主人の古希祝いに、軽井沢に行ってきました。
9月7日 一日目雨
大阪組の私達3人と、東京に住む4人(夫婦と5歳児と三歳児)、東京駅構内で、待ち合わせ
東京発 長野新幹線 で、軽井沢へゴー
軽井沢駅 なんと、霧がかかってます。寒い! 木々も薄く白く見えて、3歳児が「しろーい!」
レンタカー屋さんの駐車場の花、とても可愛くて、思わずパチり
周りは、まだ、霧が・・・ 霧が、晴れてきたよ
チャイルドシートをセットして、いざ出発
ランチした店の駐車場あたり
美味しいランチを食べ、ガラス工芸屋さんで、皆で記念の品を手作り(お嫁さんの発案です) 世界にひとつの手作りプレゼント
お嫁さんと孫の手作りろうそく 全員が手を加え、絵や文字を書いた花瓶
軽井沢ガラス工房 この中で作ったよ りす もいたよ くるくる 忙しく動いていたね
夕食は、小諸まで、足をのばしました
地元の壁新聞には、世界遺産と書かれてる宿
島崎藤村が常宿していた「はりこし亭」(築141年の国の登録有形文化財)
ここで、夕食をいただきました。
食後は、石段を登って、離れの温泉 へ、・・・息子と主人の三人は男湯、女湯は四人(おちびちゃんも)
外湯も中湯も、ぷかぷか楽しみました。 可愛い手で、背中流してくれて、感激!
ここの露天風呂は、高台にあって、千曲川を見下ろし、はるか北アルプスが見えるそうです(雨で見えず
)
それに、10月から5月は、りんご風呂になり
浴槽に甘い香りがするそうです
雨でアルプスは見えなかったけれど、緑の道を楽しみながら、軽井沢塩沢の森ログホテルへ
二階に二部屋、ベッドが三つづつ テラス
夜に、孫が寝た後、一階のリビングで、地元のワインやお酒で宴会する予定が、みんな寝てしまいました
9月8日 二日目雨
翌朝は、オリンピック東京開催が決まった様子を、一階リビングテレビで見れました
ピンポンピンポーンと、ワゴン車で、朝食が届きました。焼き立てパンが美味しい!オムレツも
軽井沢千住博美術館へ 地形を生かした建物も、中の絵も素敵! ここは、 大人も子供も楽しめます。おすすめ
ランチは、 前日30分待ちで、あきらめた美味しいピザの店、10分待ちにつきリベンジして食べることが出来ました
このほかにも、あちこち行きました。5歳児に「どこが一番楽しかった?」と聞いたら、「えーっとね。ぜーんぶ」と答えてくれました。
雨雨
の、軽井沢の緑を楽しんだ一泊二日旅行でした。みんな、ありがとう
ラッキーでした 羽田から伊丹へ、 機内アナウンスあり「右側に、まもなく、富士山が見えます」
あまりに綺麗だったので、バッグからカメラを持ち出し、写しました
とても寒い日だったので、特に綺麗だったようです。隣のイケメン君も、写していました。
2013年2月17日昨日の夕方です
東京二子玉川の高島屋6階レストランで、遅いランチ中
お嫁さんと私と幼子二人(2歳9ヶ月と9ヶ月)、大地震に遭遇す。
きゃー、わー、ガチャーン!怖い!怖い!どうしよう!
机の下に、9ヶ月の孫抱きかかえ、お嫁さんも抱えるようにして、もぐりこむ。
揺れて、揺れて、未だ止まらない。変だ!これは何だ。普通の地震じゃない。「大丈夫!大丈夫」と声かけながらも、
夢の中なの?おかしい!これは、おかしい!地震にしては、長すぎる。東京が、おかしくなった?
阪神大震災の時と、頭の中で比べる。机の支え棒に夢中でしがみついた。身を屈めながら。
「この建物は、耐震構造が、しっかりしております」と、何回もアナウンス。
そうだ、高い建物は、遊びが作ってあるんだった、大丈夫!それにしても、揺れすぎ!どうなってるの?
