最近の若い人が怖いと思うものは
LINEのやりとりで使う句読点がだめだって
句読点 特にあの小さいまる 「。」がダメなんだって。
あれが文章の終わりにあると怖いそうだ。
へぇ。
いろんなことに「どうでもいいじゃん」ってな感じに
生きてるような若者がここにこだわるのが面白い。
ところでこのちいさい丸の話から思い出したのだけど
年賀状など新年のあいさつなどにはつけないのがいいとか。
文章の終わりにつける 「。」なので
縁起のいい事に区切りをつけない方がいいという事らしい
例えば
明けましておめでとうございます。
去年は、お世話になりました。
という一文だけど
明けましておめでとうございます
昨年はお世話になりました
とするのがいいということらしい。 ( 丸と点を取って「去年」は「昨年」にして)
もともとは句読点って子供のためにあるという考えもあって
目上の方には特に気を付けなくてはならないとの事。
あとは「新年あけましておめでとうございます」 ってのも
「新年」が年が明けるというのを意味してるので
「明ける」が重なってる。
「明けましておめでとうございます」 か
「新年おめでとうございます」が正しいそう。
ふーん。
みんな知っとる話だったね あははは ( ̄▽ ̄)
半角のスペースを開けるのは私もたまにやるけど
ORIONさんってこんな風に書くっけ?って思いながら
読んでました。
私の書くものは難しい漢字が入ってないから
ちょっと読みやすいと感じてくれるのかもしれないですね。
読みやすい物、そうでないものって
作家さんの小説でもありますね。
自分にとっての読みなれた文章の運びもあるのかも。
ところでお正月はフィンランドですか!
確か奥さんの実家がヘルシンキでしたっけ?
寝転がってオーロラをみたり、目的もなく路面電車に乗ったり
何とも魅力的な過ごし方 (*´▽`*)
「住んでみたいところ」があるのはいいね!
わざと「。」を多用してみたり
>いつか北海道で住みたい と
↑
>勝手な思い込みでしょうが なにかきれいに
↑
>素読での響きやリズムを、読む時には
↑
と 半角空けたり「、」入れてみたりした。
少しでも読みやすく 口の中で転がしたりするときに きれいだといいなあ、と思いますが
まあ 自己満足ではあるのかもしれないです。
dekoponさんの文章は読みやすいです。
構成がしっかりしているので頭に入ってきやすい
最初にdekoponさんの気づきをポンと振っておいて
展開していって 引っ張って行かれる
「ふーんそうなんだ」「これ知っていた」とサラッと振って
理屈っぽくならずにすすんでいく。
そしてサゲ。
>みんな知っとる話だったね あははは
とか 親しみやすさも滲むし
Titleもうまいなあ と思うことが多いな
以前はdekoponさんは物書きではないか と思っていたこともありましたしね
お正月はフィンランドに行っていました
深夜 といっても北極圏なので 一日中 太陽は上らないんだけど
人のいない丘へ登って 寝ながらオーロラを見たり? というか包まれたり
ヨメの希望で首都のヘルシンキにも寄って
来た路面電車に適当に乗って町をさ迷ったり
大きな都市は好きではないんだけど ヘルシンキは住んでもいいと思った
スマホは持たず
予約とか現地宿や交通機関とのメールがあるのでヨメのみスマホで
服とカメラとメモ 鉛筆以外は持たず
若い頃の放浪の感覚を思いだし
久しぶりに住みたいと思う町や自然に出会いました。
お正月はゆっくりできましたか?
「新年のあいさつには句読点を付けない方がいいらしい」 という
話にわざわざ丸をいっぱいつける所なんてORIONさんらしいねぇ ( ̄▽ ̄)
長期入院しているときにいい本に出逢えてよかったね。
そっか~ リズム 確かに私も人の文を読んでいると
あまりに句読点がない文章だとリズムがない、ってのがなんとなくわかる。
自分の文を客観的に読めないから
自分も誰かにそう思われてるかもね。
ブログも本当にさまざまで、同じような内容の事でも
読みやすいものと、
何だか苦しくなって途中で辞めてしまったりするのって
何だろう? と考えると行間や改行がなくて端から端にびっしりの文や
読点があまりにも多くて読んでいるうちに
「また点が、また点が、」ってそっちが気になってくるのも。
普通はそんなことは気にならないかもしれないけど
きっとこれも読む人によるのでしょうね。
きれいに感じる文章はすっきりして スイスイ読めて
きっと読んでいても気持ちがいいのでは?
新年おめでとうございます。。。。
・・・・ま、どうでもいいや。。。。。(笑
私の好きな児童文学者に石ノ森延男というかたがいらっしゃいます
私が北海道に移り住むきっかけになった「グスベリ」という本をお書きになっていて
そこには昭和初期の自然豊かな札幌での幼少期が綴られていて
長期入院中で人や自然と隔絶された私の心に刺さるには充分でした
いつか北海道で住みたい と
あ 長くなった
で この石森先生が戦後直後の国語教育に尽力され
そこで「句読点はいらない」ということを書かれていました
詳しくは覚えていないのですが
素読での響きやリズムを、読む時には流れを阻害するため
美しい日本語という主旨で
全てやめるのではなく必要最低限にする というお話だったかと思います
親しい人に手紙を書く時に ときどき使いますが
句読点が全くないとリズムがなくなってしまう気がして
半角くらいを空けて書いています
勝手な思い込みでしょうが なにかきれいに感じるのは
わたしの思い込みでしょうか
「こっちだってあなたたちのわけのわかんない行動が怖いわ」
って思うことがある。
でも「若い人」とひとくくりにしてはいけないのかも
あっちは「おばさん」とひとくくりにしてるのかもしれないけど
中にはちゃんとした子がいるんだろうしね。
俵万智さん、短歌でうまく返してますね!( ̄▽ ̄)
若い人が怖がるからと、変に合わせるのもなぁ、と
思っていたところです。
〇をつけるおばさんパワーを恐れているようです。
でもちゃんと学校で習いましたよね。
そんな若い人たちに向けて見事に言ってのけた俵万智さんの短歌に万雷の拍手が送られましたよ。
「優しさにひとつ気がつく ×ではなく〇で必ず終わる日本語」(俵 万智さん)
嬉しいです。
句読点ってなんとなく使っていたり
自分なりのルールで使っていたので
なんかのきっかけで知ると「へぇ」ってなりますよね。
年ばかり取っても知らないことって
多いなぁ。私はこんな事ばっかりです (*´▽`*)
なにもかもに「。」をつけていました。
そうでしたか。
>みんな知っとる話だったね・・・
いいえこの歳になり 初めて学びました。