東日本、特に東北地方を襲った未曾有の大地震。
不幸にして亡くなられた、多数の方々のご冥福を心からお祈りいたします。
私は静岡県民。
生まれも育ちも静岡県から出たことがない。
静岡県は東海・東南海大地震の想定地域として、地震への対策や備えが昔から
言われてきた地域。
そして、唯一地震発生を予測する為の様々な設備や組織が構成されている地域。
私も物心付いたころから、「大地震がやってくる。備えと対策をしっかり」と
すり込まれて育った。
そんな中、阪神淡路大震災が起きた。
既に現在の会社に入社していた私は、その復興の最中に九州へ出張しなければ
ならず、寸断されていた鉄道を乗り継ぎ、九州まで向かった。
焼け野原のようになってしまった現場を見て、涙が止まらなかった。
東海地震のように、予測ができたら・・・
当時、心からそう思った。
あれから16年がたった、2011年3月11日、この未曾有の大地震が起きた。
あの日は年に1回、妹の仕事の関係で系列のホテルに家族でお泊りの日。
料金が若干安い、金曜日に泊まるのが毎年の恒例イベント。
仕事は半休で上がり、卒業式の練習で帰りが遅い娘(まだ卒業ではなく、5年生)と
かみさん、母を残し、親父と小僧2人で先にチェックインすべく出発。
今回はもう1人、尾張一宮に住む母の従姉妹も参加することになっていて、丁度
なっつの帰りの時間ごろに電車でこちらに着くので、一緒に来ることになっていた。
14時半ごろ自宅を出発し、近所のコンビニへ寄った。
親父と呑むための焼酎とつまみを買う為。
焼酎を選んでいるところで・・・
親父が・・・
「あれ?揺れてる?」
上から吊られている広告がゆさゆさと揺れ始めた。
そのうち、長い周期の大きな横揺れが。
変な揺れ方だった。ただ、地震であることは間違いない。
船に乗っているようだった。
これは大きいぞ。直感的に思った。
3日ほど前に東北地方で大きな地震があって被害が出ている。
この揺れ方からするにかなり遠くの地震であることもわかった。
買い物を済ませ、車でさっそくテレビを付けると・・・
すでにニュースの特番が始まっていた。
「東北地方で震度7」との文字が・・・
しかも震源は宮城県沖だという。
津波が来るぞ。
とりあえず、家にいる家族には電話したものの被害も無く、
ホテルに向かった。
チェックインを済ませ、部屋に着くなりテレビを付けると、
全局が特番で地震のニュースを流している。
太平洋岸には津波警報が出ている。
ここでも津波警報のサイレンが聞こえてくる。
そんな中、あの一生忘れないであろう映像が目に飛び込んできた。
津波が車を流し、家を流し、海にあるはずの巨大な舟を渦を巻きながら
陸へと流してくる。
あちこちで火が上がり、津波の中で燃えながら流されていく家。
車のクラクションがけたたましく鳴り響いている映像。
間違いなく人が乗ったまま流されている車・・・
津波で流された瓦礫の中で助けを呼んでいる人・・・
目を覆いたくなるような悲惨な現場だった。
想像を絶することが起きた。
しかも、この文明社会の日本で・・・
夜になり、ニュースも昼間の映像を繰り返し流しているだけなので、
とりあえず、ホテル泊まりを楽しむことにした。
ただ・・・
くるはずだった母の従姉妹が電車が止まってしまい、たどり着けずにいた。
豊橋までは来たのだが、2時間足止め。
復旧の目処が立たず、下りは復旧したので結局戻ることに。
なにもこんな日に・・・
気を取り直し、食事とお風呂。
おいしいご馳走をいっぱい。
お風呂も楽しい。
夜もしばらくニュースを見ていたが、まぁ寝ることに。
夜が明け、被災地の映像が流れ始めた。
めちゃめちゃな街。
役場ごと流され、街全体が無くなってしまっている。
本当にひどい状況だった。
涙が止まらない。
悲惨な光景だった。
「大地震が来るよ」と教えられ、地震の時の逃げ方、準備するものなどを
すり込まれて育った私にとって、来る来るってちっともこない東海地震は
本当に来るんだろか?
