今回の旅の目的地、平泉の中尊寺へ。
藤原清衡さんの考え方「世界平和」が尊いんです✨
あの時代にそんな考え方が出来るとは〜
弟子入りしたかったわ✨✨✨
以下、HPからお借りしました↓
平泉に館を移し、東北地方を治めることになった清衡が一番に望んだことは、平和な世の中をつくることでした。そのために、たび重なる戦により命を落とした敵味方を含めた全ての人々の霊を慰なぐさめ、弔うために、中尊寺の建立を始めたのです。
中尊寺を建立するにあたり清衡は、『中尊寺建立供養願文』というものを書いています。これは、争いのない平和な国にすることを誓った、宣誓書のようなものです。このように、平和な世の中を目指して国造りをはじめた例は、世界の歴史の中でも極めて珍しく、清衡の平和国家建設にかける強い思いが伝わってきます。
しかし、平泉へ向かうナビがまたまた変でね〜
高速降りる場所も違う場所へ誘導されて
時間は倍かかって
到着したのは午後3時過ぎ💦
拝観時間ギリギリかも?金色堂へ急ぎます。
予報では雨予報でしたが
なんとか降らずにすみました。
さて中尊寺へ向かう坂道、月見坂が結構な坂で
途中休憩してる人も多く
娘も若いのにバテバテなので、置いていきました、笑
娘も若いのにバテバテなので、置いていきました、笑
戦乱の時代だとすぐ切られちゃうよ〜
わぉ、弁慶堂だわ💛
弁慶さん本当に実在したの??
一度でいいから、会ってみたかったわ💛
想像しながら、現代と平安時代を行ったり来たり
900年をタイムスリップ💛
そして、ようやく辿り着いた金色堂✨
この建物、覆堂の中に金色堂がすっぽり収まっています。
中は撮影禁止でしたが
もうね、素晴らしかったですよぉ✨
この画像からうっすらと建物内の金色堂が見えると思います。
中尊寺のHPより↓
この中尊寺を造営された初代清衡公をはじめとして、毛越寺を造営した二代基衡公、源義経を奥州に招きいれた三代秀衡公、そして四代泰衡公の亡骸は金色の棺に納められ、孔雀のあしらわれた須弥壇のなかに今も安置されております。
奥州藤原氏の三代、四代が金色堂の下に眠っています。
それぞれのミイラも一度解析されて
しっかりと奥州藤原氏だと断定されています。
画像お借りしましたm(__)m
金色堂の圧倒的な美しさの前で
目を閉じると〜
藤原清衡氏がそこに眠っている気がする!
こんな金色堂の中で900年前から眠ってるなんて
清衡は何を思ってるのかなぁ、今の時代を見て。
ここで永遠に眠るなんてピラミッドみたいです✨
ロマンがありすぎて、永遠に見ていたかったです。
次女は歴史に興味がなく
「ふぅん」
だけでしたが💦
結局は源頼朝勢から攻め込まれ
燃え尽きた藤原氏一族、そして匿われていた義経も
ここで自刀したという悲劇の地なんですが
なんだか切ないですね。
鎌倉殿を思い出します😭
松尾芭蕉が訪れたのはその500年後の1689年です。
金色堂を出たら雨が降って来て
まさに松尾芭蕉がここを訪れて読んだ歌を思い出します。
「五月雨の降のこしてや光堂」
この降のこしてや光堂は覆堂にまもられているので
光堂は雨に濡れてないなぁという感想だったとか?
また有名な
「夏草や兵どもが夢の跡」もここで読まれました。
まさにそんな気分になりましたね。
藤原清衡の時代は果てしなく遠すぎて
(でも血液型は私と同じAB型❤️嬉
まだ芭蕉さんの方が身近に感じられて
(300年前だから近い気がして)
中尊寺から見た下界は平和で平らな土地で
当時と変わらないだろうなぁと思いつつ
なんだか涙が出そうに💦
戦国時代へプチトリップした中尊寺でした。
時間があれば他のお寺も行きたかったなぁ。
世界遺産は平泉にたくさんありますから
ぜひみなさんはゆっくり観光してくださいね。
素敵な場所です!
あ、そしてなぜか外国人が皆無でしたね。
人気ないのかも?
それはそれでオススメですよね!
レストハウスで餅が食べたかったけど
夕方で軒並みクローズ💦
今夜は盛岡に泊まるので
盛岡へ北上します。
この続きはまた明日〜✨