歯科技工管理学研究

歯科技工管理学研究ブログ
歯科技工士・岩澤 毅

網岡委員 [016/016] 101 - 衆 - 社会労働委員会 - 19号

1984年06月28日 | 国会議事録
○網岡委員 被用者保険の制度ということは、裏を返せばこれは国が責任を持たなければならない、場合によれば、政管なんかは国庫補助金を出しておるわけでございますから、したがって財政の状況によっては国がやはり責任を持って補助を加えていくというようなことも、政管健保の例なども見れば出てくると思うのでございます。
 そうしますと、高齢化へ進んでいく状況の中で、一つの高齢化対策の一環としてやられるこの退職者医療制度というものは、青天井で被用者保険が拠出をしていく、こういう全く私的保険の論理で、要るだけ全部それぞれの保険団体に負担をさせていくということではなしに、一定の国の責任で国庫負担をする、こういう姿勢を示すことが私は社会保険の性格からいって国のとるべき基本的な態度じゃないだろうか。社会保障制度の一環としてとらえられているそのものは、社会保障の原則からいっても国がそこに責任を持つという姿勢が必要だと思うのでございますが、この辺について厚生省、どうお考えになっているでしょうか。

○吉村政府委員 社会保険だから国庫負担を必要とする、こういうように私どもは考えておりません。社会保険であっても、財政力の強弱によって物事を考えるべきでありまして、例えば現在でも健康保険組合に対しては国庫補助金を入れておりません。それから財政力の強弱によって国庫負担の入れ方も違っておるわけでございますが、今回つくります退職者医療制度は、被用者保険のサイドで、被用者保険の現役、それから事業主がOBのためにひとつ負担をしてつくろう、こういう制度でございまして、現在の被用者保険の財政力というものを全体的に考えますならば、この退職者医療制度に国庫負担を入れなければならないという理由は見当たらないし、また、国庫負担を入れなくても十分やっていける制度であるというように私どもは考えております。

○網岡委員 仮定でございますが、もし被用者保険の中で赤字要因を生むような事態が将来出てくる、こういうことになった場合には、厚生省としては、その社会保険の論理からいって国庫負担の考えを持つお考えがあるかどうか、その点をお尋ねします。

○吉村政府委員 将来のことでございますので今確答はできかねますが、私どもの考えでは、先ほど申し上げましたように、被用者保険総体として
の負担力というものがそれほど弱体化するという予測は持ち得ませんので、そういうことはないというように思っております。しかし、そのときにおいてやはり判断をしなければならない問題ではないか、こういうように思います。

○網岡委員 結論的なことを申し上げて次に移りたいと思うのでございますが、私は、老人保健法にとられたような退職医療制度という一つの社会保険の制度を新しく創設をする、こういう姿勢でいきますならば、やはりそこに国の一定の責任を持った姿勢というものが示されるべきでございまして、それは国庫がそこに一定の率の補助をされるということで、そこに社会保険としての国の責任を持っている姿勢が明確に財政的にも示されることになるわけでございますから、そういう方法でぜひひとつ今後考えてもらいたいということを我々は考えておりますし、こういう方向で健康保険というものが対応されるように、私どもは慎重な審議をこれからも続けるようにしていきたいというふうに思っておるところでございますが、そのことを申し上げて、次の質問に移ってまいりたいというふうに思います。
 時間も大分たっておりますので、次に、私が三月一日に質問をいたしましたところ厚生省から正式に文書が出されました問題について、一点だけ御質問をさせていただきまして、厚生省の明確な御答弁をいただきたいと思うのでございます。
 質問の内容は、薬剤師法第十九条の薬剤師の調剤権にかかわる規定中、「医師若しくは歯科医師が次に掲げる場合において自己の処方せんにより自ら調剤するとき、」云々とあるが、この「自ら」はあくまで医師、歯科医師自身であって、監督権は含まれないと考えるが、どのように解釈したらよいのか。こういう質問に対して厚生省から答弁がありましたことは、十九条ただし書きの「調剤」は、原則として医師自身がやることであるけれども、調剤の中身には種々の過程が含まれており、医師等が個別具体的な指示を与え、調剤行為の本質的でない部分を代行させるような場合には、同条の規定の趣旨に反しないものと考える、こういう御答弁があったわけでございますが、これに関連しまして、若干時間をいただいて質問いたします。
 まず最初にお尋ねをいたしたい点は、昭和四十七年の参議院予算委員会において、斎藤昇厚生大臣がこの同じ質問に対して、医師みずからが調剤するということであって、医師には監督権がないと明確に答えているわけでございますが、その答弁の精神は今日も変わっていないのでございましょうか。

