○今井澄君 ただいま議題となりました法律案につきまして、民主党・新緑風会を代表して、小泉総理及び関係大臣に質問いたします。
今回の健康保険法改正案は、抜本改革を先送りしたまま負担増だけを国民に押し付けるものであり、小泉総理が橋本内閣の厚生大臣であったときの一九九七年抜本改革と同じ轍を踏んでいるというのが国民大多数の受け止め方であります。
そこで、まず第一にお伺いしたいことは、なぜ一九九七年抜本改革が失敗したのかということについての認識と反省であります。
先ほどの総理の答弁をお聞きしますと、部分的には進んで、残ったのは老人医療費だけだと。とんでもない認識だと思うんですが、時間がありませんのでそこはカットしましたので、後で聞きます。
そこで、まず第一にお伺いしたいことは、この一九九七年抜本改革がなぜ失敗したのかということについての認識と反省であります。
小泉総理は、一九九七年抜本改革が失敗した理由について、例えば、今国会の二月二十五日の衆議院予算委員会で次のように答弁しておられます。まず政権の枠組みが変わったということ、総理も替わりましたね、これが一番大きかったと思いますね、それと、総論として大方こういう方向だろうと一致していたんですが、いざ具体論になりますと利害関係者が多いです、この調整がなかなか付きにくかった、こう答弁しておられます。そして、当時さきがけが与党だったとか、公明党が野党の新進党で反対したとかいうことまで持ち出して、他の党にまで責任を転嫁するような言い訳めいた答弁でした。
私は、忘れもしません、一九九七年抜本改革の同じ健保法改正案のとき、この参議院本会議で、やはり民主党・新緑風会を代表して当時の橋本総理及び小泉厚生大臣に次のような趣旨の質問をいたしました。一九八四年の健保法改正をめぐる議論以降、抜本改革のメニューはほぼ出そろっているのではないか、あとは利害調整の場となっている審議会などに頼るのではなくて、政治主導で大胆な決断をするべきではないかと。
それに対して橋本総理は、御指摘のとおりだが、具体論になると全く対立する意見があってできなかったと、しかし、医療提供体制と医療保険制度の両面にわたる改革を実施することはもう避けて通れないんだという趣旨の御答弁があって、続いて、当時の厚生大臣であった小泉総理は、今、総理からお答えしたとおりだが、政治主導で大胆な決断をする必要があるということには全く同感でありますと、例の熱意を込めた言葉で答えられました。これはもとより政治家の決断であり、心して掛かっていかなきゃならないということを認識しております、こう答弁しておられました。
その後の参議院国民福祉委員会での質疑を通して、私は、小泉総理の医療改革についての御認識と改革への決意の強さを肌で感じまして、あなたを医療改革を進める上では党派を超えて我が同志として考えるようになりました。そして、その後、一九九九年の末、予算編成のときに、医師会からいろいろ圧力があって開かれた自民党厚生族のいわゆるボス会議で、高齢者の薬剤費別途負担を予算措置で政府が肩代わりすることで免除しようという暴挙に出たわけですが、小泉さんただ一人が反対されたということを聞いて、さすが小泉さん、ますます私は小泉さんに対する期待を持ったわけであります。
したがって、民主党の中にもいろいろ意見はありましたが、小泉内閣が成立したときに、私は、小泉さんなら、小泉内閣なら医療の抜本改革ができるのではないか、こういう期待を寄せてまいりました。しかし今、期待は裏切られつつあると言わざるを得ないのです。
もう一度お尋ねします。一九九七年抜本改革は失敗したんじゃないか。先ほどのような言い訳の答弁ではなく、あれは官僚の言い訳ですよ。答弁を見ても、薬価差益が三分の一に減った、これが抜本改革ですか。抜本改革は失敗したんだときっちり認識しておられるのかどうかということも含めて、失敗した原因がどこにあると考えておられるのか、今度こそ抜本改革はできると言うなら、その担保は何なのかということをお答えいただきたいのです。
言葉を換えれば、政治主導とは言いながら、官僚に依存し、関係団体の利害調整をするという自民党政治では抜本改革ができないんだということを本当に深刻に認識し、反省しておられるのかという、そういうことなんであります。小泉内閣成立時に打ち上げた、自民党を変える、自民党を壊すという姿勢はどこへ行ってしまったのか、お尋ねいたします。
次に、サラリーマンの三割自己負担問題について三点お尋ねいたします。
