アネッティワールド

日常の体験から・・・

東日本大震災のその後

2024年07月05日 23時41分04秒 | 宮城県

2011年ですからもう13年経つのですね。

この言葉に象徴されているいうか

頑張るしかないのでしょうね、生き残ったのだから。

だってこんな街だったのが

翌日にはこんな街になったのだから。

石巻に両親がいた義従姉妹夫婦は

当時ガソリンが足らなくて毎日長蛇の列と聞いて

従弟は大阪からガソリン用のタンクを車のトランクに積んで

北陸経由で石巻迄運んだものでした。

今でもこちらで手配したタンクに感謝をしてくれています。

特に被害の大きかった門脇小学校です。

被災地に住む人からの当時の証言を聞くと

耳をふさぎたくなるような事実に

戦争ほどでは無いけれど極限に置かれた時の人間の行動に驚愕しました。

 

しかし時間が経ち冷静になってからの人の行動は

報道されてたように立派としか言いようがありません。

 


ブルーインパルスを見に

2024年07月04日 16時23分27秒 | 宮城県

母方のいとこ達と別れ

父方のいとこ達のところへやってきて

まずはお蕎麦でランチです。

十割蕎麦を十分堪能しました。

ちょうど宮城県東松島市でブルーインパルスの飛行訓練があるということで連れて行ってもらいました

航空自衛隊による基地上空訓練です。

ちょうどこの土手の上空をブルーインパルスが通過するということで

たくさんの人が見学にきています。

 

ところが当日強風のため急遽コースが変更になり

はるか右側を飛ぶことになり 爆音だけが届いてきたのです

車窓から見える住宅の数々、この新築を見ると

阪神淡路大震災の後の神戸の住宅地を思い出します。

大震災のあとはこうして復興していくんですね。

手放しに喜べない復興風景です。

 

このあと石巻や南三陸町を訪れたいと思います。

胸が締め付けられる写真が出てきますが

忘れてはいけない記録ですので是非見てくださいね


炉地バー 八兵衛

2024年07月02日 00時25分03秒 | 宮城県

山形と仙台から集まった母方の従兄弟たちと

利久で食事の後

ホテルに近いバーでちょこっとだけ飲むことにしました。

炉地バー 八兵衛 です

肉を食べたので

あっさり野菜で一杯

この「サーモンとアボカドのタルタル」が

牛タンの後だけにとても爽やかで美味しかったです

この翌日からは東北本線に

父方の従兄弟たちのもとへ行きます。

 

これはこれで楽しみなんです。


牛タン炭焼き 利久

2024年06月30日 00時02分40秒 | 宮城県

JR仙台駅 東口から徒歩すぐのところに

牛タン炭焼きの店 利久 があります。

20年ほど前の創業の頃にこの店に来て感動したのを覚えています。

大阪で食べるタンは薄くてレモンで食べ

焼肉屋で最初に注文して食べるのが牛タンです。

ところが仙台で食べる牛タンは分厚くて柔らかいのです。

ところが贅沢なことに最近では地元スーパーでも

分厚い牛タンが売られるようになったので

昔ほどの感動はありませんでした

焼きたての笹かまぼこ 美味しかったです

またまたホヤに挑戦です

進んでは食べたいとは思わないけど

全然大丈夫でした 不思議です味覚が年とともに変わったのかな

仙台発祥の牛タンですが

たまたま発案した人が仙台出身だったということだそうです。

 

利久は全国で50数店舗あるのですが

牛一頭のなかで舌を使うので仕入れが大変でしょうね。

(400㎏の中1.5㎏くらい)

まさか舌だけをオーストラリアやアメリカから取り寄せることはできるのかな?

 

またマグロのように世界が食べだすと

更に牛タンは高級食材になるのでしょうか?

 


すずめ踊り

2024年06月28日 12時16分04秒 | 宮城県

ちょっと写真の枚数がいつもより多いですが

躍動あるすずめ踊りを見てあげてください

あらためてこう言う踊りをみると

膝がどれだけ大切かがよくわかります

踊りを見た後は近くのイオンの前の出店で

鶏のから揚げと生ビールです  

 

寿命が延びたことはいい事だけど

その分認知症・誤嚥性肺炎・膝の痛み・etc を経験する人も増えることは

仕方ない事です。

昔はそれまでに亡くなってましたからね

 

10年ほど前は『引退したらゆっくりした生活』と思ってましたが

今は仕事する意味合いが変わってきて引退に不安を感じます。

  (仕事が有って働ける間は適度に働いて!)

 

 そして楽しめるうちに楽しまないとね。