○正木政府委員 先生からの質問主意書、医薬分業推進に関する質問に対する答弁書の内容は、先生の先ほど申されたとおりの政府の答弁をいたしております。
 それから、四十七年の四月十日に参議院の予算委員会で、斎藤昇大臣が同じ問題に御答弁をされまして、「医師みずからということは、やはりみずからであって、監督権はございません。」と答弁をされております。
 先生の質問主意書に対する答弁と斎藤昇大臣の御答弁と変わりはないのかという御質問だと思いますが、結論的に申しますと、端的に申し上げまして変わりはないわけでございます。

○網岡委員 では、まずその点だけ確認をしておきます。
 次に、この回答によりますと、「医師等が個別具体的な指示を与え、調剤行為の本質的でない部分を代行させるような場合には、同条の規定の趣旨に反しない」、この項のくだりのところでございますが、問題は、調剤の本質行為というものと調剤の非本質行為というものは一体何と何かということを具体的に明らかにしてください。

○正木政府委員 この薬剤師法の十九条、それから医師法の二十二条、これが裏腹の規定で医薬分業の基本原則を定めておるわけでございますが、こういう規定を設けられた趣旨は、やはり医師は診断、治療の専門家である、薬剤師は調剤の専門家であるということが基本にあるわけでございます。
 ところで、医師みずからが調剤する、こう書いてございますのは、調剤という専門性というものに着目をしておる規定でございます。その調剤につきましては、先生御案内のように、処方せんを受け付け、監査をしてから、患者に交付して、服薬指導をする、非常に幅広いその中で、薬剤師の専門性というものが強調される本質的部分は何かということでございますが、処方せんの監査、それから疑問点を照会する、それからそれに対する回答の処置をする、それから薬剤を確認する、秤量をする、混合する、分割をする、あるいは薬袋、薬札のチェックをする、それから薬剤の監査をする、服薬指導をする、こういう行為は調剤の本質的な部分だと思います。それに、調剤というと広いですから、それ以外に、薬袋に名前を書くとか補助的な業務というものも、非本質的な部分としてあろうかというふうに思うわけでございます。

○網岡委員 薬袋の記入というものは調剤の非本質的行為だと一つだけ挙げられておりますが、まだほかにありませんか。薬袋に書くことだけですか。

○正木政府委員 非本質的部分、例えで申しますが、今申しました薬袋、薬札の記入をするとか、それから、最近は自動分包機等で行われるというのが多いわけでございますが、それについて薬剤師あるいは医師の指示のもとに機械操作をする、あるいは予製剤にかかる機械操作をするといったようなものが、例示として挙げれば非本質的部分に当たるのではなかろうかというふうに思います。

○網岡委員 そこで、むしろこれは、まず非本質的な部分を質問した方がはっきりすると思いますからさしていただきますけれども、これは医師だけじゃなしに、調剤と言う以上は薬剤師も同じなのでございます。そういう点で、むしろ薬剤師が調剤をしていく場合にどうなるかということが話の一番もとになるところでございますから、そういうことでこれから議論をしていただきたいと思うのでございます。
 まず、薬袋の記入ということは非本質的行為であるという御見解でございますが、これは私は、厚生省のただいまの見解は明確に間違いだ。薬袋の書記は服薬指導の一部でございますよ。服薬指導ですよ。一番最後に、食前、食後、しかもこの薬はこうこうかくかくということを口頭で言う、あるいは文書で示すということは何人も侵すことのできない調剤行為でございまして、重要な部分である服薬指導の一部なんです。これを非本質的部分だというふうに厚生省が考えられておるとするならば、これは重大な間違いですよ。