まず第一点は、何で三割負担が唐突に出てきたかということであります。
世の中というのは恐ろしいもので、半年前に出てから、もう今三割負担が常識のように議論されますけれども、半年前までは三割負担はコンセンサスを得ていなかったんですよ。二割負担というのをみんな考えていたんです。一九九七年抜本改革の議論においては、二割負担への統一が、私どもは反対しましたけれども、広くコンセンサスを得ていたのではないかと考えられます。あの議論の、十三年前の一九八四年にこの健保法が改正されて、健保法改正の本則には二割負担、しかし、附則に、国会の議決、承認を受けるまでは一割負担ということが激論の末修正されて盛り込まれました。
小泉総理御自身も、一九九七年の厚生祉委員会でこう答えておられるんですね。一割がいい、二割がいい、三割がいいということは断定できませんけれども、全部二割がいい、統一しなさいという考え方は当然ありますから、それは十分私は検討する価値があると思います。つまり、二割に統一するというのは、国保の三割も、いずれ二割に上げたいという、当時はそういう議論だったんですね。なのに、わずか五年で、国民的な議論を一切行わないままに、しかも抜本改革ができないままに何で唐突に去年の九月に三割負担が出てきたんですか。その理由を答えてください。
第二点は、そもそも公的医療保険制度における財源負担問題の自己負担についての在り方の問題です。
医療費の財源は、保険料と自己負担と公費の三つしかありません。その割合をどうするかというのは、公的医療保険制度、国民皆保険制度を維持するのかどうか、この在り方をどうするかという基本、理念や哲学に関する重要な問題です。金がないから自己負担じゃ余りにも情けないです。
三割負担の是非を論ずることは、私はこの時点では必要かつやむを得ないことだと思います。国民がいいと言うなら、将来、三割負担ということもあるのかもしれません、私どもは断固今反対ですけれども。しかし、それは小泉総理御自身が繰り返し言っておられるように、自己負担だけじゃなくて、税も保険料も最終的には国民が負担するわけですから、議論を尽くしてこの割合をどうするかということ、国民の合意を得なければならない問題なんです。
医療保険制度をひもといてみると、そもそも、これは小泉総理の御答弁を丹念に見ると非常に面白いんですけれども、共産党や何かに対しては敵意を持った答弁が多いんですけれども、何か、社会保障とか医療保険というのも、何か社会主義の制度のように思っているんじゃないかと思うんですけれども、とんでもないんですよ。そもそもこの医療保険制度は、産業社会勃興時における助け合いの制度として会社が始めたんですよ。一九二二年に健康保険が施行されたときは十割給付だったんです。ふだんから会社の企業主と従業員とでともにお金を出して積み立てておいて、いざ従業員が病気になったときはその積立金で治療する、だから安心して目一杯働けと、超勤も徹底的にやれと、そのために作った制度なんですよ。だから、国民健康保険制度においても、国保組合なんというのは最近まで十割給付だったじゃないですか。
しかし、その後、老人医療費を無料化した。いい面もありますけれども、非常に問題があって、医療機関と患者の双方にモラルハザードが生じたり、コスト意識がなくなったということで、そのコスト意識の喚起が必要であるという考え方が広まったわけです。そして、一定の自己負担が必要であるということが共通の認識になって、自己負担によるコスト意識を喚起して医療費の無駄を省くという、こういう手法が実は一時世界の潮流にもなったわけですね。
しかし、今では、その医療費抑制効果はほとんどないということで、先進各国は、今はやりの言葉で言えばサプライサイド、医療機関の方をどうコントロールするのか、出来高払をやめるとか、そういう手法に転換していっているんですけれども、日本の方はその内容に手を付けずに、自己負担を増やすということで医療費抑制策をやると。それを繰り返してきた。その結果、今、ヨーロッパ諸国に比べて自己負担比率が突出して高い国になっちゃったじゃないですか。これをどう考えるんですか。既に、公的医療保険制度としては自己負担の限界を超えているのではないかというふうに考えます。
公的医療保険制度は、基本的には保険料を中心に財政運営を進めるべきだと考えますし、保険料を上げないためにこそ、自助努力として、保険者機能の強化が必要だということが論じられているんじゃないでしょうか。この点について、総理及び財務大臣の御意見をお伺いしたいと思います。
