☆本記事は、Youtubeチャンネル『本の林 honnohayashi』に投稿された動画を紹介するものです。
ご興味を持たれた方は是非、動画の方もチェックしてみて下さいね!
●本日のコトノハ●
ヒトは、クルミは石で割る、トチノキの実はあくぬきするという方法で大量の食料を手に入れるようになる。
これは、じつは生態系のルール違反のはじまりである。ヒトは生態系のルールを破ることによって、ヒトになった。
「人も生態系の一員」というが、これはまちがっている。ヒトは生態系のシステムからはみ出してしまった動物である。
生態系のルールを破った動物にたいしては、生態系はもうめんどうをみてくれない。勝手にしなさいと見離されている。
人類はいま、自分の知恵で自分をコントロールしないと破滅してしまう段階にきている。
『ブナの森を楽しむ』西口親雄(1996)岩波書店より
毎年、キノコ狩りの季節になると、野山で毒キノコと知らずに採ったものを食べてしまって、中毒をおこしたというニュースを目にすることがあります。
人間はなぜ、毒のあるものを食べようとするのでしょうか。毒があるとは思わなかったという場合もあるでしょうが、一般に、お店に並んでいる商品であれば、毒物が混入している確率は限りなくゼロに近いはずです。(ごくたまに、魔が差した人間のいたずら等がありますが...)
わざわざ、中毒の可能性がある野生のキノコを食べなくても、お店で買えばいいものをと、単純な私は考えてしまうのですが、キノコ愛好家にしか分からない醍醐味のようなものでもあるのでしょうか。
私は生まれつき胃腸が弱いので、一度に沢山ごはんを食べることが難しく、そのくせ空腹にはなるので少量を一日の中で4~5回に分けて食べたりします。
そして、困ったことに、お腹は空くのですが、何かを食べたいという気持ちがあまり湧かないので、食べたいものが決められずに途方に暮れることがよくあります。
以前、食べる物を決められない時は食べないで過ごしていたら、見事に栄養不足になって体力も免疫もガタ落ちし、慢性的な疲労が消えず、しょっちゅう風邪をひいて寝込むという悪循環に陥ってしまったことがありました。食生活って大事です。
少量とはいえ、ちゃんと栄養バランスを考えて食べたいですし、うっかり、油分や塩分の多いものを食べるとお腹が痛くなって下痢をするので、それらのことも注意しながら食べ物を探さないといけません。
(一般的に美味しいものは、味付けがしっかりしていて、油ぎっていますよね。)
それでも、学生の時は今よりも胃腸がマシな状態だったので、脂こってりのラーメンや特製タレの焼肉、濃厚クリームパスタなどを食べることがありましたし、それらの料理がとても美味しいことは知っているのです。
しかし、三十代、四十代と年を重ねるに従って、それらを食べた後の体調不良に悩まされるようになったのです。
美味しいと分かっているものを食べることができない今は、やはり残念です。
私の場合、後でお腹が痛くなって、トイレで苦しんでもいいから美味しいものを食べたいとは思えません。(本当に苦しいので…)
美味しそうだなぁと、それらの料理を横目に見ながら、お腹に優しい温野菜やお豆の料理をよく噛んで食べるのです。
野菜料理がマズいというわけではありません。納豆も豆腐も厚揚げも、私は大好きです。
現在は、食糧の生産や輸送が昔より発達しているので、通常であればその日の食べ物に困るという状況になることはほとんどないと思います。
江戸時代に、異常気象によって作物が育たず、飢饉に陥った時、毒のある植物を下処理して毒を抜き、それを食べて飢えをしのいだという話は聞いたことがあります。
毒のある動植物を無毒化する技術自体は、受け継がれてきた人間の知恵ですし、その方法を考え付いた人は素晴らしいと思います。
ですが、食べる必要のない状況下で毒があるかもしれないと知られている物を食べる行為は、決して賢いことだとは思えません。
私は腹痛と下痢ですら嫌なので、いくら美味しくても命を落とすかもしれないという危険を冒してまで、それらを口にすることはしないでしょう。
とはいえ、将来的に地球は食糧難に見舞われると予測する説もあることは確かです。
最近では、「昆虫食」などという言葉も目にするようになりました。毒があるとかないとか言ってないで、何でも食べられなければ生き残れない時代がやってくるのかもしれません。
ヒトコトリのコトノハ vol.48
ご興味を持たれた方は是非、動画の方もチェックしてみて下さいね!