○正木政府委員 先生おっしゃいますように、調剤につきましては原則として薬剤師がやるわけでございますが、薬剤師が調剤する場合も、薬剤師自身が絶対やらなければならない本質的部分と補助者にやらせるもの、それから医師がみずから調剤をするとき、医師自身がやらなければならぬ場合と補助者にやらせる場合、それは全く同一でございます。私どもの考え方としましては、医師であれ薬剤師であれ、先生の言われました服薬指導といったようなもの、その本質的部分は薬剤師なり医師がきちっとやっていただかなければいかぬ、それを包括的に薬袋の記入などをさせるということはあってはならないというふうに思います。本質的な服薬指導を行い、そして薬袋についてはこうこうこういった点を書きなさいよという個別具体的な指示に基づきまして実際にそれを記入するということは、薬剤師さんあるいはお医者さん自身がみずからペンを取ってやらなければならないというところまで言うべきものかどうか、それは私どもは本質的部分には入らないと解しておるわけでございます。

○網岡委員 この後ろにも、病院のところで実務をとられている方がお見えになるようでございます。私は一つの統計を持っておりますが、調剤ミスというものの一番多い部分は実は薬袋の誤記ですよ。単純なことでございますが、これが一番間違っているのです。これは調剤学の権威者である一流の調剤の名を持っておみえになる大学の教授
ならみんな言っていることです。これが一番間違うのですよ。間違ったらこれは大変なことになるのです。したがって、服薬指導の重要な部分なんでございます。これがいわゆる非本質的な部分だという見解は厚生省として直してもらわなければいけないですよ。
 それから、医師には看護婦という補助行為を行う人がちゃんと法律に定められてあります。しかし、薬剤師の場合にはそういう補助行為をさせるような人は法律では全然定められておらないのです。でありますから、薬剤師の規定というものは初めから補助というものを想定してないのでございます。したがって、処方せん監査から服薬指導に至るまで全部これは薬剤師がやらなければいかぬということが、薬剤師法十九条の規定なんでございます。
 私は、これでもう一カ月ぐらいたっておりますが、専門家のところを十軒、十人ぐらい回りました。これは調剤の有名な方々です。その人たちの言によりますと、調剤行為というものは、薬ですから異物を人に与えるものである、したがってこれは念には念を入れたチェックが必要だ、したがって一つの行為、一つの動作をするときには必ず一つ前の動作をチェックしていかなければいかぬ、それぐらいの二重、三重のチェックをしていって、初めてその調剤というものがだれにも安心して飲んでもらえる薬になるのだ。ところが、例えば分包機のボタンを押すということで、この作業は単純なんですよ。単純ではございますが、そのボタンを押すことによって、真ん中に無資格の人が入ったことによって、このボタンを押す前の行為とボタンを押してから後の行為をチェックしていくところに空間があいてしまうわけですよ。そうすると、一つの間違いがそこに出てくる危険性というものが出てくる。これはオートメ化になればなるほどその危険性というものが生まれてくるのです。これからは調剤室でボタンを押したらベッドの上から薬がおりてくるというぐらいになってくるのです。したがって、ボタンを一つ押し損ないをやれば結局これは命にかかわるような事態にもなりかねないという時代に入っておりますときに、私は非本質的部分というものはそう簡単に言えるものではないというふうに思うわけです。その点どうですか。

○正木政府委員 私の言葉足らずの点もあったわけでございますが、先生今御指摘のように、これは薬剤師という専門家に期待されておる調剤というものについて薬剤師でない者が関与するということで、もし間違いがあったらどうなんだということで、そういう間違いがあるようなところを、いかに個別的な指示があろうとも薬剤師でない者あるいは医師でない者が関与するということは、これは認められないと思います。
 そこで、私が言葉足らずと申しましたのは、薬袋の記載ということを例示として挙げたわけでございますが、薬袋に記載すること自体、これは薬剤師さん本人あるいはお医者さん本人がやらなくてもいいだろう。ただ、先生がおっしゃいますように、本当に間違いなく書かれてあるかどうかというこのチェックというものは、やはり薬剤師さんなりお医者さんがやってもらわなければならない、それがやはり調剤の本質にかかわるものだと思います。いわば個別具体的な指示に基づいてチェックとかそういう専門性を生かすというものがありつつ、そして単純な補助的な業務をやるというところまで御自身でやらなければならぬと法は要請しているだろうか、そうは私どもとしては考えていないということでございます。

