「目は口ほどに物を言う」だけでなく、上手に
嘘までつけるようで、「僕はこの眼で嘘をつく」
というヒット曲のなかで、
「推理小説を最後からめくれるような筈はない」
と歌ったのはチャゲ&飛鳥でしたが、手品のタネを暴くよう
に推理小説を最後のページから“たねあかし”する倒叙
(とうじょ)的なトリックで我々を騙そうと画策したのが
ミラノのサンタ・マリア・デッラ・グラツィエ教会の食堂の壁に
描いた『最後の晩餐』(1495年-1498年)です。
たとえば、サスペンスドラマで最初から犯人がわかって
いるような『刑事コロンボ』や『古畑任三郎』方式のモノを
推理小説では倒叙物(とうじょもの)と呼ぶようで、時間を
現時点から過去に遡るかたちで犯行の動機やトリックを
見破り、アリバイを崩していくタイプのストーリーです。
心理的に揺さぶりをかけられた犯人が、プレッシャーに
負けて思わずボロを出してしまうというのが、お決まりの
パターンで、時たま犯人に妙なシンパシーを覚えてしまい、
応援したくなることもある困った物語構成になっていますが
舞台演出家でもあったダ・ヴィンチは、500年以上も昔に
、この手法を用いて罠を仕掛けたのです。
むろん、そこには現代の科学技術の進歩を見通しての
緻密な計算に基づいてのことですが …
そして、この『最後の晩餐』こそが、熟考に熟考を
重ね練りに練られたアイデアを駆使して仕上げられた
『ダ・ヴィンチの罠』のクライマックスなのです。
罠の封印を解く鍵のほとんどは、『最後の晩餐』
の完成後に制作された作品に隠されましたが、いくつかの
鍵については、それ以前の作品にも散見されます。
事実上のデビュー作となる『受胎告知』やミラノへ
旅立つためにフィレンツェに残していった未完のままの
『東方三博士の礼拝』、裁判沙汰にまでなった
『岩窟の聖母』などに、罠の種や罠の萌芽を
思わせる描写や痕跡がみつかることは、このシリーズ
『ダ・ヴィンチの罠』の初期のページにて、すでに
紹介済みですが …
http://sun.ap.teacup.com/japan-aid/403.html
それらは鍵といっても鍵をみつけるための鍵の入った
箱を開けるのに必要となる鍵、言わば、ヒントや前提
のようなもので、「鍵の鍵の鍵」でしかありません。
『ダ・ヴィンチの罠 鍵の鍵』以降のページで
解説を試みたように、
http://sun.ap.teacup.com/japan-aid/414.html
このダ・ヴィンチの巧妙な罠を解く鍵の鍵のひとつ
が『モナ・リザ』の左右の目にあると教えてくれたのが
、「仮説」のために準備した「合成・合体画像」
での聖ヨハネが指し示す指先で、その方向には妖しい微笑
をたたえた『モナ・リザ』のモデルがすべてを見通して
いるかのように佇(たたず)んでいるわけです。
まるで
「わたしはこの眼で嘘をつく」
と言わんばかりの微笑みを浮べて …
ところで、
大人からみれば、ダ・ヴィンチは、よく嘘をつく少年だった
のだろうと思われるのです。
否、日常的に頻繁に嘘をつきまくるイソップ童話での
「オオカミ少年」のような子供に違いないのです。
もちろん、
動機は「オオカミ少年」のそれとは違い、おそらく
は夢と現実が混在して、「嘘をついている」という意識など
本人にはまったくないし、嘘というものが何なのかも多分
わかっていなかったのだと思うのです。
勘違いや思い込みのほかにも、印象的な他者の行為や
行動が、あたかも自分自身の経験のように錯覚してしまう
こともしばしば起こり、想像や理想や夢や希望が渾然一体
と化した「妄想」が常態化していたようなイメージです。
だからと言って「オオカミ少年」が嘘つきの確信犯
で、ダ・ヴィンチ少年は冤罪で無罪 なのだというつもり
などは毛頭もありません。
それは、
「オオカミ少年」も冤罪だと思っているからです。
当ブログ内の『オオカミ少年の物語』の記事
<1>~<11>に冤罪とする根拠が書かれていますので、
興味のある方は下記URL以下を参照してみてください。
http://sun.ap.teacup.com/japan-aid/223.html
その他にも、
タイトルに嘘が入る記事をいくつかエントリーしています
ので、時間があったら覘(のぞ)いてみてやってください。