●本日のコトノハ●
ヒトは、クルミは石で割る、トチノキの実はあくぬきするという方法で大量の食料を手に入れるようになる。
これは、じつは生態系のルール違反のはじまりである。ヒトは生態系のルールを破ることによって、ヒトになった。
「人も生態系の一員」というが、これはまちがっている。ヒトは生態系のシステムからはみ出してしまった動物である。
生態系のルールを破った動物にたいしては、生態系はもうめんどうをみてくれない。勝手にしなさいと見離されている。
人類はいま、自分の知恵で自分をコントロールしないと破滅してしまう段階にきている。
『ブナの森を楽しむ』西口親雄(1996)岩波書店より
毎年、キノコ狩りの季節になると、野山で毒キノコと知らずに採ったものを食べてしまって、中毒をおこしたというニュースを目にすることがあります。
人間はなぜ、毒のあるものを食べようとするのでしょうか。毒があるとは思わなかったという場合もあるでしょうが、一般に、お店に並んでいる商品であれば、毒物が混入している確率は限りなくゼロに近いはずです。(ごくたまに、魔が差した人間のいたずら等がありますが...)
わざわざ、中毒の可能性がある野生のキノコを食べなくても、お店で買えばいいものをと、単純な私は考えてしまうのですが、キノコ愛好家にしか分からない醍醐味のようなものでもあるのでしょうか。
私は生まれつき胃腸が弱いので、一度に沢山ごはんを食べることが難しく、そのくせ空腹にはなるので少量を一日の中で4~5回に分けて食べたりします。
そして、困ったことに、お腹は空くのですが、何かを食べたいという気持ちがあまり湧かないので、食べたいものが決められずに途方に暮れることがよくあります。
以前、食べる物を決められない時は食べないで過ごしていたら、見事に栄養不足になって体力も免疫もガタ落ちし、慢性的な疲労が消えず、しょっちゅう風邪をひいて寝込むという悪循環に陥ってしまったことがありました。食生活って大事です。
少量とはいえ、ちゃんと栄養バランスを考えて食べたいですし、うっかり、油分や塩分の多いものを食べるとお腹が痛くなって下痢をするので、それらのことも注意しながら食べ物を探さないといけません。
(一般的に美味しいものは、味付けがしっかりしていて、油ぎっていますよね。)
それでも、学生の時は今よりも胃腸がマシな状態だったので、脂こってりのラーメンや特製タレの焼肉、濃厚クリームパスタなどを食べることがありましたし、それらの料理がとても美味しいことは知っているのです。
しかし、三十代、四十代と年を重ねるに従って、それらを食べた後の体調不良に悩まされるようになったのです。
美味しいと分かっているものを食べることができない今は、やはり残念です。
私の場合、後でお腹が痛くなって、トイレで苦しんでもいいから美味しいものを食べたいとは思えません。(本当に苦しいので…)
美味しそうだなぁと、それらの料理を横目に見ながら、お腹に優しい温野菜やお豆の料理をよく噛んで食べるのです。
野菜料理がマズいというわけではありません。納豆も豆腐も厚揚げも、私は大好きです。
現在は、食糧の生産や輸送が昔より発達しているので、通常であればその日の食べ物に困るという状況になることはほとんどないと思います。
江戸時代に、異常気象によって作物が育たず、飢饉に陥った時、毒のある植物を下処理して毒を抜き、それを食べて飢えをしのいだという話は聞いたことがあります。
毒のある動植物を無毒化する技術自体は、受け継がれてきた人間の知恵ですし、その方法を考え付いた人は素晴らしいと思います。
ですが、食べる必要のない状況下で毒があるかもしれないと知られている物を食べる行為は、決して賢いことだとは思えません。
私は腹痛と下痢ですら嫌なので、いくら美味しくても命を落とすかもしれないという危険を冒してまで、それらを口にすることはしないでしょう。
とはいえ、将来的に地球は食糧難に見舞われると予測する説もあることは確かです。
最近では、「昆虫食」などという言葉も目にするようになりました。毒があるとかないとか言ってないで、何でも食べられなければ生き残れない時代がやってくるのかもしれません。
ヒトコトリのコトノハ vol.48
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます