欠員ができたので「どうだ来てみないか」と誘われました。
「みんな気の置けない連中だし、ロートルの集まりだけど
顔見知りになっておいて損はないし、費用は仲間内で負担
する」とのことだったので、タダ酒が飲めるのならばと参加
することにしたのです。
会社絡みの忘年会とは違って一発芸や余興の類を強要
されるようなこともなく、酒に酔いしれ、出てくる料理に舌鼓
を打ちながら他愛のない話に花が咲くといった極々内輪の
宴会ではありましたが、
NHKで12月10日~11日にかけて前・後編で放映された
『撃墜 3人のパイロット~命を奪い合った若者たち』と
いうドキュメンタリードラマが話題になり、ひょんな展開から
撃墜王伝説へと話が移ったときに、
「“世界一の撃墜王”って誰だと思う」
ある先輩が(どうせわからないだろうという顔つきをして)
いきなりボクに話を振ってきたのです。
ボクだって、まったくの無知ではないのですが、うっかり
したことを言うと突っ込みの十字砲火を喰らいそうな雰囲気
だったので首をかしげて神妙にしていると隣の席の先輩が、
助け舟を出すように …
「日本なら“大空のサムライ”坂井三郎(64機撃墜)だろう
けど、世界となるとなあ」
「いやあ、坂井三郎の技量や資質は認めるけど本(大空
のサムライ)の内容と実像とはかなり乖離しているらしい」
「その点で言えば、加藤隼戦闘隊を率いた陸軍航空隊の
加藤建夫中佐だろ。撃墜機数(18機)は少ないけど知名度
は一番じゃないか」
「いやあ、やっぱり数で勝る岩本徹三だろ。なんてったって
撃墜数202機(本人手記による撃墜数で、確実な数字として
141機が報告されている)は断トツだよ
諸先輩方は何故かやたらと詳しいのです
「海軍航空隊では、岩本に次ぐ撃墜数を誇る西沢広義
(“ラバウルの魔王”と呼ばれ、87機を撃墜)もいるぞ」
「おれは、“闘魂の塊”と謳われた杉田庄一(70機撃墜)
がイチオシだな」
「それならば、西沢や坂井と同じく“台南空の三羽烏”と
呼ばれた太田敏夫(34機撃墜)を外すわけにはいかない」
… と、まるでそれは、
全国高校サッカー選手権大会で優勝および準優勝をした
時代の“清水東の三羽烏”(堀池巧

解説者、長谷川健太


現清水エスパルス監督)の活躍に欣喜雀躍していただろう
静岡県のサッカーおっさんたちの様相そのものでした
そんななかで、件の先輩が
「日本じゃなく、世界の撃墜王だよ」
と念を押しながら
「ドイツの空軍では300機超えが2人もいるし、200機超え
も数知れない」
と驚くべき数字を挙げたのです
「世界一の撃墜数っていくつなんですか」
思わずボクが訊ねると、
「エーリッヒ・ハルトマンの352機だな」
「ええっ、“352”って尋常な数じゃないですね」
すると、別の先輩が、
「日本もそうだけど、特にドイツ軍は交代要員が不足気味
で技量のある戦闘機乗りは常に最前線に出されっぱなし
だったことと、対戦国であるソ連の軍用機の質とパイロット
の操縦技術の未熟さも手伝っての撃墜機数だと思うよ」
「それにしても“352”とは笑える数字だよなあ」
失笑する先輩に対して、ビールを注ぎながら件の先輩が
言うには …
「確かに、撃墜機数のベスト7までが東部戦線での数字
(スコア)だから、その意見にはうなづける」
それだけじゃなく
「統一の基準を定め、共同撃墜を4分の1機まで認めると
いうか、個人の戦果を記録し、戦意高揚を期待して個人を
たたえる慣習がドイツにあったということが大きいのかも」
「そういえば、第二次大戦でも終盤になってからは英雄と
目される者たちを“狼の巣”に招待して、勲章などを
授与するのがヒトラーの日課のようになっていたという
ような話を聞いた覚えがあるな」
「“狼の巣”って何ですか」
「ヴォルフス・シャンツェ(狼の砦)と言ってな、東部戦線に
おける作戦行動を指導した総統大本営のひとつで、英語圏
では“狼の巣”として知られているものだよ」
最年長と思しき先輩がボクの問いにそう答えてくれると、
忘年会に誘ってくれた2号さんが …
「ひとことで 撃墜王と言っても、出撃回数や戦闘機の
装備にしろ対戦相手の技量の違いでも差が出るし、単純に
撃墜した数だけでは比較できないんじゃないのかな」
と注文をつけると、
「世界一優秀な戦闘機乗りじゃなく、撃墜王だからなぁ」
「相手関係とか生還率や自機の損失(被撃墜数)なども
考慮するとなると、かえって複雑になって混乱するし …」
「ここはやはり撃墜した数のみで決めるべきだよ」
「ホームラン王に三振の数なんて関係ないもんな」
大方の意見が“数の勝負”に傾くなかで …
「そもそも、日本の軍隊には個人の戦果を記録し、それを
もとに個人を称えるような習慣はなかったはずだし、欧州的
な統一基準などはあてにならない」
と、2号さんは譲りません