長い時間が経ち、(5分以上)やっとおさまりまりました。
「危ないですから、動かないでください。」と、箒で、落ちてこわれた食器を、はいてくれる。
ともかく無事を知らせなくてはと、右手でぐずる孫抱き、左手の携帯でメールを操作。
「だいじよび げをきだ」
震えて、うまくいかない。とりあえず送信。
電気が消え、エレベーター、エスカレーターは、とまっている。ほとんどの皆さん、慌てて、下の階に、階段で降りる。
高島屋のレストランのスタッフの方が、レストラン街の広い廊下に、折りたたみ椅子を円く並べてくださる。座る。
しばらく、皆黙り、呆然! 時々、揺れる。「揺れる~」と、子供達。言葉を覚え始めた2歳児も。
冷たいお絞りと紙コップの水をだしてくださる。しばらくしたら、温かいお絞りも。ありがたい。
6階に残されたのは、二人ずつの子連れ、3家族だけ。
小学校2年の女の子「頭が痛い」と、青い顔。
時々、高島屋の人が「大丈夫ですか?困ったこたは、ありませんか?」と、声かけてくださる。
余震の合間に、トイレに行く余裕も出来、粉ミルクの為の湯ももらえ、子供同士遊び始めた。
ハイハイする孫を、小2のお兄ちゃんが、「可愛い」と、かまってくれる。
おやつも、お互いに分けっこする。
電車ごっこまでして、元気!
「お腹すいた」と、お兄ちゃん。
非常事態なので、6時で各売り場は閉店。シャッターの降りる音がしてから、半時間ほどして、お迎えが。
階段を、高島屋の人たちの手を借りて(赤ん坊は、バギーに乗せたまま)、2歳のは抱っこしたりして、無事1階ロビーへ。
あふれる人々。高島屋は、避難所と化していました。
少し離れたところの大型テレビに、火事の様子が映り、尋常でない地震の有様に、恐ろしさを知りはじめました。
携帯も繋がり悪く電話は通じず。思うようにメールも行き来しません。外の様子を、大阪からのメールで知りました。
交通が止まったので、これは、泊り込むしかないと覚悟を、決めました。
こわごわ、帰る方法はないかと、外を偵察しに行きました。いっぱいの人が、歩いています。
バスは、1時間半待っても、来ないそう。寒い!
駅前ビルには、あふれる避難の人々が、所狭しと、膝を抱えて、座っています。
寒風の中、駅の階段に座っている人も。
喫茶店のパンも売り切れ、薬屋でカロリーメイトを手に入れ、高島屋に帰る。
9時頃、カンパンと紙コップの水を、ワゴンで、配ってくださいました。ありがたい!
やはり泊まるしかない。あきらめかけた夜遅く、「ただいま、東急電車が動き始めました。」と、アナウンスあり。
少し待って、電車乗り換え乗換え、家に向かいました。
押しつぶされそうな混み具合に、ホームに降りたとたん、2歳児は、可哀相に、ひっくり返って泣き出してしまいました。
日付が変わった深夜に、大田区の家に、無事、着きました。
余震怖く、服を着たまま横になりました。夜通し、ヘリコプターの音が、していました。
少し落ち着いた13日に、大阪に帰ってきました。
帰阪してから、次々と、この災害の大きさを知り、恐ろしくなりました。
東北地方の方々、本当に、本当に、よく頑張っておられます。
寒さ厳しく食料少ないところでも、譲り合って励ましあって、すごいなぁと思います。
水道の水を安心して飲める今の生活が、なんとありがたいことか。
便利さに慣れ、備え薄い生活を、反省しています。
東北の方々とはくらべものにならないけれど、子や孫に何かあったらと、怖い思いを、してしまいました。
東北地方の、一日も早い復興を、せつに、願っています。
もう、これ以上、つらい思いをされませんように。