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透明人間たちのひとりごと

おんぶにだっこに肩車

 先月(11月10日)に亡くなられたばかりの高倉健さん
に続き、ともに東映ヤクザ映画を代表する大スターだった
菅原文太さんの訃報(11月28日死去)が届きました。

 生え抜きでデビューから主役という本流を進み、私生活
を明かさない謎めいた存在の高倉健 さんとは違って、
所属会社の倒産など、幾つもの映画会社を渡り歩いた末
に30代半ばにして東映に居場所を得た菅原文太さん
『トラック野郎』一番星 桃次郎ような身近
な存在の等身大の大スターでした。

 すでに、正統派で端正な任侠ヤクザ路線を確立していた
高倉健さんに対して、菅原文太さんは人間らしさを
丸出しにしたリアルで泥臭い現代ヤクザを演じ切ることで、
“理想と現実”“静と動”といった対極的な役柄
に俳優としての活路を見い出したわけなのですが、日本の
戦後史の裏側を生々しく暴いた『仁義なき戦い』
大ヒットとその後の実録路線の隆盛が結果として、健さんを
東映から去らせることになるのでした。

 東映を退社後は『八甲田山』や『幸福の黄色いハンカチ』
につづき、『南極物語』などを経て、健さんは国民的な俳優
へと登り詰めていきます。

 出演する映画を厳選し、『鉄道員(ぽっぽや)』や、最新の
『あなたへ』など、ヒューマン路線を頑なに貫いた健さんに
対して、あくまでも、無頼の匂いを残したままに年を重ねた
文太さんは、いつしか無頼とは無縁の好々爺然とした姿に
変身していました。

 もちろん、その心根には依然として熱くたぎるような硬派
の血が通っていたわけですが …

 さて、ここで、僭越ながら、

 高倉健さんと菅原文太さんを対比するとすれば、

 
 高邁で理想的な生き方を目指した健さんと人間味溢れる
実質的な生き様を見せた文太さんということになるのでは
ないでしょうか、それぞれに …

 『大無量寿経』にある 「我行精進 忍終不悔」 から
「往く道は精進にして忍びて悔いなし」
を座右の銘とした健さんと、『論語』 里仁 にある子曰く、
朝聞道、夕死可矣」 からの 「朝に道を聞かば、
夕に死すとも可なり」
という心境に至った文太さん
という図式でしょうかpeace


 あるいは、また、2号さんのブログ・エントリーのなかの

 symbol2★☆ 『「真・善・美」な生き方』にあるように

exclamation http://sun.ap.teacup.com/japan-aid/390.html(参照)

 
 ミステリアスで“真善美”な生き方を好んだ健さんと、
“求道”の境地に入った文太さんという構図でしょうか
 

 適切な譬えや的を射た表現とは違うけれど …

 健さんの義侠心溢れる理想的な日本の男の美学である
俺の目を見ろ、何にも言うな」的な任侠道の世界観を
“日本刀”美しさ であるとすれば、

 「背に腹は代えられぬ」とばかりに恩義のある
背中を犠牲にしてまでも自分たちの腹を守ろうとする醜い
修羅の世界に、もがき苦しむ男を演じた文太さんの極道は
“拳銃”(ハジキ)のように破滅的ですがリアルでした。


 ところで一体

 いつ頃のことからなのでしょうか

 母の背中におぶわれている赤ん坊の姿を見かけることが
少なくなったのは …

 今では、おんぶして歩いているいる母親を見かけることは
ほとんどありません

 『背に腹は代えられない』とかで、背中が腹の
代役にはなれないからといって、「おんぶ」までが否定
されているようで、いつのまにやら西洋風の「だっこ」
全盛の世の中に …

 「何か間違っちゃいないのかねぇ」

 そう言って、割り込んできたのは1号さんですがase2

 『背に腹、云々 …』とは、全く無関係な話ですnose7

 そもそも、

 「唐突に“おんぶやだっこ”の話をされても困ります

 と、応戦すると …

 背中で吠えてる唐獅子牡丹といえば、健さんだし、
「弾はまだ一発残ってるがよ」と腹の探り合いに
明け暮れる『仁義なき戦い』の極道共に切った張った
の勝負を挑むのは文太さんだと切り返される始末ですase2

 つまり、

 高倉健さんが背中(建前や理想)を代弁していて
菅原文太さんが(本音や現実)を晒しているわけで

 健さんは理想の「おんぶ側」を代表し、文太さんは
本音の「だっこ側」を支持しているとかなんとか、訳の
わからないことを言い始めたので … 

 ボク自身、父親に肩車された思い出はあっても、母の
背中におんぶされたという記憶はほとんどないですねnose2

 などと応じると、

 「おんぶにしろ、だっこにしろ、1~2歳までの話であって
記憶にないのは当然なんだよ」

 「ただ、“おんぶ”がないがしろにされている現実に
腹が立つんだ」

 そりゃあ、そうでしょう

 確かに、腹が立つような状況下では“だっこ”は到底、
無理でしょうから … ase2

 なんちゃってねase2

 まあボクとしては、どっちもどっちで、以下に記した
サトー・八チロー作詞の童謡のとおりです。

         『おんぶと抱っこ』

      おんぶとだっこ    どっちがおすき
      かあさんにはおんぶ とうさんにはだっこ
      冬にはおんぶ     夏にはだっこ
      どっちもどっちも    どっちもよ

      おんぶとだっこ    どっちがおすき
      ねえさんにはおんぶ にいさんにはだっこ
      日暮れはおんぶ    昼間はだっこ
      どっちもどっちも    どっちもよ


 なるほど

 だからボクは、1号さんや2号さんに任せっきりの
 「おんぶにだっこ」大好きなんだ

 … って、違うでしょ !!

 それじゃあ、自分一人では何も出来ずにすべて他人任せ
にしてるように聞こえるでしょうが …

 にもにも、と言えば、

 セニハラ で、セクハラ ではありません。

 … って、しょうもなase2

 それならば、むしろ

 「おんぶにだっこに肩車」

 … ってえのは、どうでしょうか

  まったく、どこまでも甘え続けるつもりでいるのやら

 いいかげんにせえよ !!


 ええ、大変、お見苦しい姿をお見せいたしました

 あらためまして、

 高倉健さんと菅原文太さんのご冥福を、

 慎んで、お祈り申し上げます。

コメント一覧

通りすがりのエキストラ
いいんじゃね!
ココナン
健さんは生き様を背中で語る建前派で、文太さんは腹から社会に物申す本音派って、言い得て妙ですが、「おんぶとだっこ」は飛躍しすぎですね。
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