と、最近思っていた。
しかし、日本は地震大国であることを痛感させられた。
今週に入り、日々被害の状況が明らかになっていき、1万人を越える死者、不明者が。
私の会社は自動車部品関連。
国内のカーメーカーのオフラインが全て停止している。
今週いっぱい停止するようだ。
取引しているサプライヤさんも福島、茨城、宮城、山形、秋田と多岐に。
甚大な被害がある会社もあるようだ。
今は、瞬間的に株価も下がっているが、5年掛からずにあの神戸を復活させた日本。
今回もあきらめないで、みんなでできることをがんばって、復活させていってほしい。
もちろん、私たちにできることは精一杯協力していきたい。
まずは募金活動。
それから、被災地への優先的な物資の輸送に向けての協力。
米や、トイレットペーパーの買占めなんてもってのほか。
そんなことしたら、本当に日本全国が物不足で大変なことになる。
今は、日本国民全員が我慢する時だと思う。
今生きている。
物にあふれる生活から、突然なにもない生活になってしまった被災地の人々。
それを考えたら・・・
やっぱり涙が止まらない・・・
不幸にして亡くなられた、多数の方々のご冥福を心からお祈りいたします。
私は静岡県民。
生まれも育ちも静岡県から出たことがない。
静岡県は東海・東南海大地震の想定地域として、地震への対策や備えが昔から
言われてきた地域。
そして、唯一地震発生を予測する為の様々な設備や組織が構成されている地域。
私も物心付いたころから、「大地震がやってくる。備えと対策をしっかり」と
すり込まれて育った。
そんな中、阪神淡路大震災が起きた。
既に現在の会社に入社していた私は、その復興の最中に九州へ出張しなければ
ならず、寸断されていた鉄道を乗り継ぎ、九州まで向かった。
焼け野原のようになってしまった現場を見て、涙が止まらなかった。
東海地震のように、予測ができたら・・・
当時、心からそう思った。
あれから16年がたった、2011年3月11日、この未曾有の大地震が起きた。
あの日は年に1回、妹の仕事の関係で系列のホテルに家族でお泊りの日。
料金が若干安い、金曜日に泊まるのが毎年の恒例イベント。
仕事は半休で上がり、卒業式の練習で帰りが遅い娘(まだ卒業ではなく、5年生)と
かみさん、母を残し、親父と小僧2人で先にチェックインすべく出発。
今回はもう1人、尾張一宮に住む母の従姉妹も参加することになっていて、丁度
なっつの帰りの時間ごろに電車でこちらに着くので、一緒に来ることになっていた。
14時半ごろ自宅を出発し、近所のコンビニへ寄った。
親父と呑むための焼酎とつまみを買う為。
焼酎を選んでいるところで・・・
親父が・・・
「あれ?揺れてる?」
上から吊られている広告がゆさゆさと揺れ始めた。
そのうち、長い周期の大きな横揺れが。
変な揺れ方だった。ただ、地震であることは間違いない。
船に乗っているようだった。
これは大きいぞ。直感的に思った。
3日ほど前に東北地方で大きな地震があって被害が出ている。
この揺れ方からするにかなり遠くの地震であることもわかった。
買い物を済ませ、車でさっそくテレビを付けると・・・
すでにニュースの特番が始まっていた。
「東北地方で震度7」との文字が・・・
しかも震源は宮城県沖だという。
津波が来るぞ。
とりあえず、家にいる家族には電話したものの被害も無く、
ホテルに向かった。
チェックインを済ませ、部屋に着くなりテレビを付けると、
全局が特番で地震のニュースを流している。
太平洋岸には津波警報が出ている。
ここでも津波警報のサイレンが聞こえてくる。
そんな中、あの一生忘れないであろう映像が目に飛び込んできた。
津波が車を流し、家を流し、海にあるはずの巨大な舟を渦を巻きながら
陸へと流してくる。
あちこちで火が上がり、津波の中で燃えながら流されていく家。
車のクラクションがけたたましく鳴り響いている映像。
間違いなく人が乗ったまま流されている車・・・
津波で流された瓦礫の中で助けを呼んでいる人・・・
目を覆いたくなるような悲惨な現場だった。
想像を絶することが起きた。
しかも、この文明社会の日本で・・・
夜になり、ニュースも昼間の映像を繰り返し流しているだけなので、
とりあえず、ホテル泊まりを楽しむことにした。
ただ・・・
くるはずだった母の従姉妹が電車が止まってしまい、たどり着けずにいた。
豊橋までは来たのだが、2時間足止め。
復旧の目処が立たず、下りは復旧したので結局戻ることに。
なにもこんな日に・・・
気を取り直し、食事とお風呂。
おいしいご馳走をいっぱい。
お風呂も楽しい。
夜もしばらくニュースを見ていたが、まぁ寝ることに。
夜が明け、被災地の映像が流れ始めた。
めちゃめちゃな街。
役場ごと流され、街全体が無くなってしまっている。
本当にひどい状況だった。
涙が止まらない。
悲惨な光景だった。
「大地震が来るよ」と教えられ、地震の時の逃げ方、準備するものなどを
すり込まれて育った私にとって、来る来るってちっともこない東海地震は
本当に来るんだろか?
と、最近思っていた。
しかし、日本は地震大国であることを痛感させられた。
今週に入り、日々被害の状況が明らかになっていき、1万人を越える死者、不明者が。
私の会社は自動車部品関連。
国内のカーメーカーのオフラインが全て停止している。
今週いっぱい停止するようだ。
取引しているサプライヤさんも福島、茨城、宮城、山形、秋田と多岐に。
甚大な被害がある会社もあるようだ。
今は、瞬間的に株価も下がっているが、5年掛からずにあの神戸を復活させた日本。
今回もあきらめないで、みんなでできることをがんばって、復活させていってほしい。
もちろん、私たちにできることは精一杯協力していきたい。
まずは募金活動。
それから、被災地への優先的な物資の輸送に向けての協力。
米や、トイレットペーパーの買占めなんてもってのほか。
そんなことしたら、本当に日本全国が物不足で大変なことになる。
今は、日本国民全員が我慢する時だと思う。
今生きている。
物にあふれる生活から、突然なにもない生活になってしまった被災地の人々。
それを考えたら・・・
やっぱり涙が止まらない・・・