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透明人間たちのひとりごと

ダ・ヴィンチの罠 ロゴス

 「カンブリア大爆発」地球
という惑星舞台実施された生物
(生命)のビックバンであったとすれば、

  

 本家本元である宇宙開闢(かいびゃく)
におけるビッグバンは、



 ダ・ヴィンチ劇場における開演合図

  

 超巨大なる号砲にあたります。



 概して

 舞台演劇の上演の開始は、極めて微妙で、
始まりをブザー等で知らせることがないわけ
ではないが、大抵の場合は劇場内の照明が
暗くなったり、BGMが小さくなったり、唐突に
舞台のどこかにスポット・ライトが当たったり、
いつの間にか舞台上に役者が揃っていたり、
ときには、大音響の中で突如として花道から
主役が登場して来たりと、手の込んだ凝った
つくりの演出が仕組まれるものですが ・・・

 奈落からせり上がって来るのは主役
目される人物ばかりとは限りません。

 すなわち、

 時空劇としての壁画『最後の晩餐』
では全員が主役であり、全員が脇役です。


 それでは、プログラムを見てみましょう。


 symbol2 RENAISSANCE STORY symbol2
     【ルネサンス物語(復活劇)】

       【L'Ultima Cene】
   脚本・演出・助演 レオナルド・ダ・ヴィンチ



 序 幕

   <『東方三博士の礼拝』の世界1>

   バルトロマイ、ユダ、ヨハネ、イエス、
   トマス、マタイ、シモン他、全キャスト
   によるビッグバン以前の混沌空間


  『東方三博士の礼拝』の反転合成画像

 ・・・ と、なっています。

 つまり、

 開演の合図であるビッグバンの瞬間
以前の混沌空間=特異点が序幕
としてのイントロダクションです。

 細かい説明を省いて先を急ぎますので、
時空劇復活劇及び特異点など
については、それぞれに、

 『ダ・ヴィンチの罠 時空劇』
 url http://sun.ap.teacup.com/japan-aid/495.html
 『ダ・ヴィンチの罠 復活劇』
 url http://sun.ap.teacup.com/japan-aid/484.html
 『ダ・ヴィンチの罠 特異点』
 url http://sun.ap.teacup.com/japan-aid/463.html

 などを参考にしてみてください。

 要するに、

 『最後の晩餐』での13人の役者が
演じるカットシーン(ストップ・モーション)は、

  

 ひとつにはビッグバン以前の混沌
(カオス)をイメージさせるカットで、


        NHK復元CG画像

 仏教でいうところの「空」の概念である

 「空即是色」=「一即多」や、
量子力学でいう「無」世界(状態)が
再現されているわけです。




 「無」とは、物質存在しない何も
ない空っぽ(真空)の空間を指している
のではありません

 「時空(時間と空間)すらも存在しない
状態が「無」なのです。
 
 宇宙は真空の相転移によって誕生した
と言われていますが、定かではありません。

 量子論では「無」といえども、何もない
状態というわけではなく、そこには厖大無限
なるエネルギーが寄せては返す波のように
現れては消えるということを繰り返している。

 言わば、

 「行って来い」で、結果的に相殺
されてゼロになるわけですが、ある瞬間
においては無限大エネルギー
が存在し得るということで、

 これを「真空のゆらぎ」あるいは
「量子的ゆらぎ」と呼びます。

 これもまた、詳しい説明に時間を割くこと
ができませんので、

 「量子的ゆらぎ」や「不確定性原理」また
は「量子重力効果」や「トンネル効果」など
を検索してみてください。

 ついでに言えば、

 『ダ・ヴィンチの罠 量子論』
 url http://sun.ap.teacup.com/japan-aid/462.html
 『ダ・ヴィンチの罠 相転移』
 url http://sun.ap.teacup.com/japan-aid/464.html
 『ダ・ヴィンチの罠 素粒子』
 url http://sun.ap.teacup.com/japan-aid/465.html

 なども参考になると思います。

 端折(はしょ)りましょうase2
 
 量子力学が描く「真空」とは、粒子と
反粒子が生成消滅を繰り返すように、
「時空」対消滅right生成消滅
を繰り返している状態にあって、

 一見、そこには何もないように思われる
「無」にも、巨大なエネルギーを持った
極小の宇宙で生成消滅(対消滅)
が繰り返されていたというわけです。

 その「無」から量子論的効果
によって、我々の知る宇宙の初期状態
となる「時空」が突如発生した。



 これが現代物理学の描く宇宙誕生
瞬間(ビッグバン)のシナリオです。



 ちなみに、このシナリオ(瞬間)の大きさ
は10のマイナス34乗センチメートルだった
とのことですが ・・・



 それは1センチの1兆分の1の、そのまた
1兆分の1の、さらにその100億分の1という
途方もない小ささです。

 「そんな小さな空間に、
 全宇宙の姿を抱えることが
 できるなど誰が信じるだろう」


    (レオナルド・ダ・ヴィンチ)