『いろいろな色の嘘』
http://sun.ap.teacup.com/japan-aid/146.html
『嘘、うそ、ウソの話』
http://sun.ap.teacup.com/japan-aid/149.html
『無意味な嘘』
http://sun.ap.teacup.com/japan-aid/152.html
さて、
話が大きく横道に逸れてしまいそうですので、急いで
軌道修正して、『モナ・リザ』の瞳の奥に隠されて
いるという鍵の正体にロックオンすることとします。
美術史家であり、イタリア文化遺産協会の会長で研究者
でもあるシルバーノ・ヴィンチェッティ(Silvano Vinceti)氏が
『モナ・リザ』をスキャン(超高解像度の写真分析)を
したところ、謎の微笑を演出する瞳の中から秘密の暗号
が見つかり、「モナリザの正体、判明か」と
世界中を騒然とさせたのが5年前(2010年)のことでした。
氏によると、緑ががった茶色いモナリザの右目(瞳)には
黒い絵の具で「LV」という文字が書かれていて、これは
間違いなく 「レオナルド・ダ・ヴィンチ」 のイニシャルである
としています。
さらに興味深いことは、左目にはアルファベットの「B」
または「S」あるいは「SE」というイニシャルともとれる
文字が見られるそうで、これがモデルの正体を示す重大な
ヒントであるとみているようですが、何百年もの間、世界中
を悩ませていた謎の微笑みの持ち主を特定する重要な
鍵となったのかどうか、果たしてどうだったのでしょうか
また、
背景の右側のアーチ型の橋の下には、数字の「72」
または、アルファベットと数字の組み合わせで 「L2] と
記されていて、これらも手掛かりだとしているようですが、
正直なところ、よく分かりません。
仮に、
この分析に誤りがないとすれば、ヴァンチェッティ氏には
申し訳ないのですが、解釈はこれしか考えられません。
右目の瞳の奥の「LV」は、レオナルド・ダ・ヴィンチ
(Leonardo da Vinci) のイニシャルなどではなく
ユピテル(ジュピター)=ルケティウス
(Lucetius)または、ルチーフェロ(Lucifero)
あるいは、ルシファー(Lucifer)の「L」であって、
「V」は、ビクトリア(Victoria)、イタリア語では
ヴィットリア(Vittoria)、ヴィクトル(Victor)
の「V」なのです。
ルケティウスにしろ、ルチーフェロ(ルシファー)
にしろ、ローマ・カトリック教会から「悪魔」とされている
存在ですから、「悪魔の勝利」を意味している
ということになります。
さらに、
左目の「B」は聖書 バイブル(BIBLE)、
あるいは、バベル(BABEL)を意味し、「S」は
サタン(SATAN)を意図していると思われます。
いずれにしても、ローマ・カトリックの「神」と敵対する
存在を暗示するもので、個人的には「B」はバベルで
あり、聖書における「神」と「悪魔」=「善」と「悪」
との規範や価値の逆転や倒立を意図するものと考えます。
当然のことに、
このことは教会には絶対に覚(さと)られてはならない
メッセージであるからこそ、妖しい魅力を放つ微笑み
をもって鑑賞者を眩惑させ、人々の興味をモデルの正体
の謎の方に振り向けているとも言えなくもありませんが、
現代的なテクノロジーがなければ、そもそも「瞳の奥」
の極々微小な文字など発見すらできないわけで、むしろ、
ダ・ヴィンチがどうやってそれらの文字を書き込んだのか
という疑問にこそ大きな関心があるというものです。
但し、
この場合の「悪魔」とは、通常において我々が意識
する「悪魔」ではなく、ローマ・カトリック教会にとっての
「悪魔」、つまり、敵対する意味での「神」です。
この辺りの経緯(いきさつ)については、
『ダ・ヴィンチの罠 神と神』
を参考にしてください。
http://sun.ap.teacup.com/japan-aid/412.html
また、「B」や「S」ではなく「CE」だとした場合には、
「L'Ultima Cena」 または「Cenacolo」、つまり
、イタリア語での『最後の晩餐』の原題である
「Ultima Cena/Cenacolo」を意味する「CE」