○網岡委員 業務局長、あなたが一遍やってみたらいいんですよ。こうやってボタンを押しなさいよと言ってあなたが指示するより、自分が押した方が早いですよ。それから、薬袋に字を書くのに、こういうふうに書きなさいと言って指示をするより、あなたが書いた方が早いんじゃないですか。押すことによってチェックがそこで真空状態になったとしたら、後に起きる問題は重大なんですよ。そのことを考えてくださいよ。これは全部そういう連続行為が行われなければ事前チェックというものが打てない。これはもう日本の調剤にかかわる権威者が全部異口同音に言っていることですよ。この辺は厚生省も考えてもらいたいというふうに思います。
 もう一つ問題を出しますが、本質行為の部分に入るのですが、今、高カロリー治療ということで輸液、それから混合注射が物すごくこれからも病院で使われていくことになるわけであります。そういう今の時代です。そういう中で、混合注射に対する配合はこれはまさに調剤の本質部分ですよ。それが現状どうなっていますか。これは薬剤師がやらなければいかぬことなんですよ。

○正木政府委員 先生の先ほどおっしゃいました、ボタンは補助者にやらせるよりも御自分でやられる方が早いということですから、そういう薬剤師なり医師が私どもが申します非本質的部分を含めて全部一貫してやっていただく、もちろんそれにこしたことはないと思うわけでございます。ただ、そういう本質的でないものを、個別具体的な指示のもとに補助的な業務をやらせるということまで法は否定していないんじゃないかということを申しておるわけでございます。そういうことで、この規定の趣旨というものは、調剤の重要性というものにかんがみてやはり専門家がやらなければならぬ、そういう本質を没却するようなことがあってはならぬということは、私ども重々考えておるわけでございます。
 それから、いわゆる混注の問題でございますが、これは入院患者等に投与する目的を持ちまして、院内薬局から病棟の医師等に交付される、そして病棟で二種の液体を混合しまして患者に投与する、これが調剤に当たるのではないかという先生のお尋ねだと思います。これは法律的な解釈といたしましては、その薬剤は調剤済みの薬剤でございますから、注射剤でありましても他の薬剤と同様にこれはもう既に調剤行為は終わっておる、したがって調剤済みの二つ以上の薬剤を混合して用いるかどうかということは、用法の問題でありますから調剤行為には当たらないというふうに解釈できると思います。
 ただ、そういった薬であるわけでございますから、これは聞けばアメリカでは、クリニカルファーマシーということで、病棟におきましてお医者さんとか看護婦さんとか薬剤師というものがチームをつくっていろいろやるということで、将来の問題として、そういった面についても薬剤師さんの知識、技能というものを生かしていくということが望ましい方向であるということはそう思うわけでございますが、ぎりぎりこれが調剤行為に当たるのかどうかということになりますれば、調剤行為には当たらないのではないかというふうに思います。

○網岡委員 今の御答弁、これは議事録に書いてありますけれども、大変なことですよ。
 読み上げますと「調剤とは、一定の処方に従って二種以上の薬品を配合し、または一種の薬品を使用し、特定人の特定の疾病に対する薬剤を調剤する行為を言う」、こういうことなんです。特定のしかも二種以上の薬をやるといういずれの要件も、これはあなたが言った状況はこの状況に来ているわけです。ぴったり合っているわけですよ。そうだとするならばこれは明らかに調剤の本質部分ですよ。どうですか。

○正木政府委員 繰り返すようでございますが、この混注というのは、既に処方せんによりまして調剤済みの二以上の薬が患者に提供される、投与される、その投与するときに、用法の問題として混合するということで、これは一般の錠剤につきまして、先生の方がお詳しいのであれでございますが、Aの薬とBの錠剤、これを実際に投与する場合に、両方一緒に出されるというのと法律的な意味合いにおいては違いがないんじゃないかというふうに私どもは考えるわけでございます。

