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北海道旅行のまとめをしていたら今から48年前、学生時代に訪れた北海道旅行の写真が出てきた。
生まれて初めて訪れた北海道は、青春の1ページに鮮烈に焼き付いています。
昭和50年(1975)8月10日
運転免許取りたての自分は友達に誘われ、アルバイトで稼いだ5万円と僅かな着替えをマジソンスクウェアガーデンの白いバック(参考→こちら)に詰め込み家を出た。
友達、、、「幸雄」(仮名)は高校の同級生で、番長格として一目置かれていた。
幸雄と親しくなったのは、夏休みに通った運転免許教習所で同期となったからでした。 免許合格となった翌週、幸雄から突然『北海道に一緒に行こう!!』というお誘い。
半ば強引に誘われ、すでに彼の友人から車を借り受け、テントなど野営道具も準備してありました。
初日は自宅を出発し、日本海沿いにひたすら北上し青函連絡船乗り場の青森港を目指しました。当時は北陸自動車道も全線開通しておらず、いわゆる下道を走ったわけですが、新潟県は日本海沿いに長く伸び、北陸3県ほどの距離があります。自分は助手席に座っていたんですがこれだけ長時間座っていた経験がなく、突然お腹が痛くなり急遽新潟のとある町で薬屋を探し、薬を飲んで事なきを得たことが強く記憶に残っています。
その後は順調(だったと思いますw)に青森港にたどり着き、青函連絡船に乗船しました。
当時繁忙期10往復の乗用車航送が行われておりましたので、平均2時間半に1本くらいは函館行きの便があって、待ち時間のロスは無かったんだと思います。
内地wの行程図(イメージです)
下道を北上、
走行距離約720㎞
走行時間約15時間30分(休憩時間を除く)、、、※いずれもルート検索アプリでの概算値です(以下同)

青森-函館
現在のフェリー航路

青函連絡船の乗船券(帰路)
3m以上4m未満の車両で6800円
所用時間は片道約3時間50分でした。

自宅から函館までは、単純に計算しても(車15時間30分+フェリー3時間50分)=19時間20分
休憩や乗り合わせの待ち時間を入れると、片道24時間の一日仕事。
8月10日出発→20日帰宅の9泊10日の旅行でしたが、うち2日間は移動に費やしたことになります。
函館に上陸してからの細かい行程や宿泊先などは記録にありませんが、残された写真と記憶で行程を検証してみることにします。
◆地名や施設名が記録されている写真は以下。
「支笏湖」

「摩周湖」

「網走刑務所」

「日本最北端の地(宗谷岬)」

「ノシャップ岬」

「朱鞠内湖」

「余市ニッカウヰスキー」

◆手元に残っている資料
「愛国から幸福行鉄道乗車券」(キーホルダー)

「木彫りの熊」

「「銭函バリヤー(IC??)のレシート」

「青函連絡船乗船券レシート」

◆記憶に残っている場所名
「札幌市白石区の友人宅」
「襟裳岬」
「阿寒湖」
「アイヌ村」
「風蓮湖」
「サロマ湖」
◆記録や記憶残っているが場所名が不明
「ディスコ」
「盆踊り」

「アイヌ衣装のコスプレ」

「ユースホステル」
「酪農地帯・一面の牛」

「海岸線」

「直線道路」
◆記憶があいまいなところ
宗谷岬・ノシャップ岬から朱鞠内湖までは明確なんですが、その後「余市ニッカウヰスキー」までの行程が思い出せない。
ディスコでフィーバーしたのは「旭川」だったと思うんですが?
道央自動車道にて札幌経由で行ったのか?
233号線で留萌→日本海沿いに石狩経由で行ったのか?
札樽自動車道「銭函バリヤー(IC??)」のレシートが残っているけど、銭函で乗ったのか?降りたのか?が不明
400円という金額、現在の価値では1000円くらいでしょうか?
余市から銭函なのか(復路)?
旭川から道央自動車道→札樽自動車道銭函なのか(往路)?

