2011年ですからもう13年経つのですね。
この言葉に象徴されているいうか
頑張るしかないのでしょうね、生き残ったのだから。
だってこんな街だったのが
翌日にはこんな街になったのだから。
石巻に両親がいた義従姉妹夫婦は
当時ガソリンが足らなくて毎日長蛇の列と聞いて
従弟は大阪からガソリン用のタンクを車のトランクに積んで
北陸経由で石巻迄運んだものでした。
今でもこちらで手配したタンクに感謝をしてくれています。
特に被害の大きかった門脇小学校です。
被災地に住む人からの当時の証言を聞くと
耳をふさぎたくなるような事実に
戦争ほどでは無いけれど極限に置かれた時の人間の行動に驚愕しました。
しかし時間が経ち冷静になってからの人の行動は
報道されてたように立派としか言いようがありません。