えみこの部屋

最期まで元気で過ごしたい

二服目 ☕

2020-04-09 15:01:33 | 日記

母の青春 中編

母は ずっと近くの お医者さんに 掛かって いましたが、昔の事ですから ドックなど 受けることは ありませんでしたので、部分的には 受けていたのに 乳癌の疑いが 出たんです、近くの 大きな 病院で 精密検査を 受けて、摘出手術を することに なったんですが、もうすっかり パニックに なり・・・、手術の 結果は 良性の腫瘍だったんですが、入院させて 貰えずに 家からの 通院を 余儀なく されました、二人で 毎日 病院通勤、そのバス代が いくらか最後まで 覚えられません、やっと 一か月余り 放射線治療を 終えて 安堵したのも 束の間、

始まりました「あんた お金取ったやろう?」「お金が無い」 キタ~~~ それからは 急な坂を 駆け落ちるように、私が 狂いそうに・・・、

その頃は この市には 数名の ケースワーカーしか いないので 福祉事務所に 出向いても 留守が多くて 途方に くれたんですが、同級生の H 院長に 頼んで 裏から 手配して 特養に 入所が 出来るように なったんですが、連れて行っては 連れて帰りを・・・繰り返しと、入所が 思い切れないんです、三回目には 大学に 行っている 長男と 一緒に 行って、置いて 逃げて 帰りました、それまでの戦争のような 毎日が 終わって、家の中は 穴が 開いたようで・・・

当初は 1日2回程 面会に行っていて、食事を させていました、看護師さんに 随分嫌味を言われました、だって外部の者が 居ると、きつい口調には なれませんもの、

例えば、受付から 面会との 連絡が 入ると、患者さんの 上から 下までが ちゃんと なっているかを 検査されて 居ますわ、

又、元気な人は 力いっぱい 介護士さんを 叩きます、でも 私が居たら、決して 叱ったりは されません、居なかったら??

だから 出来るだけ 行こうとは 思いましたが、体力が・・・

で、母の存在も 薄くなって 来た時に、突然 はる~~~ に

ある日 面会に 行ったら「結納を 貰ったので お返しを せねば・・」「何 貰ったん?」「水屋」 ヒェーーー

ーつづくー もう少し待って、明日でオワリます!

 一目千本の吉野の桜 Y 子さんが送ってくれました。