第三点目は、なぜ来年四月実施でなければならないかということです。
今回の三割負担問題は、単なる政府管掌保険の財政失敗の問題だけじゃないですか、財政対策じゃないですか。国保はもう三割負担だから関係ないです。健保組合には苦しいところもありますけれども、今すぐ三割にしなけりゃやっていけないわけじゃないし、健保連からそんな要望が出たというのは私は聞いておりません。むしろ、健保組合は老人医療費の拠出金を何とかしてくれと言っているわけですよ。
政管健保の財政運営は厚生労働省の所管ですけれども、過去において、三Kの一つとしていつも苦しい運営を強いられてきたにもかかわらず、景気が良くて財政状況がいいときには保険料率を下げたり、公費負担割合を下げたり、挙げ句の果てには国の財源出しのために隠れ借金の財源として利子なしで国に貸したり、実にでたらめな財政運営をやってきました。我々はその都度それを指摘したんです。この政管健保の財政運営の失敗は、過去の厚生省の責任であるだけでなく、政府全体の責任じゃないですか。その処理をするのに国民にいきなり患者の自己負担増なんて、これはひどいじゃないですか。しかも、三割負担をすることによって、今年度予算の財政効果はわずか予算上二百億でしょう。そのためにやるほどのことですか。
しかも、保険料を上げられないということについては、厚生官僚が保険料率についての情報操作を行ったことは明らかで、小泉総理もそれにだまされ掛かったじゃないですか。官僚に踊らされて、いわゆる抵抗勢力との駆け引きの具に使われて、三方一両損などという何か中身の分からない言葉で無理やり総理の改革姿勢を打ち出そうということで実施されるとすれば、国民は救われません。なぜ来年四月一日で期限を切らなきゃならないのかという理由をはっきり答えてください。
医療費をファイナンスする保険制度の改革も大事です。老人医療制度も大事です。私は老人医療制度の新しい制度を作る必要ないと思っていますが、まあ、それはいいです。
もう一つ大事なのは、医療そのものの抜本改革なんですね。情報提供の問題とか、病院の数をぐっと減らして機能を高めるとか、家庭医制度を作るとか、診療報酬の問題とか、問題は極めて多岐にわたります。かつ個別具体的ですので、本日は質問せずに、これからの厚生労働委員会の審議に譲ります。
質問しない理由のもう一つは、今国会の衆参両院の各種会議録を丹念に読んでみましたが、具体的な御答弁は一つもありません。まあ、内容がないということもあるんですけれども、ここで答えてもろくな答弁がいただけずに、時間の無駄だと考えます。また、民主党が提出しているいわゆる患者の権利法案、これも十分ではありませんけれども、これについても、施政方針演説の演説に対して我が党の代表が質問したけれども、ただ逃げる答弁だけでしたので、今回再提出しておりますが、質問しません。
ただ、一点だけお伺いします。
現在、日本の医療制度が抜本改革をしかも緊急に必要としている危機的な状況の一つは、医療事故の多発や情報隠しなどに見られるような医療現場の荒廃と、医師と患者の間の信頼関係の喪失なんです。こういった問題について国がどこまで関与すべきかについてはいろいろ議論のあるところです。
しかし、国が最低限やらなければならないことがあります。それは、国民主体の改革が国民の参加の下でできるように枠組みを作ることであって、そのためには官僚主導を排して縦割り行政の弊害を取り除くことは少なくとも政府の責任であり、特に総理というお立場での大事な責任です。
現在の医師の養成は、患者主体、地域主体の立場には全く立っておりません。医学知識とか医学技術とか専門医養成という立場に立ってしか行われていないんです。大学で行われているんです。しかも、それは地域の病院の医師人事の支配までが研究・教育機関である大学の医局講座が支配しているんです。地域は病院すら医者を選べないんです。この日本特有の異常な状況を改革する必要があるんです。
幸い、二〇〇四年から医師の卒後研修が義務化されます。この卒後研修を現場主体にするためには……
○今井澄君(続) 分かりました。
文部科学省と厚生労働省が縦割りでやっていたんでは駄目です。私は厚生労働省の官僚主導がいいとは思いませんが、厚生労働省に一元化すべきだと思います。このことについて、総理と文部科学大臣及び厚生労働大臣のお考えを伺います。
これほど大幅会期を延長してまで通すべき重要法案であるならば、予算委員会並みに厚生労働委員会にも御参加いただけることを期待して、私の質問を終わります。
ありがとうございました。(拍手)
今回の健康保険法改正案は、抜本改革を先送りしたまま負担増だけを国民に押し付けるものであり、小泉総理が橋本内閣の厚生大臣であったときの一九九七年抜本改革と同じ轍を踏んでいるというのが国民大多数の受け止め方であります。
そこで、まず第一にお伺いしたいことは、なぜ一九九七年抜本改革が失敗したのかということについての認識と反省であります。
先ほどの総理の答弁をお聞きしますと、部分的には進んで、残ったのは老人医療費だけだと。とんでもない認識だと思うんですが、時間がありませんのでそこはカットしましたので、後で聞きます。
そこで、まず第一にお伺いしたいことは、この一九九七年抜本改革がなぜ失敗したのかということについての認識と反省であります。
小泉総理は、一九九七年抜本改革が失敗した理由について、例えば、今国会の二月二十五日の衆議院予算委員会で次のように答弁しておられます。まず政権の枠組みが変わったということ、総理も替わりましたね、これが一番大きかったと思いますね、それと、総論として大方こういう方向だろうと一致していたんですが、いざ具体論になりますと利害関係者が多いです、この調整がなかなか付きにくかった、こう答弁しておられます。そして、当時さきがけが与党だったとか、公明党が野党の新進党で反対したとかいうことまで持ち出して、他の党にまで責任を転嫁するような言い訳めいた答弁でした。
私は、忘れもしません、一九九七年抜本改革の同じ健保法改正案のとき、この参議院本会議で、やはり民主党・新緑風会を代表して当時の橋本総理及び小泉厚生大臣に次のような趣旨の質問をいたしました。一九八四年の健保法改正をめぐる議論以降、抜本改革のメニューはほぼ出そろっているのではないか、あとは利害調整の場となっている審議会などに頼るのではなくて、政治主導で大胆な決断をするべきではないかと。
それに対して橋本総理は、御指摘のとおりだが、具体論になると全く対立する意見があってできなかったと、しかし、医療提供体制と医療保険制度の両面にわたる改革を実施することはもう避けて通れないんだという趣旨の御答弁があって、続いて、当時の厚生大臣であった小泉総理は、今、総理からお答えしたとおりだが、政治主導で大胆な決断をする必要があるということには全く同感でありますと、例の熱意を込めた言葉で答えられました。これはもとより政治家の決断であり、心して掛かっていかなきゃならないということを認識しております、こう答弁しておられました。
その後の参議院国民福祉委員会での質疑を通して、私は、小泉総理の医療改革についての御認識と改革への決意の強さを肌で感じまして、あなたを医療改革を進める上では党派を超えて我が同志として考えるようになりました。そして、その後、一九九九年の末、予算編成のときに、医師会からいろいろ圧力があって開かれた自民党厚生族のいわゆるボス会議で、高齢者の薬剤費別途負担を予算措置で政府が肩代わりすることで免除しようという暴挙に出たわけですが、小泉さんただ一人が反対されたということを聞いて、さすが小泉さん、ますます私は小泉さんに対する期待を持ったわけであります。
したがって、民主党の中にもいろいろ意見はありましたが、小泉内閣が成立したときに、私は、小泉さんなら、小泉内閣なら医療の抜本改革ができるのではないか、こういう期待を寄せてまいりました。しかし今、期待は裏切られつつあると言わざるを得ないのです。
もう一度お尋ねします。一九九七年抜本改革は失敗したんじゃないか。先ほどのような言い訳の答弁ではなく、あれは官僚の言い訳ですよ。答弁を見ても、薬価差益が三分の一に減った、これが抜本改革ですか。抜本改革は失敗したんだときっちり認識しておられるのかどうかということも含めて、失敗した原因がどこにあると考えておられるのか、今度こそ抜本改革はできると言うなら、その担保は何なのかということをお答えいただきたいのです。
言葉を換えれば、政治主導とは言いながら、官僚に依存し、関係団体の利害調整をするという自民党政治では抜本改革ができないんだということを本当に深刻に認識し、反省しておられるのかという、そういうことなんであります。小泉内閣成立時に打ち上げた、自民党を変える、自民党を壊すという姿勢はどこへ行ってしまったのか、お尋ねいたします。
次に、サラリーマンの三割自己負担問題について三点お尋ねいたします。
まず第一点は、何で三割負担が唐突に出てきたかということであります。