 ダ・ヴィンチは、どういう趣旨意図
もって、この言葉を記したのでしょうか。

 さらに彼は、こうも言っています。

 「我々の肉体は天体に属し
   、天体は精神に属する」


    (レオナルド・ダ・ヴィンチ)

 すなわち、

 宇宙のすべては精神(意識)に属し、
意識(精神)によって形造られている。

 つまり、仏教的概念によるところの



 この宇宙の森羅万象のすべてを形造って
いるとされる阿頼耶識(あらやしき)や
阿摩羅識(あまらしき)について語って
いるのでしょうか

 阿頼耶識や阿摩羅識については、

 『ダ・ヴィンチの罠 黙示画』
 url http://sun.ap.teacup.com/japan-aid/488.html
 『ダ・ヴィンチの罠 無意識』
 url http://sun.ap.teacup.com/japan-aid/489.html

 などを参考にしてください。

 それとも旧約聖書『創世記』が述べる
天地創造の記述を ・・・

 あるいは、「ロゴス」のことを指して
言っているのでしょうか

  「初め言葉(ロゴス)があった。

   言葉(ロゴス)はと共にあった。

   言葉(ロゴス)は『神』であった。

   言葉は初めに、と共にあった

  「すべてのものは、これによってできた。
   できたもののうち、ひとつとしてこれに
   よらぬものはなかった」 (ヨハネ1:1-3)

 これは『ヨハネによる福音書』
冒頭部分(第1章1-3節)ですが、

 ロゴスについては、『聖書』を初めて
日本語に翻訳した時のエピソードを綴った

 symbol2 『カシコイモノゴザル』
 url http://sun.ap.teacup.com/japan-aid/374.html
 『ダ・ヴィンチの罠 堕天使』
 url http://sun.ap.teacup.com/japan-aid/406.html
 『ダ・ヴィンチの罠 免罪符』
 url http://sun.ap.teacup.com/japan-aid/460.html

 などを参考にしてみてください。

 なお、

 キリスト教では、ロゴス=イエス
あるとしています。


 ここでダ・ヴィンチが『創世記』の記述
をどのように捉えていたかについて言及
をしなくてはなりません。

 「初めに神は天と地を
         創造された」


        (創世記1:1)

 この場合の「天と地」を、ダ・ヴィンチ
は文字通りには解釈しませんでした。

 「天」とはロゴスright意識であって
「地」とは反ロゴスright物質のこと
であると理解したわけですが、

 それらを精神肉体に置き換えても
一向に構いません。

  「さて、地は形がなく、荒漠としていて、
   闇が水の深みの表にあった。

   そして、神の活動する力が水の表を
   行きめぐっていた」(創世記1:2)

 この「水」とはビックバン以降に最初に
出現する元素である「水素」とともに
洗礼者聖ヨハネ意味するもの
とダ・ヴィンチは考えました。

  「それから神は言われた、「光あれ」。
   すると光があるようになった」(1:3)



 つまり、

 これが宇宙開闢のビッグバンであり
、時空劇『最後の晩餐』での開演
合図でもあったのですが、



 第一幕

   <『東方三博士の礼拝』の世界2>

   バルトロマイ、小ヤコブ、アンデレに
   よるビッグバンの衝撃と光の誕生question2
   反物質とダークマター(エネルギー)


  『東方三博士の礼拝』の反転画像
 
 演出家ダ・ヴィンチの脚本では、この世は
「バーチャル・シアター」であって
、量子論(量子力学)の説く「不確定性原理」
がゆえにイメージが現実世界をバックアップ
して試行錯誤する舞台を繰り返し上映
している「仮想劇」であるというのです。



 第一幕は粒子と反粒子が混然一体化して
いる世界で、まだ物質の存在はありません。

   

 ロゴス化身を演じるバルトロマイは
キリスト教会でロゴスとされる偽りの仮面
を被るイエス・キリストを凝視しています。



 小ヤコブはビッグバン衝撃に驚く
アンデレの右肩に手を置いて、時間の流れる
方向と空間の広がりを左手で表現します。



 ビッグバン直後の10のマイナス44乗秒後
くらいから10のマイナス10乗秒後くらいまで
が反転画像で演出される場面で、0.001秒後
までに反物質は消滅して、核融合が始まり、
いよいよ舞台は物質が誕生する第二幕へと
突入していくのです。