○網岡委員 時間がたってきますからあれですが、これで最後にしますけれども、二種以上の液剤を調剤をするのは、混合するのは、どこでやっているかというと看護婦の詰所ですよ。そして、だれがやっているかといったら看護婦ですよ。混
合する行為はこれは明らかに調剤ですよ、混合するのですから。注射を打つ行為はこれは看護婦の仕事であるかもしれない。しかし、その前に混合する行為は看護婦がやっているわけですよ。これは明らかに調剤行為であることは間違いない。どこの病院に行っても例外なしにそうやっているのです。日本国じゅうそうやっているわけです。これは断じて調剤の本質行為であることは間違いございませんよ。
 それから局長、混合注射で事故が六例あるのです。そのうち二例、側管輸液によって死亡事故らしきことが起きているということを御存じですか。

○新田政府委員 お答えします。
 今、先生御案内の注射による事故でございます。側管注射による事故というのは、今定かに記録を持っておりませんが、当然そういう事故は起こり得る、こういうふうに考えております。

○網岡委員 起こり得るという仮定じゃなくて、もう既に起こっているのですよ。ナウゼリンという注射薬がありますが、ナウゼリンで側管によってやったときに沈殿するわけです。配合変化が起きるわけです。その沈殿物がすぐ血液の中に入って、血液が詰まって亡くなった方が二例あるわけです。だから、ここに私は持っておりますが、ナウゼリンの薬の注射に対しては注意をして、今後側管はしないようにということで注意事項が書いてありますが、こういう事故がこれからも頻繁に起きるわけですよ。それをチェックが打てるというのは、やはり薬剤師でなければできないわけなんですよ。薬剤師でもこれは一〇〇%やれるかやれぬかわからぬですが、しかし今の状況よりもよくなることは間違いない。しかも本質の調剤行為であるということから見ますならば、混合注射の扱いというものは、これは厚生省が今後その運営については十分にしかも厳格に処理をしてもらいたい、対策を講じてもらいたいということを要望しますけれども、御答弁いただきたいと思います。

○正木政府委員 先生おっしゃいますように、そういうことによって事故があってはこれは大変なことでございます。先生の御指摘以外にも、例えば混合時の細菌汚染を避けるといったようなこと、これは医療従事者にとって当然の責務でございます。そういった事故をなくすというためには、その投与の仕方についての医師の指示も大事だと思います。
 将来の課題としては、医療の現場において、それぞれの専門性を生かしたような適切な運営がされるような形態を目指していかなければならないというふうに思っております。

○網岡委員 業務局長から御答弁がありましたように、臨床調剤ということを各病院における一つの方向として、国が国立病院の段階で前向きに検討をされていくように、今の状況でいきますと、薬剤師は配置が非常に少ないのです。だから、まず国立病院において臨床調剤の薬剤師が配置できるような体制を、早急に大臣の手でルートを敷いていただくようにやっていただきたいと思うのですが、大臣の所信を承りたいのです。

○渡部国務大臣 専門家の立場で、網岡先生から大変貴重な御意見をちょうだいいたしまして、私もこれは非常に大事なことだという認識を今持っております。まさしく薬は人の命を左右する問題でありますから、これは専門家の薬剤師の方ができるだけやっていただくようにするのが望ましいのは当然でございまして、そういう方向に向かって指導をしてまいりたいと思います。

○網岡委員 それでは次に、最近問題になっています群馬県上毛病院での医療事故に関する点について、質問をしてまいりたいというふうに思います。
 上毛病院は、一部新聞によりますと、臨床検査技師である事務長が、上毛病院の院長であります中沢院長の指示により、長年にわたってレントゲン撮影をやっていた。これについては、群馬県衛生部の立入調査の際にも、事務長及び中沢病院院長はやっていた事実を認めているというふうに仄聞をいたしておりますが、まずこの点が認められているかどうかということをお尋ねをいたします。
 なお、私どもが聞いております証言者の言によりますと、五十八年度は毎月平均五十人程度、一年間に六百人を撮影した。また、男性患者については機械的に三カ月に一度の撮影をしていたということが新聞にも報道されていますし、私どもも証言を賜っておるわけでございますが、この点について厚生省はどう把握されているのか。
 また、昭和五十年ごろ、検査技師見習いという女子職員が採血、脳波検査、心電図測定、エックス線撮影などをやっていたとの証言がありますけれども、これらの実態はいずれも保助看法、診療放射線技師及び診療エックス線技師法に抵触をする内容であると思うのでございますが、この点についてどのような調査をやっておみえになるか、結果がわかっておったら御答弁をいただきたいというふうに思います。

最新の画像もっと見る