世の中というのは恐ろしいもので、半年前に出てから、もう今三割負担が常識のように議論されますけれども、半年前までは三割負担はコンセンサスを得ていなかったんですよ。二割負担というのをみんな考えていたんです。一九九七年抜本改革の議論においては、二割負担への統一が、私どもは反対しましたけれども、広くコンセンサスを得ていたのではないかと考えられます。あの議論の、十三年前の一九八四年にこの健保法が改正されて、健保法改正の本則には二割負担、しかし、附則に、国会の議決、承認を受けるまでは一割負担ということが激論の末修正されて盛り込まれました。
小泉総理御自身も、一九九七年の厚生祉委員会でこう答えておられるんですね。一割がいい、二割がいい、三割がいいということは断定できませんけれども、全部二割がいい、統一しなさいという考え方は当然ありますから、それは十分私は検討する価値があると思います。つまり、二割に統一するというのは、国保の三割も、いずれ二割に上げたいという、当時はそういう議論だったんですね。なのに、わずか五年で、国民的な議論を一切行わないままに、しかも抜本改革ができないままに何で唐突に去年の九月に三割負担が出てきたんですか。その理由を答えてください。
第二点は、そもそも公的医療保険制度における財源負担問題の自己負担についての在り方の問題です。
医療費の財源は、保険料と自己負担と公費の三つしかありません。その割合をどうするかというのは、公的医療保険制度、国民皆保険制度を維持するのかどうか、この在り方をどうするかという基本、理念や哲学に関する重要な問題です。金がないから自己負担じゃ余りにも情けないです。
三割負担の是非を論ずることは、私はこの時点では必要かつやむを得ないことだと思います。国民がいいと言うなら、将来、三割負担ということもあるのかもしれません、私どもは断固今反対ですけれども。しかし、それは小泉総理御自身が繰り返し言っておられるように、自己負担だけじゃなくて、税も保険料も最終的には国民が負担するわけですから、議論を尽くしてこの割合をどうするかということ、国民の合意を得なければならない問題なんです。
医療保険制度をひもといてみると、そもそも、これは小泉総理の御答弁を丹念に見ると非常に面白いんですけれども、共産党や何かに対しては敵意を持った答弁が多いんですけれども、何か、社会保障とか医療保険というのも、何か社会主義の制度のように思っているんじゃないかと思うんですけれども、とんでもないんですよ。そもそもこの医療保険制度は、産業社会勃興時における助け合いの制度として会社が始めたんですよ。一九二二年に健康保険が施行されたときは十割給付だったんです。ふだんから会社の企業主と従業員とでともにお金を出して積み立てておいて、いざ従業員が病気になったときはその積立金で治療する、だから安心して目一杯働けと、超勤も徹底的にやれと、そのために作った制度なんですよ。だから、国民健康保険制度においても、国保組合なんというのは最近まで十割給付だったじゃないですか。
しかし、その後、老人医療費を無料化した。いい面もありますけれども、非常に問題があって、医療機関と患者の双方にモラルハザードが生じたり、コスト意識がなくなったということで、そのコスト意識の喚起が必要であるという考え方が広まったわけです。そして、一定の自己負担が必要であるということが共通の認識になって、自己負担によるコスト意識を喚起して医療費の無駄を省くという、こういう手法が実は一時世界の潮流にもなったわけですね。
しかし、今では、その医療費抑制効果はほとんどないということで、先進各国は、今はやりの言葉で言えばサプライサイド、医療機関の方をどうコントロールするのか、出来高払をやめるとか、そういう手法に転換していっているんですけれども、日本の方はその内容に手を付けずに、自己負担を増やすということで医療費抑制策をやると。それを繰り返してきた。その結果、今、ヨーロッパ諸国に比べて自己負担比率が突出して高い国になっちゃったじゃないですか。これをどう考えるんですか。既に、公的医療保険制度としては自己負担の限界を超えているのではないかというふうに考えます。
公的医療保険制度は、基本的には保険料を中心に財政運営を進めるべきだと考えますし、保険料を上げないためにこそ、自助努力として、保険者機能の強化が必要だということが論じられているんじゃないでしょうか。この点について、総理及び財務大臣の御意見をお伺いしたいと思います。
第三点目は、なぜ来年四月実施でなければならないかということです。
