聞く頃にはいつのまにか静まりかえっている。
いま、泣いたカラスが、もう … なんとやらです。
この暴風雨で、色は匂へど、大半の桜は、散りぬるを
(イロハニホヘト チリヌルヲ)
百花繚乱の、我が世だれそ、千変万化にと、常ならむ
(ワカヨタレソ ツネナラム)
転変無常なる、有為の奥山、波瀾万丈に、今日越えて
(ウヰノオクヤマ ケフコエテ)
酔生夢死にも、浅き夢見じ、疑心暗鬼で、酔ひもせず
(アサキユメミシ ヱヒモセス)
なんだか、シンパシーを感じるというか、シンクロニシティ
(共鳴・共時性)があるというか

そこはかとない 5号 の言うに言われぬような不安も
、そこはかじゃない 2号 の計り知れないような不安も…
いろは歌 となって、
春の嵐のなかで桜の花びらとともに舞ってしまえばいい!



平家物語 でいう
「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり」は、あまりにも
有名で、「沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理を顕す」となり
、つづいて「驕れる者、久しからず、ただ春の夜の夢の如し」
さらには「猛き人も遂には滅びぬ、偏に風の前の塵に同じ」
とつながります。
「独生 独死 独去 独来」(どくしょうどくしどっこどくらい)も
『 勧君金屈巵 満酎不須辞 花発多風雨 人生足別離 』
(花に嵐のたとえもあるぞ さよならだけが人生だ) … も
広い意味では 「一期一会」 もみ~んな一緒なのです。
シンパシーやシンクロニシティと表現したのは、おそらく、
多くの日本人がなんとなく抱えている不安感や政治不信に
つながる行為や事件に、もういい加減に、辟易(へきえき)と
していると思われる共通の心情が垣間見えたような気がした
からです。
ひょっこりひょうたん島ならぬ、地に足がつかないままに
根無し草のように漂流する日本列島の為政者に感じている
さまざまな不満が春の嵐となって吹き荒れたといったところ
ではないでしょうか。
思えば、自民・社会二大政党体制が出来上がったのが
1955年、世に言う 「55年体制」 のスタートでした。
それから、奇しくも55年を経た2010年、日本社会党は
見る影もない超弱小政党に落ちこぼれ、あれだけの権勢を
誇った自民党も見るも無残な姿で野に下ったわけです。
まさに 「盛者必衰の理」 をあらわしています。
民主党による新しい政治が始まって半年以上が経過した
わけですが、鳩山内閣に対する国民の支持率は組閣当初
の高支持率から急落しています。
各大臣たちは、勝手勝手を決め込んでいて、それぞれが
いったいどこに行こうとしているのか


どうも、よくわからないから不安で仕方ないのです。
シンクロニシティ だと感じるのは共有する不安
のみならず、それぞれが別の思惑で投稿する記事のなかに
シンクロする文言や共通する事柄が散見されるからです。
たとえば、5号 の記事 「独生 独死 独去 独来」 のなか
の西行に 因む桜 と 2号 の 「そこはかとない不安」 に
登場する寅さんの妹さくら、そして、大半が散ってしまった
と思われるきょうの“春の嵐”に舞った桜の花びらについて
綴っている 1号 のブログ …
きょうは、西暦2010年(平成22年=寅年)の4月2日です。
寅年の桜の季節、つまり寅さんと干支と妹のさくらと桜も
シンクロするわけです。
不吉ですが、4月2日も忌み数としてシンクロしています。
そもそも、散り行く桜の花びらや桜吹雪に舞うその散り際
の潔さが日本人のメンタリティにピタっとはまるわけで…
それが、5号 の心を落ち着かせなくしている理由です。
つまり、『葉隠』にいう「武士道とは死ぬことと見つけたり」
の誤った解釈と相通ずるものがあると危惧しているのです。
「葉隠」とは、葉蔭となって見えなくなることを意味します。
現代版の私たち透明人間(エイドマン)と同じく、蔭の奉公
を大儀とする説ですが、他にも木の葉隠れの草庵で聞いた
話だからとか、著者の庵のまえに「はがくし」という柿の木が
あったからだとか、その語源は定かではありません。
また、西行の『山家集』の葉隠の和歌に由来するという説
も大変に有力です。
ここでも西行でシンクロしますが、平家物語の冒頭のくだり
にある沙羅双樹の花の色の沙羅とは梵語で高遠の意です。
釈迦が、沙羅林の樹の下で2月15日に入滅したときに、
その死を感じた沙羅樹はことごとく枯れて白い鶴のように
なったとか、入滅するや否や時ならぬ花をつけて、まもなく
枯れたという伝説も残っています。
ねがはくは 花のしたにて 春死なむ
そのきさらぎの 望月のころ
釈迦入滅と平家物語と西行の和歌と桜のシンクロです。
「一期一会」 をメジャーにした幕末の大老 井伊直弼が
討たれたのは桜田門外です。
討ったのは水戸藩士、水戸といえば梅で有名な偕楽園が
ありますが、桜もすばらしく本園だけで約130本もあり、特に
「左近の桜」が有名ですね。
同じく水戸で有名と言えば黄門様と納豆ですが …。
正体不明の鳥たちによる右往左往の政権運営、果たして
右なのか左なのかもわからない右近だ左近の桜散るそんな
水戸の偕楽園、不安の嵐はどうなるの

ねえ、 黄門様

はてさて、透明人間(エイドマン)たちが抱く漠然たる不安
は、日本の皆さんともシンクロしてますか

もちろん、黄門様 も 納豆食う !?
おっと、失礼。 正確に言い直すけぇ(井伊直弼)
納豆食って、なっと食う 納得(なっとくう)… って

ブログ が脱線するまえに終わりにします


くれぐれも納豆の意図(糸)は捏ねくりまわさないように …
… トイレ行かせて下さい

