伊弉諾尊(伊耶那岐命)と伊弉冉尊(伊耶那美命)からの神話に触れようと思いますが、ここでは国史を貫く精神生命を中心に色々な出来事を考えて行きたいと思います。
日本神話を歴史書という側面から眺めた時に思うことがあります。
①の天沼矛は日本史に於いて非常に重要な概念の象徴と言えます。宇宙ができて混沌として漂い定まらない状態を「修理り固成(つくりかためなせ)」と天津神の詔を賜って天沼矛で不安定な世界に秩序を与えたのです。【理】には「整える」「繕う」「ことわり」「物事の筋目、筋道」「宇宙の本体」等の意味があって、【修理固成】は「乱れを整えて有るべき姿を定め仕上げること」でしょう。これを矛という武器で行うのです。武による修正、混乱を鎮めるための武、これは日本のみが有する意識です。世界では武は制圧の手段です。
日本には八百万と言われるように沢山の神々がおいでになります。
記紀(古事記と日本書紀)は天之御中主神(アメノミナカヌシノカミ)を初めとし各地域の神話を一本化したものですのでそこには矛盾や辻褄の合わないことが現れます。併せて、天皇そして天皇の威を借るその時代の権力者にとって都合のよいものに作られていることも間違いないでしょう。
それにしてもちょっと不思議ではありませんか(我々日本人には不思議に感じないかもしれませんが)
権力者の為に神話を利用するなら、そもそも一本化する必要が無いのではありませんか。残す一つ(自分に都合の良いもの)以外は消して無かったことにすれば簡単なことです。わざわざ複雑な辻褄合わせの手間が省けますからね。
しかし日本神話はそうは成らなかった。
各地の土着で系統の違う神々を残したこと、一本化しつつ改ざん捏造されただろう箇所もあること、にもかかわらず天皇という権威への崇敬が不易なこと、そして扱っている年代の範囲がとてつもなく大きいこと(天之御中主神からなので宇宙の始まりからと言うことです)等がその複雑さを誘発しているのでしょう。
そのために後世の研究者が伝承と史実を照らし合わせる際、混沌にも似た複雑な様相を呈して(史実は一つですが)様々な説が謳われそして多くの研究でさえも事象の全てを確定できるとは限らず比定ということになっています。
これらの研究は、史実を探求することによって日本人が帰一する精神・魂について示し、一大家族国家を成す未来を築いて行こうという志の下で行われるものと思うのです。海外の考古学者も彼らの歴史を肯定的に証明しようと研究しています。
しかし残念ながら日本の学者の中には愚かにも伝承を覆し皇室の正統性を否定しようとする狭義な立場から研究する者がいるのも事実です。それでも研究すればするほど彼らの意に反して正統性が示されるのではありますけれども。
やや話が反れましたが、世界の常は武力に勝るものが他者を完全に滅ぼしています。政治、国土、民、風俗、宗教など全てを侵略し自らのものに改めさせています。
(日本の武は性質が異なります。それは後ほど)
日本は然に非ず無数の神々がおいでになるのは、一つには素より易姓革命の思想が無く、ある勢力が他勢力の国家的精神の下に摂取され、摂取された勢力の文化の精粋を保存して発展する性質を持っていたからではないでしょうか。推移変遷の世の中でこの精神を貫き斯かる生命を発展せしめる魂を持つ国家は世界に唯一我が国あるのみです。つまり日本は侵略をしない且つされない国家ということです。
(右でも左でもありませんよ。世界の未来を憂慮する日本人、それだけです。イデオロギーでの話は不毛なだけですから)
史実は一つですが日本の精神の下に研究された諸説は全て正しいと私には思えてくるのです。(個人の考えですのであしからず)
人間の本体は一貫した魂であると考えると、万世一系の天皇が血統による一系の必要はありません。
そうは言っても、天皇とは革命でその座を継げるようなものではなく天皇を運命付けられた即ちその様に生まれ育てられた皇子に限られます。そうでないと努められないからです。
今上陛下が天皇であるのは、上皇陛下からその権威を引き継いだからで、上皇陛下が天皇であったのは昭和天皇から継いだからで、という風に遡れば皇祖天照大御神(大神)の神勅に達して、その御心と御業に拠る万世一系でそれを貫いているからです。一応断っておきますが、神勅とは神々の総意であって大神はそれを認証するだけです。全知全能の神の意思に因るものとは全く異なります。
肇国より天皇が天皇であり続けることが揺るぎ無い真実でまたそれを顕現あらせられるのです。
天皇に人権はありません。そのような過酷な務めをどんな権臣にも勤まるはずがありませんし、ましてや政柄をほしいままに握りたがる者では言うに及ばずです。そういった権力者(摂政、関白、武士等)が皇族を担ぎ、都合のよいように神話を利用した、正確には利用する必要に駆られたのでしょう。
例えば私たちの廻りでも、「アイツ」は上司である「私」の言うことを聞かないけど「アノ人」が言えばよく聞くよね。なんてことがありますでしょ。「私」が「権力者」で「アノ人」が「天皇」と言うことですね。誰にとっても畏れ多い御方が天皇陛下なのですね。
天皇が現御神(あきつみかみ)にましますことそれ自体が天皇の正統性を証明しているので、諸研究の目的はそれを証明する必要もなく、真実を探究し未来へ活かす為のものであると言えないでしょうか。
様々な説があって良いのです。それぞれの合致点を見出だして、より真実に近付けて発展するのです。日本では神々でさえ話し合いその合議の下に歩まされるのですから。
さて、伊耶那岐命と伊耶那美命は国生み神生みを行っていきます。これも天津神(あまつかみ)の総意を受けて行われています。この天津神とは伊耶那岐命、伊耶那美命より前に成った神々のことです。
ザーッと、この二柱の神から神武天皇(初代の天皇ですね)までのネタを予告してみると、
①伊耶那岐命、伊耶那美命が国(日本列島or地球)を産み(作り)ます。別天神、神世七代から天沼矛(あまのぬぼこ/武器です)を授かって、大八洲(おおやしま)+6島を作ります。二柱が生みましたから島々には神としての名前もあります。
②次ぎに神を生んでいきます。最初と2番目の神を生みますが問題が有りまして、それについては後ほど。
③二柱の問題児の後、ズラーッと生みに生みまして56柱(イザナギ、イザナミ両柱又はどちらか一方の神から直接成った神々)+9柱(生んだ神々から生まれた神々)+3柱(イザナギ命から成った最後の神々)この最後の三柱が
天照大御神(アマテラスオオミカミ)、
月読尊(ツクヨミノミコト)、
素戔嗚尊(スサノオノミコト)です。
④最後の三柱のうちの天照大御神の系統を追ってみますと、その孫の
瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)、その御子の
彦火火出見尊(ヒコホホデミノミコト)、更にその御子の
鸕鷀草葺不合尊(ウガヤフキアエズノミコト)、それからまたその御子で初代天皇の
神日本磐余彦(カムヤマトイワレヒコ)のちの神武天皇です。
①の天沼矛は日本史に於いて非常に重要な概念の象徴と言えます。宇宙ができて混沌として漂い定まらない状態を「修理り固成(つくりかためなせ)」と天津神の詔を賜って天沼矛で不安定な世界に秩序を与えたのです。【理】には「整える」「繕う」「ことわり」「物事の筋目、筋道」「宇宙の本体」等の意味があって、【修理固成】は「乱れを整えて有るべき姿を定め仕上げること」でしょう。これを矛という武器で行うのです。武による修正、混乱を鎮めるための武、これは日本のみが有する意識です。世界では武は制圧の手段です。
日本国史は政治、社会、経済、文化などでの時代区分はできないと考えます。それは国体が一貫していてそれを顕現しているからで、区分するとすればその顕現の特徴で行えるでしょう。日本史にみる武も同じく国体の顕現なのです。
この事を頭に置いて日本史を観ると、学校で詰め込んだ歴史のデータが修繕され繋がり生命としての鼓動を感じるようになりますよ。過去は過ぎ去るだけではなく未来のなかに再び現れます。換言すれば、未来は過去のなかに既に存在していたのです。その過去と未来を繋げるのが現在です。過去を知らなければ未来が見えないので今何をすべきかを見失ってしまうのでしょう。
②へつづきます。