とにかく余市のあとは札幌市白石区の友人宅で泊りました。
石狩廻りで行ったとして道内の行程を地図に表してみるとこうなります。

まさに【岬巡りの旅】
1974年発売の
♪岬めぐり♪ 山本コウタローとウィークエンド
この旅の計画を立てた幸雄は、前年に発売されたこの「岬めぐり」という曲に触発され北海道の岬を巡ってみようと思ったんでしょうね。
自分はただ付いていくだけで旅行の計画には参加していませんし意図も訊いてはいなかったと思いますが、今検証してみると行程が緻密に計画されていたことがわかります。
函館上陸から時計の逆回りで北海道一周。ほぼ一筆書きで函館に戻ってきている。
観光地はスルーして岬や湖といった北海道の自然を満喫するルートです。
道内約2200kmを走破するのは気力・体力が充実した若いうちしかできないことですね。
しかも宿泊が予約無しの出たとこ勝負。
でも幸雄は要の宿泊地に「ユースホステル」を選んでいたんだと思います。 行き当たりばったりの偶然ではユースホステルを見つけることはできなかったと思います。
ただ最後の宿泊地となった札幌市白石区は自分の友人の自宅だったので、余市から札幌に戻ることになって一筆書きが崩れてしまったんだと思います。幸雄の計画では余市からニセコを通って道央自動車道・長万部から函館に戻る一筆書きが完成していたはずなんだろうなと、この地図を見て感じました。
【宿泊】
ユースホステルで2回?
テントで2回
友人宅で1回
車中泊2回?
ユースホステルなんて存在はこの旅で初めて知りました。 ユースホステルとは日本ユースホステル協会HP→こちら
バイクや四輪、自転車で日本一周なんてひとも、個人もグループも、男も女も一つ屋根の下で泊って、飲んで、歌って、旅のノートに書きこんだり。これが青春だ~っ!!て感じです。
中には同じコースをたどる人(グループ)もあって、行くとこ行くとこで再会するってこともありました。
【アクシデント】
★初めての長距離ドライブでお腹が圧迫され腹痛になる(新潟県で薬局に走る)
★スピード違反で反則金を納付、いきなりの出費で予算狂う(函館上陸後の直線で速攻スピード違反で検挙される)
愛想のいい警官が『いやいや、内地から来るとほっかいどうひろいからねぇっ! スピードだしちゃんだよねぇっ!』にっこり笑って切符切った💦
★幸雄と喧嘩した事
単調な風景、周りには牛しか見えない景色に飽きてしまったのが原因。
★隣町まで120km
恐ろしく遠い
★朱鞠内湖でテント浸水
朱鞠内湖キャンプ場でテント張ったけど「蚊」が多くてどうしようもなく、蚊取り線香を買いに行ったが、隣町が60km先で蚊取り線香買うだけで往復120km走った。
しかも帰ってきたら、折からの雨でテントが浸水しており、結局車中泊する羽目になった。
※2023年5月14日、朱鞠内湖で釣り人がヒグマに襲われ死亡するという痛ましい事故が発生しました。当時はヒグマの知識もなく(個体数が駆除によって少なかった)のんきにキャンプしていましたが、現在は個体数が劇的に増加し事故が多発しています。人間を恐れないヒグマ、遭遇したら即襲われる。一人では山に入らないというのが唯一の対策だそうです。お亡くなりになった方のご冥福をお祈りいたします。
web記事は→こちら
ツアーで北海道滞在中に見たNHK特集→こちら
★お金が無くなる
最終日は財布のお金が底をつき、青函連絡船乗船代金・ガソリン代さえ危うい状況。
札幌の友人宅で泊らせてもらい、出発する際にはお母さんにオニギリ2食分持たせてもらったが、新潟県でガソリン切れ目前となり、交番に駆け込みおまわりさんにお金を借りました。空腹を満たすために冷たい麦茶を何杯もお代わりしたのが忘れられません。
もちろんその後交番に書留で返金した(ハズ💦)
おまわりさんと札幌の友人・お母さんに感謝です。
【2023年 レンタカーで廻る北海道4泊5日を計画してみて】(結局ツアーになってしまったけどw)
いままで無謀な旅と思っていましたが、幸雄の緻密な計画が根底にあったんだなと今更ながら気づきました。
今ではパソコンアプリで移動距離や時間を算出し、行程を予測することができますが当時はそんなものは無く、地図帳とガイドブックをにらめっこして何度も手書きで計画を練り直したんだと思います。
あとはアドリブwww
計画の変更が柔軟にできる修正能力と対応力が勝負!なんですよね。
色褪せた写真を観る度、色鮮やかに記憶がよみがえる。
こんな経験は若い時にしかできません。
死ぬほど楽しかったし、ここでは言えないあんなことやこんなことも。。。ヽ(^o^)丿
【経験を活かして2回目、3回目】
社会人になってから社員旅行・慰安会で2回北海道を訪ねました。
特に転職後の3回目は自分が幹事をしてグループをお世話することになりました。
★平成5年(1993)
京都の日用品商社時代
登別-小樽-札幌・2泊3日


★平成10年(1998)
スズキ時代
函館ー登別-札幌

【死ぬまでにもう一度】
未踏の知床岬
カズワンの事故が忘れられませんが、一度は行ってみたいですね。