そんな中で私は保健室登校を続けていました。
まぁやな奴の噂話や陰口はあり、私も聞こえてましたが聞こえてないフリしてましたね
(病んでましたがね……)
そもそもそんなヤツらと喧嘩したって時間の無駄ですし
でもあんまりに辛くてズル休みをしてしまうことが多くなりました。
でも、そんな中でも友達が出来ました。
彼女も同じように保健室登校をしていて私より2個年が下でした。
話していくうちに段々と仲良くなり、お互い同じ県に住んでいたりしたことから一緒に帰ったりする仲になり、「いつか遊びに行きたいねー」などと話していました。
いい意味で年の差を感じませんでしたし、学校に行くのが辛くとも、保健室に行けばあの子に会える!と思い、彼女の存在は本当に本当に大切なものになりました。
今思えば彼女がいなかったら多分私は4んでいたかもしれません。
それほど彼女は大切な友達で、今でもやり取りを続けています。
あくる日、私は保健室登校のことで母と喧嘩をしてしまいました。
保健室登校をするのが目的になってないか
教室に復帰しなさい
みたいな感じの事を言われ、喧嘩になりました。
その次の日、どうしても辛くて学校に行く気になれませんでした。
親が担任の先生に電話したところ、先生が味方になってくれたのです!
その前の週、私は頑張って三限受けて、その後彼女がもう一限受けるから付き合ってと言ってくれたため、合計四限受けられたのです!
先生がそれを伝えて下さり、その上
『祢音さんは祢音さんなりに頑張っておりますから、それを伝えて欲しいです。』
と伝えてくださったのです。
母は私にその事を伝えたあと
「祢音、道は一つだけじゃないし他にもあるよ」
とおもむろに申していました。
その時、私は母の言っていることがわかりませんでしたが後にこのことが私の人生の分岐点になるとは思ってもいなかったのです。
その日から数日後、私は何気なくティックトックを見ていました。すると、とある文字が
『ん……?通信制高校……?』
名前は聞いたことあるしなんかだいたいイメージはある。
その時の通信制高校のイメージは(ティックトックやネットなどで見ていたイメージ)
・たまにしか行かない(週に1日とか月に1度とか)
・私服
・友達ができにくい
・校則がない
このような感じでした。
その上転校なんて……絶対親が許してくれるはずない……
と思っていました。
しかし……
これはあとから知ったことですが、実は母もこの時、いや、この時以前から通信制高校について調べていたそうでした。
私に知られないようにそっと合同説明会に行ったり資料集めをしたり……
その事を親から知らされた時はとても驚きました。
その上、親いわく
『通信制高校にも色々あって毎日通う「全日型(通学型)コース」がある。そこは制服があるところが多くて校則もある。』
と今までのイメージを覆すことを……
その時はそんなのもあるのか……くらいでしたが……ある日あることがあり、実際に見学に行くことになるとは思いもしませんでした。
ここで書くと長くなってしまうのでそれは次のブログで書こうと思います。
※次のブログでは少し過激な表現が含まれかねません。
苦手な方はスルー推奨です。
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