今回の三割負担問題は、単なる政府管掌保険の財政失敗の問題だけじゃないですか、財政対策じゃないですか。国保はもう三割負担だから関係ないです。健保組合には苦しいところもありますけれども、今すぐ三割にしなけりゃやっていけないわけじゃないし、健保連からそんな要望が出たというのは私は聞いておりません。むしろ、健保組合は老人医療費の拠出金を何とかしてくれと言っているわけですよ。
政管健保の財政運営は厚生労働省の所管ですけれども、過去において、三Kの一つとしていつも苦しい運営を強いられてきたにもかかわらず、景気が良くて財政状況がいいときには保険料率を下げたり、公費負担割合を下げたり、挙げ句の果てには国の財源出しのために隠れ借金の財源として利子なしで国に貸したり、実にでたらめな財政運営をやってきました。我々はその都度それを指摘したんです。この政管健保の財政運営の失敗は、過去の厚生省の責任であるだけでなく、政府全体の責任じゃないですか。その処理をするのに国民にいきなり患者の自己負担増なんて、これはひどいじゃないですか。しかも、三割負担をすることによって、今年度予算の財政効果はわずか予算上二百億でしょう。そのためにやるほどのことですか。
しかも、保険料を上げられないということについては、厚生官僚が保険料率についての情報操作を行ったことは明らかで、小泉総理もそれにだまされ掛かったじゃないですか。官僚に踊らされて、いわゆる抵抗勢力との駆け引きの具に使われて、三方一両損などという何か中身の分からない言葉で無理やり総理の改革姿勢を打ち出そうということで実施されるとすれば、国民は救われません。なぜ来年四月一日で期限を切らなきゃならないのかという理由をはっきり答えてください。
医療費をファイナンスする保険制度の改革も大事です。老人医療制度も大事です。私は老人医療制度の新しい制度を作る必要ないと思っていますが、まあ、それはいいです。
もう一つ大事なのは、医療そのものの抜本改革なんですね。情報提供の問題とか、病院の数をぐっと減らして機能を高めるとか、家庭医制度を作るとか、診療報酬の問題とか、問題は極めて多岐にわたります。かつ個別具体的ですので、本日は質問せずに、これからの厚生労働委員会の審議に譲ります。
質問しない理由のもう一つは、今国会の衆参両院の各種会議録を丹念に読んでみましたが、具体的な御答弁は一つもありません。まあ、内容がないということもあるんですけれども、ここで答えてもろくな答弁がいただけずに、時間の無駄だと考えます。また、民主党が提出しているいわゆる患者の権利法案、これも十分ではありませんけれども、これについても、施政方針演説の演説に対して我が党の代表が質問したけれども、ただ逃げる答弁だけでしたので、今回再提出しておりますが、質問しません。
ただ、一点だけお伺いします。
現在、日本の医療制度が抜本改革をしかも緊急に必要としている危機的な状況の一つは、医療事故の多発や情報隠しなどに見られるような医療現場の荒廃と、医師と患者の間の信頼関係の喪失なんです。こういった問題について国がどこまで関与すべきかについてはいろいろ議論のあるところです。
しかし、国が最低限やらなければならないことがあります。それは、国民主体の改革が国民の参加の下でできるように枠組みを作ることであって、そのためには官僚主導を排して縦割り行政の弊害を取り除くことは少なくとも政府の責任であり、特に総理というお立場での大事な責任です。
現在の医師の養成は、患者主体、地域主体の立場には全く立っておりません。医学知識とか医学技術とか専門医養成という立場に立ってしか行われていないんです。大学で行われているんです。しかも、それは地域の病院の医師人事の支配までが研究・教育機関である大学の医局講座が支配しているんです。地域は病院すら医者を選べないんです。この日本特有の異常な状況を改革する必要があるんです。
幸い、二〇〇四年から医師の卒後研修が義務化されます。この卒後研修を現場主体にするためには……
○今井澄君(続) 分かりました。
文部科学省と厚生労働省が縦割りでやっていたんでは駄目です。私は厚生労働省の官僚主導がいいとは思いませんが、厚生労働省に一元化すべきだと思います。このことについて、総理と文部科学大臣及び厚生労働大臣のお考えを伺います。
これほど大幅会期を延長してまで通すべき重要法案であるならば、予算委員会並みに厚生労働委員会にも御参加いただけることを期待して、私の質問を終わります。
ありがとうございました。(拍手)