透明人間たちのひとりごと

「真・善・美」な生き方

 寡黙でストイックでどこか秘密のベールに包まれた印象を
強く感じさせる日本を代表する映画俳優の高倉健さんの
の訃報を伝えるマスコミ各社の報道にあらためて高倉健
という俳優の不器用のようにみえて、実は“男の美学”
と言うよりも人間としての“生き様の美しさ”を追求
し、それを貫いたかのような生き方に「真善美」
いう言葉が不肖ながらも我が脳裏を過ぎったのでした

 q 口下手で、不器用で、一途な人は

 と、問われたならば、十中八九において「高倉健」
いう答えaが返ってくるでしょう

 q 実直で、誠実で、裏表のない人は

 と言い換えても、同様の答えが予想されますが … peace

 symbol2 直向(ひたむ)きに己の信念を貫き通す。

 そんなイメージですね。

 『ゴルゴ13』キャラクター・モデルだったとか、
『巨人の星』 の星一徹や、『柔道一直線』
車周作も、どこかで高倉健を彷彿とさせる設定要素が
ありますが …

 それらは些(いささ)か穿(うが)ち過ぎかもしれませんnose7

 劇中(劇画)での雰囲気がどことなく似ている … ただし、

 外見的に似ているという点では、『柔道一直線』
車周作を演じた高松英郎に一日の長がありそうです。

 『ゴルゴ13』のデューク東郷役はともかく、星一徹や
車周作は風貌的にも高松英郎が適役であるとするの
が衆目の一致するところではないでしょうか

 デューク東郷のモデルが高倉健で間違いないとして、
星一徹や車周作のモデルはいったい誰なのでしょう

 おそらく、

 車周作は伝説の柔道王 木村政彦か、その木村を破った
阿部謙四郎でしょうが、星一徹は見当がつきませんnose7

 まあ、それはそれとして、

 現実的には風貌などが似ているというだけで、混同され
同一視されてしまうことはままあることで、そうした印象や
思い込みが作用して“伝説”は作られてゆくものだ
と思うのです。

 たとえば、

 有名な星一徹の「ちゃぶ台返し」にしても劇中では
たったの一回限りの出来事なのに、あたかも毎回のように
繰り返されるお決まりの行動としてイメージされて伝説化
してゆくわけです。

 ところで、 一昨昨日(さきおととい)の11月21日には、

 “不器用な男の銀幕伝説”と銘を打たれたフジテレビ系列
緊急追悼特番 として高倉健 が主演する映画
『南極物語』が放映されました。

 
 観ていて思ったのは、主役は人間(健さん)ではなく犬たち
で、それもタロジロではなくリーダー犬のリキ だった
ような気がしてならないのです。

 もちろん、

 これは実話であり、南極の昭和基地に置き去りにされた
樺太犬たちのサバイバルとやむなく置き去りにせざる
を得なかった越冬隊員たちの苦悩を描いた映画ですが、
生き延びたタロとジロの兄弟犬と翌年の奇跡の再会をただ
謳っただけのストーリーではありません。

 
 1958年(昭和33年)2月24日正午、天候不順を理由として
第2次南極観測隊の隊長が越冬隊の駐留を断念すること
で、昭和基地に残された第1次越冬隊の樺太犬15頭が鎖
につながれたまま置き去りにされるのですase

 翌年、第3次観測隊が南極に赴くと置き去りにされていた
樺太犬15頭のうち、タロとジロの2頭だけが生き残っていた
のでした。

 当然ながら、昭和基地は無人でしたので、2頭がどのよう
にして生き延びたのかは不明ですが、

 映画内では、まず最初に利尻のアンコが鎖をちぎり、次に
ジャック、つづいてリーダーのリキ、ジロ、シロ、風連のクマ、
タロとつづき、最後にデリーの8頭が脱走に成功します。

 このように、脱走に成功した8頭の樺太犬たちの生死を
賭けたサバイバルの様子が映画では描かれるのですが、
すべて創作ですので、事実のほどはわかりません。

 あくまでも推測による域を出ないわけで、順不同ながらも
シロが氷原にできた段差に滑落してハグれることにつづき
、ジャックがオーロラに驚き狂乱していずこかへ走り去って
行方不明となります。

 デリーはクラックに落ちて死亡し、リーダーのリキは若い
タロとジロをシャチの攻撃から身を呈して守り抜き、深手を
負って無念の死を遂げるのです。

 風連のクマ(タロとジロの父親)は、群れを嫌い単独行動
をとるも不注意から流氷に流されたアンコと合流し、後には
タロとジロとも合流しますが、アンコは首輪につながった鎖
のせいでアザラシに海中に引き込まれて死に、風連のクマ
は再び内陸に向かって走り去ってしまいます。

 ここで、事実関係だけを列挙すると …

 ※ 15頭の生死の状況

  昭和基地に残された15頭のうち、8頭が首輪を抜ける
  などして脱出したものの、生存が確認できたのはタロと
  ジロの兄弟犬だけであり、残りの7頭は鎖につながれた
  まま死んでいました。

  後に、第9次越冬隊が昭和基地付近でリキと思われる
  1頭の死体を見つけるが他の5頭は不明のままです。

  (映画では、翌年にヘリで捜索中にジャックらしき死体
   が氷原上で発見される場面がありますが創作です)

