Amo Torino!

トリノで6週間のイタリア語研修します。その後5週間程ヨーロッパをまわります。

今日いち-2024年10月5日

2024-10-05 18:00:00 | 日記
ピエトロミッカ美術館
17世紀のトリノの要塞の広大な地下道

今日は、トリノに着いた時にタクシーの運転手さんが『行った方がいいよ』と言ってたピエトロミッカ美術館に来ました。
見学者も5人位で、受付でイタリア語にするか英語にするか聞かれ、勉強中だからと言ってイタリア語のレシーバーを無料で貸してくれました。
トリノに多いパルチザンの記念館かと思ったら全然違ってました。
17世紀(日本で言ったら家光のころ)、ここに五稜郭のような要塞があり、フランスがトリノ(サヴォイア家)に攻めてきてトリノはプロイセン・オーストリア連合の援軍を得て戦った記念館でした。でも元々はサヴォイア家はフランスと和平を結んでいたのに他と画策して、それに気づいたフランス軍が攻めてきたらしいです。

貸してくれたレシーバーはよく出来ていて、展示物の番号を押すとゆっくり目のきれいなイタリア語で説明してくれます。
今日は予定もないのでゆっくり見て行きました。


歩兵でもこの格好です。さすがオシャレですね。





昔からデザインが凄いなーとか思い、地下二階に行き地下道があったんだと思いながら受付に戻って「Grazie!」とレシーバーを返そうとすると「No,No今からこれを使うから」って。
他の見学者は私を待ってたみたいで、これから20分かかるって言われてトイレに行ったりして更に待たせ、悪かったです。😞
これから地下道見学に出発です。


見学者4人を先頭と一番後ろの係員が懐中電灯で照らして進んで行きました。


地震とかで崩れたとこもあるって聞いて、今地震があったらどうなるんだろう?とか思いつつ進んで行きました。

400年以上前のものなので修復されているところが多く、この写真のところはオリジナルで花輪が置いてありました。
所々に番号がありレシーバーで聞こうとしますが、余裕がなくて。道はものすごく複雑で所々に武器や食糧や寝室か枝のようになっているし、本道も途中で3方向に分かれたりしてます。はぐれたら死ぬとか思いつつ受付に戻りました。
今日は私たちは450m歩いて、全長2500mあるそうです。
すごい複雑で、「昔は標識とかなかったんですか?」と聞いたら「秘密だからない」と、愚問でした。
第二次世界大戦中だけ防空壕として使われたそうです。
ここに火薬を置き、大砲をフランス軍に撃ち込みフランス軍は4.5万人のうち3万人がなくなり壊滅的になり、この前行った鉄仮面の町ピネローロまで敗走しトリノの町は守られたそうです。

大砲です。この地下道は4000人位が作り、特攻隊のように自爆で突っ込んでいった人もたくさんいたんだそうです。

思いがけず貴重なものを見せてもらいました。無料だったんですが、わずかですが寄付しました。



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