アネッティワールド

日常の体験から・・・

高千穂 そば処天庵

2024年12月30日 22時02分23秒 | 宮崎県

 宮崎市からだと北へ2時間

高千穂町にある蕎麦屋さんを見つけました。

 「そば処天庵」

満席だったので少し待ちました。

団体さんは皆さん外国人(アジア系)

店の雰囲気を感じ取ったのか

普通に静かに食してましたよ 

 期待通りの美味しいお蕎麦です。

寒い時期は暖かい蕎麦もいいのですが

地元産の蕎麦で地元人気店なので冷たい蕎麦にしました。

香り・のど越し・歯ごたえ 申し分ありません

 (おまけ  お店の方 超美人)

ごぼうの天ぷらもチョイス

これは寒天のデザート

 

順調に旅の行程が進んでいるので

明日予定だったあまてらす鉄道へ行ってきました

 

まだ宮崎記の途中ですが

いよいよ 今年もあと一日です。

 

ひざ痛に苦しんだ1年でした。

でも踏ん切りがついた年でもあります。

仕事の段取りさえ付けば直ぐにでも人工関節置換術を受けます。

 

そして大好きなテニスをテニス仲間とまだまだ楽しみたいと思います。

    

 

 

 


天岩戸神社 西本宮

2024年12月26日 16時56分52秒 | 宮崎県

 高千穂峡へ行く途中に神秘的な洞窟があるということで立ち寄った

天岩戸神社 西本宮

天照大神がお隠れになったと言われている

天安河原(あまのやすかわら)に通じる西本宮から参拝です。

徒歩10分ならトレッキングポールを使えばなんとか歩ける距離です

12月初旬だというのに20℃近い宮崎はまだ紅葉が残っていました

  <天安河原>

登山道で積み上げられたケルンのようにたくさんの石が積み上げられています

間口40メートル 奥行3000メートルの大洞窟です。

八百万神が神々とここで会議をした場所と古事記に書かれているそうです。

 

 願い事が叶うという事なので もちろん

『膝の手術が成功して

   またテニスが出来ますように

 

帰りにあった

Cafe あまてらす 隠れテラス

 

満席の上、長蛇の列 ほぼ100% 外国人観光客

 

まったく知らなかった天岩戸神社でしたが

ここにも外国人観光客がたくさん

もう日本には日本人だけが来ている観光地は存在しないのでしょうね 


また来たで!宮崎の夜

2024年12月23日 21時08分33秒 | 宮崎県

 昔歩いた道をなぞるように 

案外お覚えています。

もう一度行きたかった焼き鳥屋

 「もも鐡」

調べて行ったのに休みです。

店の前で立ち尽くしていると 隣の店から店員が来たので

聞いてみるとやはり休みみたいで 当時の店長は辞めたそうです。

仕方ないので隣の 「もも鐡 えん」

 

ここの炭火焼き鳥は最高です。 柚子胡椒がよく効いて美味しいんです

かつおのたたきも新鮮でグッド

ここでもまたチキン南蛮です。 

これで昼も夜もチキン南蛮

この兄さん

ずっとここで炭火もも焼きの担当です。

人気ナンバーワンなんでしょうね。

もうそんなに量は食べられないけど宮崎の鶏肉料理はおいしいです。

何と言っても宮崎は移住者数が日本一ですからねぇ

お口直しにホテルで南国プリンを

 

明日は高千穂峡方面へと移動する予定です。

風が無く天気ならお楽しみのイベントが待っています  


飫肥が生んだ小村寿太郎

2024年12月21日 22時03分49秒 | 宮崎県

 宮崎県に飫肥(おび)と言う地名があることは知らなかったです。

期待せず訪れたのですが、まず案内所へ行きました。

そこでボランティアのガイドさんと出会い

1・2分話すと「時間はあるのですか?」と聞かれ

「十分ありますよ」と答えると

微笑みながら「では参りましょう」と。

まずは飫肥(おび)というところは

飫肥杉という有名な杉が生産されるところなんだそうです。(日本一とか?!)

油分があって建材として優れているそうです。

(水を弾くそうです。)

パワースポットに立つと不思議な力を受けることができるそうです。

(ガイドさんの頭皮に頭髪に異変が起きました

そして今回一番感銘を受けたのは

ガイドさんから解説を受けた「小村寿太郎」のことです。

教科書で習った小村寿太郎は日露戦争後ポーツマス条約の時の外交官、外務大臣。

日露戦争は日本が勝ち朝鮮半島や清国の租借権や樺太の南半分は取れたのですが

賠償金を獲得するところまではいかなかったのです。

 

実はそこに大きな判断があったそうです。

もし日本が賠償金をロシアに求めていたら

ロシアは終戦を認めず戦争は泥沼化になり海軍で終わらず

陸軍が主体の地上戦がさらに激化するとなっていたそうなんです。

 

英語もロシア語も堪能な小村寿太郎だったので

敵はフランス語で話し合っていたのだそうです。

その内容を聞くと「これ以上賠償金を求めることは

日本にとって良くない」と判断して講和条約に調印したそうなんです。

 

その結果日本に帰ってきた小村寿太郎は国民から総スカンくらったとか。

ガイドさん曰く「もし小村寿太郎がいなかったら今のウクライナの様になっていたかも?」

150センチにも満たない小さな小村寿太郎が大男の欧米人と渡り合った姿を想像すると

今の日本があるのは小村寿太郎のお陰かも?なんて大袈裟ですが

ガイドさんの話を聞いてそう思えました

なんと2時間以上ガイドをしてくれました。

  

許可をもらって撮影させていただきましたが

70歳には思えない若々しいガイドさんでした。

ご本人は「あの4本の杉の真ん中にいつも立ってるからパワーをもらっている」と

 


お食事処 さき

2024年12月18日 14時54分17秒 | 宮崎県

 宮崎に入って最初の食事。

目的地は飫肥(おび)なので

そこに一番近い店を選びました。

 お食事処 さき

立派な骨組みの平屋です。

宮崎はチキン南蛮が有名と聞いていたのでさっそくランチに選びました。

  当たりです

タルタルソースがめちゃ美味しく

揚げた鶏肉もしっかり漬け込んでいて白ご飯が進みます

 

 

こうして旅行先の食事が当たるとテンションも上がり

先行き楽しみになるんです。

 

実はその通りで 飫肥(おび)と言う街で思わぬ出会いが