 ※ 鎖につながれた犬たちの死因

  ゴロ、ベス、モス、アカ、クロ、ポチ、紋別のクマの7頭の
死因は餓死とみられ、生存時(平均45kg)の体重が発見時
には22kgと半減していて、解剖の結果、胃からはビニール
の切れ端や糸くず等が見つかり体内の脂肪はなく、臓器は
薄くなっていたそうですase

 死体の体重や脂肪の量から推察すると、餓死した犬たち
は1ヶ月程度は生存していたとみられますが、樺太犬が熊
のような冬眠状態にあったとすると60日近くは生存していた
可能性があるそうです。

 鎖から脱出した犬たちは自力での食料調達が可能でした
ので、さらに長期間にわたり生存していたものとみられます
が、不思議なことに餓死した犬たちの周りには、アザラシの
死骸やペミカン(携帯用の餌)があり、首輪を抜けた犬たち
はこれらの餌を食べることができたはずなのに食べた形跡
がないのです。

 食べられる状況下にあったにもかかわらず食べなかった
理由は不明ですが、他に食料が確保できる場所やアテが
あったのかもしれません

 映画では、共同でアザラシ狩りをしたり、ペンギンを襲った
り、海から打ち上げられる魚の死体などを食べている様子
が描かれていましたが、もっぱらアザラシやアザラシの糞を
食べていたというのが有力な説のようで、樺太犬が吠える
と、アザラシは驚いて糞をしながら逃げるのだそうです。

 アザラシの糞には未消化の小エビや稚魚が含まれていて
、栄養が豊富ではあるが、それだけでは必要となるカロリー
の摂取には足りず、補助的にアザラシやペンギンも食べて
いたものと思われます。

 いずれにしても、結果として、

 タロとジロの若い兄弟犬だけがサバイバルを生き抜いた
わけで、そこにどのようなドラマや修羅場があったのかは
知る由もなく確認のしようもありませんが、劇中で描かれて
いたような悲劇的な結末を迎えるリーダー犬リキの活躍も
十二分にあったのだろうと推察されるわけです。

 最後の感動的な再会シーンは、ヒーローにして人知れず
犠牲となったリーダー犬のリキと映画スターとして私生活を
明かさずに武骨にプライバシーを守り通した“高倉健”
という男の生き様がオーバーラップするようで …

 孤高の映画スター“高倉健”を演じる人生を選択した
「男の物語」だと感じたわけです。

 
 さて、

 昨夜(11月23日)午後、9時からのNHKスペシャル
『高倉健という生き方』を視聴しながら思ったこと
は、「孤高にして武骨な男としての“高倉健”という映画
俳優を小田剛一というひとりの人間が一生を通じて懸命
に演じていていたんだなあ」というような感慨を覚えながら、
これが健さんの座右の銘としての『真善美』では
なかったのかとふっと閃いたというわけで、それが冒頭で
「男(人間)としての美学」につながるのです。

 人生を含めた物事の価値には、「真・善・美」
の基準があります。


 つまり、真偽(真贋)、善悪美醜の判断基準です。

 現実は「真偽」のはざまにあって「真実」だからと
いって「善」であるとは限りません。

 一所懸命に働いて金を儲けても人を偽る行為があれば、
「善」とは言えません。

 正しくとも非常識だったり、常識的ではあっても正しくない
こともあります。

 高収入で贅沢な暮らしは幸せかもしれませんが、真偽
善悪美醜の基準ではどうでしょうか

 少なくとも、傍目からは(この世界を見渡せば)、「美」
あるとは言い難い状況です。

 真実だけど「悪」であったり、「醜」かったり、事実だと
しても肯定できることばかりではありません

 現実の社会は、あらゆる価値観や規範や道徳性が渾然
一体となった水溶液の状態から、意図的に固定化された
恣意的な凝固物が幅を利かせるような世界で、水に溶解
した目に見えない新たな付加価値を生み出すか、金属が
熔解して姿かたちを変化させ、冷えて凝り固まったような
別の価値が付加される世界なのです。

 理想現実とは、相容れない性格のもののようで、

 「理想」は、必要性に動機づけられますが、必ずしも
現実的とはいえません。

 そこで、非現実的な世界や仮想的空間に逃げ込む環境
が整備されます。

 それは、

 金融におけるデリバティブ(派生商品)やインターネット上
の出来事が現実化して、ありもしない価値や架空の世界に
踊らされるということです。

 至近な例で言えば、

 それは実体のない経済であり、という怪しい魔物に
憑かれてしまうという悲しい人間を拡大再生産するシステム
のことです。

 だからこそ、「真・善・美」を見極める判断力や
洞察力や審美眼が必要となるのですが …

 それが高倉健さんの場合では、孤高にして実直・愚直
で一途であろうとする不器用な映画俳優“高倉健”
を徹底して演ずることで己の信ずる「真善美」
完成としたのではないでしょうかpeacenose7

 訃報が伝えられてからきょうで一週間が経過しますが、
健さんを追悼する番組が引きも切らないのは、それだけ
その存在が大きかったということの証明でしょうnose7

 夢をありがとうございました 合掌clapnose3

コメント一覧

飢えた狼人間
「真善美」なる生き方など、どだい不可能である。

所詮、人間は動物である以上、我欲優先、本能むき出しが
自然であって、「真善美」など偽善の権化に過ぎないのだ。
皮肉のアッコちゃん
樺太犬どうしで共食いをして生き延びたんだと思っていたけど、
そうじゃなかったんだ。
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