透明人間たちのひとりごと

参加するべきか否か?

 「参加することに意義がある」 と聞けば、オリンピックだと
いうくらいに有名なクーベルタン男爵の言葉 …

 でも、厳密に言えば、ナポレオンの辞書の場合と同じく、
彼は、そんなふうには言ってはいないのです。

 第4回ロンドン大会(1908年4月27日~10月31日)でのこと
です。

 実は、この大会は、いろいろな意味で近代オリンピックの
基礎がつくられた大会でした。

 それまでは、個人やチームごとに申し込めば参加すること
が可能だったものが、各国のオリンピック委員会(NOC )を
通じての参加となった最初の大会だったのです。

 それだけ、参加基準のハードルが上がったというだけでは
なく、正式に国を代表する選手であるという特別の意味合い
も生まれました。

 つまり、国どうしの争いが激化する キッカケ となった
大会でもあるのです。

 そこで、ある有名な事件が起きたのでした。

 当時、陸上競技の種目だった綱引きでのトラブルです。

 シューズ履きのアメリカチームに対し、警察官で編成した
イギリスチームがスパイクを履いて圧勝するという大騒動が
勃発したのです。

 米・英、両国はルールや判定をめぐって、もつれにもつれ、
国民感情むき出しのケンカ状態を続けていました。

 そんな最中にセントポール寺院に各国選手団を招待して
行なわれた日曜日のミサで、ペンシルベニアから来ていた
エチュルバート・タルボット司教が、「この五輪で重要なこと
は、勝利することより、むしろ、参加することにある」と説教
したのです。

 その後、今度はイギリス政府が大会役員を招いて開いた
レセプションでの、クーベルタンIOC会長のスピーチが誤解
の発端となったのです。

 その顚末を、読売新聞の 「特選!五輪講座」
参考に解説すると …

exclamation http://www.yomiuri.co.jp/athe2004/kouza/02.htm

 会長は、「ペンシルベニアの司教が、『五輪大会で重要な
ことは、勝つことではなく、参加することである』 と述べられ
たのは、まことに至言である」 と、まず引用したのです。

 そのうえで、「人生において重要なことは、成功することで
はなく努力することである。 根本的なことは征服したかどう
かにあるのではなく、よく戦ったかどうかにある。 このような
教えを広めることによって、いっそう強固な、いっそう激しい、
しかもより慎重にして、より寛大な人間性を作り上げることが
できる」 と演説したのです。

 このタルボット司教の言葉は、それからしばらく引用され
なかったのですが、1932年の第10回ロサンゼルス大会の
選手村の娯楽室に掲げられてから[クーベルタンの言葉]
として一般にも知られるようになったのです。

 さて、先に第4回大会が、近代オリンピックの基礎となった
大会だと明言したのは、国を代表するしくみが出来たという
だけではなく、開会式の入場でも、国名のABC順で、国旗を
掲げて行進するようになったほか、金、銀、銅、のメダルが
授与されるようになったのも、この大会からなのです。

 また、それまで、海や川で行なわれていた競泳をプールで
初めて実施したのも、第4回ロンドン大会からで、驚くなかれ
、フィギュア・スケートも競技に加えていたために、開催期間
が半年にも及んでしまったわけなのです。

 ちなみに、メダル獲得 ベスト5 は、以下のようです。

        順    国名    金 銀 銅

        1   イギリス   56 51 38
        2   アメリカ    23 12 12
        3  スウェーデン   8  6  11
        4   フランス     5  5   9
        5    ドイツ      3  5   6

 今では、ちょっと信じられないようなイギリスの凋落ぶりと
アメリカの躍進ですね。

 ところで

 今回なぜ、オリンピック理想とされる言葉である

 「参加することに意義がある」を取り上げたのかと言うと
「えっ! 全員主役 !?」 のなかで、1号さんが言っていた
過剰とも思える平等思想と今回のバンクーバー冬季五輪で
の日本の成績とが無関係とは思えなかったからなんです。