であり、そこにダ・ヴィンチの究極のメッセージが織り
込まれていることを示唆するものかもしれません
少なくとも、
それがヴァンチェッティ氏が指摘をするようにダ・ヴィンチ
のイニシャルやモデルの正体を示すためなどというチープ
なことに暗号が使用されたとは到底考えられません
背景に書き込まれた数字等については、左目の「CE」
が『最後の晩餐』を示唆するとすれば、「72」は、
事実上のデビュー作『受胎告知』(1472年)での
聖母マリアの長め右腕と“ふくろう”を彫り込んだ書見台の
脚に見える謎の肢を指し、「L2」ならルシファー
(Lucifer)とリリス(Lilith)の2人の「L」と「L」
が鍵となることを伝えているのだと思われます。
『受胎告知』やルシファーとリリスについて
の詳細は以下を参考にしてください。
http://sun.ap.teacup.com/japan-aid/404.html
http://sun.ap.teacup.com/japan-aid/405.html
http://sun.ap.teacup.com/japan-aid/406.html
http://sun.ap.teacup.com/japan-aid/407.html
それよりも、個人的には、
右端の橋の袂(たもと)付近の岸辺近くの水面に見える
白抜きの「SV」と、その真下にある黒い小文字の「b」
若しくは「h」という文字とすぐ右隣には白抜きの「VS」
という文字が見えるのですが、目の錯覚でしょうか
「SV」は偽りのサタン(悪魔に堕落させられた者)
が勝利し、「VS」はバチカンこそが真のサタンで
あると糾弾するネスティング(入れ子構造)的な暗号で、
「SV」と「VS」で逆転と打倒・倒立を祈念
しているのかもしれません。
また、
「b」ならば、ここでは「聖書(bible)」を「h」なら
、明けの明星をルシファーと訳した聖ヒエロニムス(hieronymus)を暗示しているのかもしれませんが、
『聖ヒエロニムス』 1480-1482年 バチカン美術館蔵
ただ、単に、
時代を経て出来た微細なヒビ割れや亀裂の数々が文字
や数字に見えるだけのことかもしれません
それはそれとしても、
肉眼での確認が不可能なものをダ・ヴィンチが如何にして
書き込んだのかは不明ですが、超高解像度の写真分析が
必要なほどに超微細文字とは言っても 米粒に「般若心経」
を綴ったり、極小の「聖書」(豆本等)が人の手で作ることが
できるのならば、「瞳の奥」に極微細な文字を書き記す
程度のことは天才ダヴィンチには造作もないことだったかも
しれません。
むしろ
言葉の端々から滲み出る思いを行間から染み出す文章
に込める作者の意向を読者が忖度するように、それを汲み
取る探知機能や技術開発(テクノロジー)の有・無にこそ
ダ・ヴィンチにとって不安があったのかもしれないのです。
前回の 『ダ・ヴィンチの罠 サイコ』 で、終生
手もとに置いていた3枚の油彩画を門外不出とした根拠は
http://sun.ap.teacup.com/japan-aid/421.html
これらの絵がフランスからイタリア(ローマ・カトリック)の
手に渡り、万が一にもそこに秘められた「罠」の真意が
暴かれでもしたなら『最後の晩餐』を始めとする
一連のダ・ヴィンチ作品は、破壊され焼却処分されてしまう
ことを恐れたが故に必要以上に手の込んだ罠を仕掛けた
に違いありませんが、同時にそれはダ・ヴィンチが目指した
究極の芸術作品であり、集大成と呼べるもので
あったのかもしれません
ヨタ話に毛を生やしたような独自の「仮説」が指し示す
『モナ・リザ』の瞳に、今回は焦点を当てて解説
してみましたが、『モナ・リザ』に隠されている秘密
の鍵はこれだけではありません。
次回は、『モナ・リザ』の本当の秘密の数々に
チャレンジしてみたいと思います。
「目は口ほどに物を言い、
君はその眼で嘘をつく」
「ダマされちゃ、いかんぜよ !!」
… to be continue !!
「俺たちの出番はいつになるのかな」
コメント一覧
透明人間2号
小吉
江戸川ドイル
最新の画像もっと見る
最近の「ノンジャンル」カテゴリーもっと見る
最近の記事
カテゴリー
バックナンバー
人気記事