東京二子玉川の高島屋6階レストランで、遅いランチ中
お嫁さんと私と幼子二人(2歳9ヶ月と9ヶ月)、大地震に遭遇す。
きゃー、わー、ガチャーン!怖い!怖い!どうしよう!
机の下に、9ヶ月の孫抱きかかえ、お嫁さんも抱えるようにして、もぐりこむ。
揺れて、揺れて、未だ止まらない。変だ!これは何だ。普通の地震じゃない。「大丈夫!大丈夫」と声かけながらも、
夢の中なの?おかしい!これは、おかしい!地震にしては、長すぎる。東京が、おかしくなった?
阪神大震災の時と、頭の中で比べる。机の支え棒に夢中でしがみついた。身を屈めながら。
「この建物は、耐震構造が、しっかりしております」と、何回もアナウンス。
そうだ、高い建物は、遊びが作ってあるんだった、大丈夫!それにしても、揺れすぎ!どうなってるの?
長い時間が経ち、(5分以上)やっとおさまりまりました。
「危ないですから、動かないでください。」と、箒で、落ちてこわれた食器を、はいてくれる。
ともかく無事を知らせなくてはと、右手でぐずる孫抱き、左手の携帯でメールを操作。
「だいじよび げをきだ」
震えて、うまくいかない。とりあえず送信。
電気が消え、エレベーター、エスカレーターは、とまっている。ほとんどの皆さん、慌てて、下の階に、階段で降りる。
高島屋のレストランのスタッフの方が、レストラン街の広い廊下に、折りたたみ椅子を円く並べてくださる。座る。
しばらく、皆黙り、呆然! 時々、揺れる。「揺れる~」と、子供達。言葉を覚え始めた2歳児も。
冷たいお絞りと紙コップの水をだしてくださる。しばらくしたら、温かいお絞りも。ありがたい。
6階に残されたのは、二人ずつの子連れ、3家族だけ。
小学校2年の女の子「頭が痛い」と、青い顔。
時々、高島屋の人が「大丈夫ですか?困ったこたは、ありませんか?」と、声かけてくださる。
余震の合間に、トイレに行く余裕も出来、粉ミルクの為の湯ももらえ、子供同士遊び始めた。
ハイハイする孫を、小2のお兄ちゃんが、「可愛い」と、かまってくれる。
おやつも、お互いに分けっこする。
電車ごっこまでして、元気!
「お腹すいた」と、お兄ちゃん。
非常事態なので、6時で各売り場は閉店。シャッターの降りる音がしてから、半時間ほどして、お迎えが。
階段を、高島屋の人たちの手を借りて(赤ん坊は、バギーに乗せたまま)、2歳のは抱っこしたりして、無事1階ロビーへ。
あふれる人々。高島屋は、避難所と化していました。
少し離れたところの大型テレビに、火事の様子が映り、尋常でない地震の有様に、恐ろしさを知りはじめました。
携帯も繋がり悪く電話は通じず。思うようにメールも行き来しません。外の様子を、大阪からのメールで知りました。
交通が止まったので、これは、泊り込むしかないと覚悟を、決めました。
こわごわ、帰る方法はないかと、外を偵察しに行きました。いっぱいの人が、歩いています。
バスは、1時間半待っても、来ないそう。寒い!
駅前ビルには、あふれる避難の人々が、所狭しと、膝を抱えて、座っています。
寒風の中、駅の階段に座っている人も。
喫茶店のパンも売り切れ、薬屋でカロリーメイトを手に入れ、高島屋に帰る。
9時頃、カンパンと紙コップの水を、ワゴンで、配ってくださいました。ありがたい!
やはり泊まるしかない。あきらめかけた夜遅く、「ただいま、東急電車が動き始めました。」と、アナウンスあり。
少し待って、電車乗り換え乗換え、家に向かいました。
押しつぶされそうな混み具合に、ホームに降りたとたん、2歳児は、可哀相に、ひっくり返って泣き出してしまいました。
日付が変わった深夜に、大田区の家に、無事、着きました。
余震怖く、服を着たまま横になりました。夜通し、ヘリコプターの音が、していました。
少し落ち着いた13日に、大阪に帰ってきました。
帰阪してから、次々と、この災害の大きさを知り、恐ろしくなりました。
東北地方の方々、本当に、本当に、よく頑張っておられます。
寒さ厳しく食料少ないところでも、譲り合って励ましあって、すごいなぁと思います。
水道の水を安心して飲める今の生活が、なんとありがたいことか。
便利さに慣れ、備え薄い生活を、反省しています。
東北の方々とはくらべものにならないけれど、子や孫に何かあったらと、怖い思いを、してしまいました。
東北地方の、一日も早い復興を、せつに、願っています。
もう、これ以上、つらい思いをされませんように。