 静かに緞帳(どんちょう)が下りて、幕間に
一種独特の重厚な音楽が流れてきます。


  最後の晩餐に隠された楽譜 出典:ameblo.jp

 これもまた、



 ダ・ヴィンチが隠し描いた手の位置とパン
の場所を音符に見立てて構成した鎮魂歌
(レクイエム)風の荘厳なメロディです。



 下は、2007年に音楽版ダ・ヴィンチ・コード
として話題なった時の新聞記事ですが、


 最後の晩餐に隠された音符の記事 出典:ameblo.jp

 要するに、

 ダ・ヴィンチは、脚本・演出の他にも音楽
(作曲)も手掛けていたということでしょうか

 さて、続いて



 第二幕を観劇するわけですが、少し先を
急いだ所為か説明不足が否めません。



 「ロゴス」であるバルトロマイ(R6)が
見つめる先(中央)のイエスは偽りの仮面
を被った偽キリストなのですが、ニセモノと
いうよりも反キリストに対応する反イエスで
あって、正(プラス)に対する負(マイナス)、
ロゴスに対する反ロゴスなのです。



 誤解をして欲しくないのは、「善」
対する「悪」や、「聖」に対する「邪」
とは少し違う概念であるということです。



 結果的に

 この宇宙に物質が存在するようになった
のは、反ロゴス陰謀とでもいうか、
悪戯とでもいうべきものか、

 

 あるいは、

 偶然の巡り合わせによる所産物か、

 はたまた、

 「0」「1」「YES]「NO」
共存するような量子コンピューター
に向かってせっせとプログラミングしている
プログラマーの仕業なのか

 それは、「神」(サムシング・グレート)
なるものにしかわからないことでしょう。



 なぜなら、



 第一幕で演じられる舞台は対消滅
(生成消滅)を繰り返す素粒子世界
の出来事だからです。

 我々の宇宙を構成する成分の7割以上は
宇宙の膨張を加速させているエネルギー体
(ダーク・エネルギー)で、2割以上を占める
のが正体不明の「ダークマター」です。

 我々のまわりのすべてのものを作っている
基本的な成分である元素は、わずかに4%
程度の存在でしかありません。

 『聖書』における



 「光あれ」とは、光(光子)を含む大量

  

 の素粒子誕生を象徴する言葉で、

  

 それが第一幕のカット画面です。



 素粒子には二つの種類があって、ひとつ
が「粒子」で、もうひとつが粒子と反応する
と光を発生させて消滅する「反粒子」です。

 ところが、これが、

 陰謀か、悪戯か、偶然か、ゲームなのか
はわかりませんが、何らかの理由で粒子
よりも反粒子の方が10億個に対して 1個
ほど少なかったために反粒子のすべてが
消滅してしまい、微(かす)かに残った粒子
が現在の物質のもととなったのでした。



 それでは、次回の

  

 第二幕を、乞うご期待のほどに ・・・

  
         

 第二幕

   <『岩窟の聖母』ルーブル版世界>

   ユダ、ペテロ、ヨハネ、イエスによる
   物質の出現及び人類の誕生と進化


『岩窟の聖母』ルーブル版 『岩窟の聖母』ロンドン版


    

 「いよいよ、わしらの出番じゃ」

 

  「腕が鳴るのぅ」

   

 「手首、ひっくり返ってますが」

   

      



 それより、さあ、



 「オレもいるんだけど・・・」




 … to be continue !!



コメント一覧

小吉
この世界を「仮想現実」とした場合、それに対する「真実の世界」があるとしても、「仮想」とはいえ「存在」するのだからそれは「真実」と言えるのではないでしょうか、なんてことを考えました。
「真実」というからおかしいのかもしれない。「上位世界」なのかもしれない。
どちらにしろ、「我々」はこの世界の住人なのだから、真実を見出したとしてもしなくてもどちらでもいいような気がしました。

アリが、自分の存在意義について考えないことと同じように。
江戸川ドイル
了解というか、一応、納得です。(88888888)
透明人間2号
そうです、そのとおりです。
ということは、どういうことでしょうか?

つまり、観客であるドイルさんや、他の鑑賞者の皆さんが
「ロゴス」とともにある存在、言わば、「神」の役目を
受け持つということです。
「神」がつくった最初の存在が「ロゴス」であって、
その「ロゴス」がそれ以外のすべてを造った。

その顛末を「神」である鑑賞者の皆さんに見届けて
もらうというのが『最後の晩餐』の制作上の意図で、
そこに『ダ・ヴィンチの罠」の数々が仕掛けられて
いるというわけです。

このことは、もっと後の段階で記載する内容でしたが
言わされてしまいましたね。(苦笑い&涙)
江戸川ドイル
なるほど。

でも、「ロゴス」であるバルトロマイを観客は見ている
わけですよね?
透明人間2号
そうでしたね。 ご指摘、ありがとうございます。

この舞台上で演技をする13人の人物の中で、全体を
見渡しているのは誰でしょうか?

質問(視点)を変えましょう。

全体を見通して、掌握できるポジションにあるのは
鑑賞者を除くと誰でしょうか?

それが、この世界(宇宙)をすべてを造ったロゴスです。
江戸川ドイル
想像を超えた展開に思考が追いつきません。
何故、バルトロマイが「ロゴス」なのかの説明がないのですが、その根拠を示して下さい。
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