 100年前に危惧された国家間の威信や覇を争う戦いに
一喜一憂するナショナリズムは、自然のものです。

 当然、金銀銅のメダルをめぐっての熾烈な戦いが展開
されるのが現代のオリンピックです。

 クーベルタンやタルボット司教の言うように、勝利ではなく
参加すること、よく戦うこと、その結果よりも努力する過程で
得られる人間性の成長に五輪の意義を求めるのもいいけど
、世の中は 「Say Result」 結果がすべての世界です。

 キレイごとだけでは世渡りは出来ないのです。

 現に、銀メダルを手中にした浅田真央選手の悔し涙が
そのことを如実にあらわしています。

 金と銀とでは、月とスッポン、天と地、雲泥の差なのです。

 行き過ぎた平等主義の教育がどこまでのものなのかは、
正直、わかりませんが、巷間、耳にする範囲内で言えば、

 将来そうした熾烈な争いのなかに投げ込まれる五輪選手
の卵たちも、おそらくは、幼少(三つ子の魂、百までも) の
基本的な人格形成の時期に、運動会、学芸会、発表会や
体育、その他の授業を通して、優劣や勝ち負けを曖昧に
した摩訶不思議な平等主義を教えこまれるのでしょう。

 少なからぬ幼稚園では、足の速い遅いにかかわらず人は
平等でなくてはならないという見え透いた大人の タテマエ
思惑のなかで、お手々つないでみんな一緒にゴールインさせ
られるのです。

 かつて運動会の華といったらなんと言っても騎馬戦でした。

 でも、個体差がハンデキャップになるとかで運動会の演目
から消えて久しい小学校も多いと聞いています。

 こんな過保護な国は、世界中を見渡しても、日本だけじゃ
ないのかなquestion2

 全力を出し切って戦うことで、初めて相手の力を知り得る
わけで、自分の持っている能力や技術を余すところなく発揮
することで比較対象としての自らの力量を知る。

 それが、本当の人間教育というものだろうと思うのです。

 オリンピックを観ていてもギリギリのつばぜり合いでは
、なぜか、いつも日本人選手は負けてしまう。

 いや、負けるというよりも、むしろ譲ってしまうといった感じ
にさえ映るのです。

 そんなひ弱 さの原因が「えっ ! 全員主役 !?」
のなかに凝縮されているような気がします。

 それと、あのハーフパイプの国母選手の服装問題の件も、
コーチや監督に責任の一端があるわけで、TPOにおける
公私のケジメをしっかりと教えておけば、ノー・プロブレム
だったわけです。

 むしろ、奇異に思えたのは、選手団やJOCの異常な対応
とマスコミを含めた国民総じての公論からバッシングの嵐と
なった事実にあります。

 それもこれも、突き詰めれば、みんな一緒に手をつないで
ゴールしましょうという集団的な全体主義思想の延長線上に
うまれる国民意識なのです。

 「赤信号みんなで渡れば怖くない」 もそうした集団主義の
心理が働いた場合の行動パターンなのかもしれません。

 参加することで自己の責任を曖昧なものにして罪の意識を
軽減しようする主体的 な意思による行動ではなく、むしろ
、みんなと一緒に横断歩道を渡たることで無意識 のうち
に集団に同化して安心を得るといった客体化された行為
に思えるのです。

 だから

 そんな時、ボクは、参加するべきか否か…?
半歩ほど足を踏み出したところで一瞬だけ、悩みます。

 そして、大抵の場合は、青信号になるのを待つ変わり者に
なることを選択するのです。

 そうなると、

 「参加することに意義がある」 に秘められた
ほんとうの真実は、案外 …

 「赤信号みんなで渡れば怖くない」 って

 ことなのかも …eq

 そうですよっ、クーベルタン男爵 !?


 この大馬鹿者めが !!! nose6anger

 そう叫ぶと、開いた口がふさがらないままに落胆する
クーベルタンの目に涙が nose9ase 滲(にじ)んだのです。

 
 ごめんなさい! 赤信号を渡る時には、

 より速く、より高く、より強く、

  マチガイ でした !? nose4ase2

 … … … って おいおい! nose3asease

コメント一覧

透明人間5号
スピード狂さん!

お願いですから、やめてください。
スピード狂
なるほど、より速く、より高く、より強く、ですネ。
これから赤信号をわたる時は、そう心がけます。
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