180年の時を隔てて、民間航空機がミサイルで
打ち落とされ、旧約聖書の約束の地では今もロケット弾が
飛び交い地上戦が活発化している始末です。
「オオカミよ !!」
基、もとい、本居、モトイ、元意
おお、神よ !!
「カシコクナイモノタチ
イマダ ココニゴザル」
![ase2](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/ap/ase2.png)