1997年8月10日(日曜日)の日本経済新聞。
ちょっと長いですが、全文を掲載します。
恋文、いい響きですね。
言えなかったことを伝えた。
気持ちがすこしだけ震えた。
淡い恋心をしたためた数行であったり。故郷の父母に宛てた近況報告であったり。遠くに離れて暮らす娘との心の距離をちぢめる一通であったり。はたまた、ビジネスパートナーへの親書であったり。手紙を書いた経験をきっとお持ちでしょう。あなたが、日常的なコミュニケーション手段として縁遠くなった手紙をあえて選んだのは、きちんと伝える伝達力。末長く残す保存力。感銘を与える表現力、という手紙ならではの力を信じたからではないでしょうか。
あれやこれや便箋を選んでみたり、万年筆を引き出しの奥から取りだしてみたり。心を手紙という形に託すとき、どうしたら心が通い合うかをアレコレと思案する。こんな緩やかな時を過ごすことで、人は何かを思い出したり何かを忘れたりするのかもしれません。交歓を生むコミュニケーションは沢山ありますが、なかでも手紙は、走り続ける私たちに、休息の時間をもたらしてくれるような気がします。
インターネットや電子メールの発達なと、コンピュータと通信技術の向上による情報革命が急速に進展して、とかくペーパレス社会といわれる今日。それでも、親しい人からの手紙を読み終えた時の心地良さは、話し言葉とは違う文章、クセのある文字で綴られた紙があってこそ、味わえるもの。ほんの小さな紙ではありますが、神は人と人、心と心の大きな架け橋となります。
ところで最後に手紙を書いたのはいつのことですか。あの人に言えなかったことを、自分の文字で、言葉で書いてみてはどうでしょう。
この夏のよい思い出として。
小さな紙が、大きな架け橋。