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あみの3ブログ

正院川尻城@石川県珠洲市 令和三年(2021)8月11日

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飯田湾沿いの内浦街道が南方直下を通る交通の要衝に位置する。丘陵が海岸線近くまで迫る地形から、街道と海上を監視する適地に築城されている。
タカヨウガイ(髙要害)、シモヨウガイ(下要害)、ドイ(土居)、ウチゴウ(内濠)、トノヤマ(殿山)など周辺に城に関係する小字名が残っている。
 正院川尻城の築城者は伝わっていないが、正院川尻村を本貫地とした長川尻氏の可能性が高い。長川尻氏は能登の有力国人として、長享元年(1487)室町幕府の奉公衆としてみえる。天正4年(1576)12月、奥能登に侵攻した上杉謙信が家臣の長与市景連を正院川尻に置いたと伝えられている。その後一旦畠山方に奪還されるが、翌5年3月に再侵攻した謙信により再び景連が置かれた。景連は越後黒滝長氏の一族とされ、謙信と織田信長が同盟を結ぶ際に起請文を届けるなど織田氏との外交を担当したと感えらている。天正7年(1579)8月、旧畠山家臣の温井・三宅氏と織田連合軍に攻められ、景連は海路越後に逃れた。
城跡は長年の耕作などにより破壊され、わからないことも多い。5つの削平地(曲輪)からなり、発掘調査の結果、第3郭・第5郭の空堀は幅12m、深さ5m以上の規模だったことが判明している。また惣堀の存在から、極めて大規模な城郭で、地域支配の城郭だったと推定され、天正5~7年の間に、上杉氏が能登支配の拠点として改修したものと思われる。
、、、いしかわ城郭カード説明文より


場所は石川県珠洲市正院町川尻
正院と聞けば、ラヲタ的にはこのお店が思い浮かびます。
伝説の中華「ひろし」、、、過去の記事は→こちら
過去の記事は→こちら
最近では「田中商店」、、、過去の記事は→こちら

そのすぐ近く
蛸島漁港に車を停め、


背後にある小高い山を目指します。



県道12号線に面した「川尻稲荷神社」参道脇からでも入山できますが、自分はその先の民家脇にある「正院川尻城跡登り口」の案内看板に従って入山しました。



民家を抜けるとすぐにゆるい傾斜の登り道となり、お墓や段々畑が続きます。



ここで当日の行程を縄張り図にて説明いたします。、、、佐伯哲也氏著 能登中世城郭地図(ブログ管理者加筆)




登り始めて4~5分で「虎口」看板に到着。
ここに至るまでいくつもの分岐がありましたが、麓の集落のどこからでも(個人の感想です)城址へ登れるようになっているみたいです。つまり城址周辺の低い削平地(曲輪跡)は恰好の耕作地だったりするわけで、住民がフツーに裏山(城跡)で野菜を育てています。



虎口から3分ほどで「空堀」看板に到着。
主郭へは看板を左折します。



空堀の中に降りてみました。
堀の幅が広いです。前述した幅12mはともかく、深さ5mはないな~
土塁が崩れて堀の底に堆積したんでしょうか。


掘の底から見上げる土塁



第4郭
広い削平地ですが、耕作地として遺構は破壊されているようです。



第3郭
道の左手に見えるのが第3郭


奥から道の方向を見る、完全に畑化しています


土塁が巡らされているようにも見えます


横堀
曲輪の中央部は耕作地になっていますが、周辺の藪になっているところはかろうじて遺構が残っています



主郭北側虎口
右手方向が第2郭になるのでしょうか?
とにかく主郭への入り口にあっては、左右から口を閉じるような突出部が確認されます



主郭削平地
市指定史跡の標柱が建っています
写真は南方向


主郭西方向


主郭東方向


主郭北方向
今来た方向が北
スマホのコンパスで北を確認



主郭南側の堀
この先に曲輪の削平地が見えるが、藪が酷く進めない


竹や笹の藪を分け入ったが、どの方向にどれだけ進んだのか見当がつかない、ただその先が海の方向だということだけが分かった
この塁線上に櫓台があって、眼下の内浦街道や飯田湾の海上を監視していたものと思われます



主郭土塁


方向音痴になりました
主郭下の堀に入ったらいつの間にか第3郭の空堀だったようです



帰路
虎口看板の先の分岐
右は川尻稲荷神社方向
左は民家からの城跡登り口方向
このくりぬき方に趣を感じました(笑)



空堀看板のところで分岐があり、そこを進むと階段状曲輪群や竪堀があったようです。ただ、あえて市教育委員会による案内看板が出ていなかったのは、現状見るべきものが無いと判断したからでしょうね。

それよりも、道を挟んで隣にあるもう一つの小山。地元でいう「トノヤマ(殿山?)」ですが、ここにも遺構があるそうなので見てみたい気もします。


※2022年6月12日 いしかわ城郭カードリンク追加

【正院川尻城】


名称(別名);稲荷山要害、黒滝城
所在地;石川県珠洲市正院町川尻
城地種類;山城(台地城郭)
標高/比高;33.2m/30m
築城年代;室町時代
廃城年代;16世紀後半
築城者;長川尻氏・長与一景連
主な改修者;
主な城主;長氏
文化財区分;
主な遺構;曲輪、堀、切岸
近年の主な復元等;


※出典、、、佐伯哲也氏著 能登中世城郭図面集
地図;
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