息子達が就職をする時、オットさんは「グローバルな世の中やから好きな所へ行ったらいいよ!」と云っていましたが、長男はそれでも気を使ったのか関西で、次男は関西の本社の東京総局へ
その次男は転勤族になって、東京に🏠を持ったものの三年とじっとしていられない状態で、昨年岡山に単身赴任、余りにも遠すぎて一年で根をあげたのか転勤願いを受け入れて貰って、今度は甲府へ、少しは近くなったもののまだまだ一人暮らしを余儀なくされて・・・ まあ運命かも?宿命かも?
お互いに趣味を持って楽しんで貰う事が親の望みでも有ります、岡山赴任中は一度だけ招待をして案内をして貰ったけど、今度は少しだけ遠くなって行けるかなぁ???
私も 妹弟がいたが幼くして他界、一人っ子としてしっかり者の母の下育てられた
一方、オットさんは 多くの兄弟の下から二番目、順当にそれなりに老いて行き、今は姉さんと兄、弟、その兄は今まではしっかり者で 兄弟の中心となって全ての事の纏め役で皆を統括、そんな性格故に仕事オンリーだったから退職をしても、趣味が無く畑仕事もだんだんとしんどくなって・・・車も事故を案じて乗らなくなり・・・その内、痴呆症が徐々に襲って来て奥さん一人では手に負えなくなってきて、とうとうグループホームのお世話になるように・・・一方、弟は腰が悪くて杖をついての毎日、オットさんが一人頑張っていたが、それもだんだんと疲れて来て、模様が怪しい 老老介護の難しいことが判るだけに介護保険のお世話になることの有難さがしみじみと感謝 そして、自分も何時かはそうなる事の不安が頭にこびりついているようで・・・
「お前は、そう云う兄弟のDNAが判らんからいいなぁ」と、おっしゃるが 私だって何時どうなるか誰も分からないから不安な毎日でござりまする。
マイナーな事ばかりを考えずに早くお花見が・・・
でもやっぱり我々の年になると故郷へ帰っても実家に泊まるって事はなかなか難しいようで(だってもう両親も居ないし、兄弟も老いているし、甥や姪の所へは中々ねぇ)
皆さんビジネスホテル付きの早割切符を買って来られたようで、それが一番!!☝
昔は世間でも、会社でもブイブイと活躍した人間も、みんな同じだけ年を重ねているんです、
散会後、クロークで「俺のコートが無い、これやと思うんやけど、誰かが間違えたんやろうか?」彼はそれを着て・・・、二次会会場では「この財布は?」「このメガネは?」「誰か、〇〇君のコートをしりませんか?」
それにしても老体に鞭打って黙々とお世話をされた人達には頭が下がります、私だったら不平不満で血圧がイッパイに上がっているでしょう、心を入れ替えて、チョットだけの間は大人しくしておこう 👅
卒業60周年と銘うっての傘寿会、100人程が集まった、
懐かしい顔で元気に出会えること ✌ 平均寿命が上がったとは言え嬉しい事です、当日に備えて点滴を受け準備をしていてもドクターストップが掛かり断念したり、出席の返信をした後に亡くなったり、運命を感じます、
が、この機会を見逃したら・・・と頑張って行って来ました、東京からは勿論、九州からとか 北海道からとか 遠くの人は泊りがけでご苦労さんなこと!
誰も人の話を聞かずに 自分勝手に話して、自分勝手に納得、で自分勝手の(笑)
でも みんな顔を見なければ青春時代の若者みたいにゲンキゲンキ、酒もビールも紹興酒もそれなりに空になって おかわり!
平均的に男子の方が👂が遠くなっていて、皆さん大声で・・・でも女子の声の方が大きくて(それでなくても元気やのに)会場がわ~んわ~ん とにかく楽しいひと時を過ごして帰宅、ハァ~~~晩ご飯の準備が待っておりましたぁ😢