「とはいえ、旧日本軍の飛行兵たちにも、5機以上撃墜の
エースという称号は存在していたし、建前上はそうだとして
も、個人的なスコアを愛機に書き並べていたという強者も
少なくないと聞いている」
「いやいや、少なくとも海軍にはエースという称号や制度
は一切存在しないというのが統一見解のはずだよ」
「表向きには否定するにしてもそうした自負は当然あった
はずだし、当時から“撃墜王”という言葉もあったしな」
とにかく、
「Mr.パイロットじゃなく、トップ・エースでいこう」
ということになったのですが …
「ハルトマンを否定するつもりも352機の記録にケチを
つける意図もないけど、彼自身、何度も落されては歩いて
自陣に戻り、再度出撃なんてことを繰り返しているわけで、
ドイツ軍に3桁級がゴロゴロと存在するのは、そうした理由
によるものだ」
「当初、太平洋で劣勢だった米軍ではゼロ戦とは2機以上
の数的優位が確保できない場合には戦闘禁止という規則
があったうえに、出撃のローテーションが確立されていて、
それほどスコアを伸ばせないという事情もあったし」
「日本軍のように洋上を長距離侵攻する航続距離の長い
太平洋上での戦闘では落されたら、まず死は免れないなど
、何度落されても陸続きの戦場ゆえに再チャレンジが可能
なヨーロッパの国々とは条件があまりに違いすぎるよ」
「 ・・・・・・・ 」 「 ・・・・・・・ 」 「 ・・・・・・・ 」
せっかく撃墜機数で合意に近づいていたというのに、自論
(一概には比較・検証ができないのに世界一を決めることは
ナンセンスとの主張)を曲げない2号さんに他の先輩たち
が折れるかたちでこの問題は棚上げとなり、当初からの
話題の中心でもあり、撃墜王談議のキッカケとなった
テレビドラマ『撃墜3人のパイロット』にようやく主役の座
が戻ったのでした。
ちなみに、
撃墜王 No.1は、「エーリッヒ・ハルトマン」 であると
いうことで諸先輩方の見解は一致していたようですが

さて、ドラマ『撃墜』を観た人も多いでしょう。
実在した日中米の飛行兵

日本海軍の武藤金義、中国空軍(国民党軍)の英雄 楽以琴、
初陣のアメリカ兵 ロバート・アップルゲートの3人の若者の
運命が因縁に操られるかのように交錯する物語です。
「愛媛県久良湾で引き上げられた旧日本海軍の戦闘機
“紫電改”を撃墜したのはあなたではないか」と1人の
歴史研究家がアップルゲートのところを訪れるシーンから
このドラマは始まるのですが …
実は、2号さんもハルトマンと武藤金義に材をもとめて
『ブビ(ベイビー)とムトキン』(仮称)という
タイトルでのエントリープランを考えていたのだそうで …
「こないだの忘年会でのことを、今度ブログにしますけど
いいですよね」
「構わんけど、どんな内容なんだ」というわけで、これこれ
しかじか … と大枠を説明すると、
「弱ったなあ、あの時の顚末に合点がいかなかったから
エーリッヒ・ハルトマンについて調べているところなんだよ」
「ブログ・エントリーしようと思ってさぁ」
「 ・・・・・・・・・・・・・・・・ 」
そうこうあって、二言、三言、言葉を交わすと、
「自分をダシに使ってもいいから前振りを入れよう」
そう唐突に言い出し「お前が先にアップしろ」
との指令が下されたのです
某忘年会では、タダ酒においしい料理をごちそうになった
関係上、無碍(むげ)には断れずに業務命令ということで、
前後、逆転する順番でエントリーすることになったのです。
調整の結果、
ボクが忘年会での一幕をブログで紹介して、2号さん
の記事をコマーシャルすることで御破算のチャラだと
いうわけです。
ところが困ったことに、
宣伝しようにも肝心の記事の中身がわからないのです。
2号さんに訊いても「適当でいい」とのカラ返事。
とりあえず、
「ハルトマンは世界最高の撃墜王か」
透明人間2号が渾身の筆を振るう
次回に、乞うご期待を!!
ささやかなクリスマスのプレゼント

こんなんで、どうでしょうか

