☆本記事は、Youtubeチャンネル『本の林 honnohayashi』に投稿された動画を紹介するものです。
ご興味を持たれた方は是非、動画の方もチェックしてみて下さいね!
●本日のコトノハ●
「自分の女房が台所で大根を刻みながら、社会主義国の今後はどうなるのだろう、なんて考えたり、
僕の居ない間に、ローザ・ルクセンブルグや北一輝を読んでると思うとゾッとしますね」とAさん。
「そう、だから私は奥さんであることをやめたの」と私。
「僕の女房はそんなじゃないから安心ですよ」
よかったわね。そう言いたかったけれど、それは言葉にならなかった。
『女うた男うた』道浦母都子・坪内稔典(2000)平凡社より
女性が政治や経済に関心を持ち、自分なりの思想を抱くことがとんでもないことだと考える時代がかつての日本にはあったようですが、令和の今、男も女も、考えなしに社会で生きていくのはかなり難しいのではないかと思います。
賃金は下がる一方で、税金も物価も有無を言わせずに上がっていきます。
結婚して、子供を作り、家庭を営んでいけるような人は限られ、少子高齢化はますます加速するばかり。
そのような状況においても、女性は男性と同等のパフォーマンスを要求されてしまいます。
男性には女性のスキルが要求されることがないのに。
自分が女性として生まれてきたせいか、どうしても、社会の中で女性が損をしていると思ってしまいます。
このような問題について考える時、いつも私は「人間」という地球上に存在する種の一つにすぎない生物が、何故、存続しているのかという疑問に辿り着くのです。
いったい、何のために人間は社会を構築し、生活を営んでいるのでしょうか?
「人間」という種を未来に残すためでしょうか?
とはいえ、「このままでは、人類が滅んでしまう!」という理由で結婚したり、子供を作ろうと思う人はいないと思うのです。
自分にとって、結婚すること、あるいは独身でいることが幸せだから、それぞれの選択をするのが、現代では自然なのではないでしょうか。
もちろん、結婚したくないのに、しなければいけない人、もしくは結婚したくても様々な理由から独身でいることを余儀なくされている人がいることも確かです。
いずれにしろ、人はみな、幸せに生き、幸せに死にたいと思うものです。(それが叶うかどうかは別として)
一昔前ならいざ知らず、個人の自由が重視されてきた現在、不幸になると分かっていて結婚する人はいないのではないでしょうか?
そして、その傾向は今後ますます加速していくと思います。誰だって苦しい思いなどしたくないのですから。
女性が男性の思い描く「女」になるか、「奥さんでいるのをやめる」かの二択を迫られ、男性は依然として変わらないままという図式が変わらない限り、少子化が改善されることはないでしょう。
医学的に子孫を残せる性のタイプの組み合わせが「男と女」の一つしかない現状で、どちらか一方が我慢しなくてはいけないのなら、いつかその我慢には限界が訪れ、やがて子孫は残らなくなります。
そうして滅んできた文明は一つや二つではないかもしれない。それは、彼らの自業自得でしかありません。
現代社会の価値観は、そうした「滅びのシステム」を堅固に構築してしまっていて、ひたすら滅びへの道を突っ走っている。
私には、そう思えるのです。
それは女性だけでなく、社会的弱者と呼ばれる人たちについてもまた同様のことが言えます。
今まで社会に適応できずに悩んでいた人が、ふとした瞬間に「適応できなくてもいいや」と思う。
だって、こんな社会に適応したって幸せじゃないから。このまま消滅しても惜しくない社会じゃないか。
そう思い始める人が次第に増えていく。今を生きる人たちが「残したい」と思わなくなった社会は自然と滅びてゆくのかもしれません。
職場の男性同僚が育児休暇をとって、「こいつ、休めていいなぁ」と考えるのは、人類の未来を滅亡に導くことと変わらないと思うのは大袈裟でしょうか?
少なくとも、「ちゃんと子育てに参加しろよ」くらいには考えて欲しいのですが、この「参加」という言葉に引っかかる女性もいるようですし、いい加減、男性にとって家事や育児は他人事だという考えは改めた方がいいと思います。
それとも、私たち人間はみな、自分が一番カワイイのだから、今さえ良ければ、自分さえよければ、自分の家庭のことも、未来の社会のことも全て他人事、自分の知ったことではないと思いますか?
現代の人間がしなくてはいけないことは、AIに考えてもらうことではなくて、自分の頭で考え、既存の社会構造の欠陥に気づくことだと思います。
そして、その欠陥を補正できるように自身の考えを変えることです。このままでは、人は「考える葦」どころか「ただの草」に成り下がるような気がします。(もうなってるかな?)
ヒトコトリのコトノハ vol.88
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●本日のコトノハ●
「自分の女房が台所で大根を刻みながら、社会主義国の今後はどうなるのだろう、なんて考えたり、
僕の居ない間に、ローザ・ルクセンブルグや北一輝を読んでると思うとゾッとしますね」とAさん。
「そう、だから私は奥さんであることをやめたの」と私。
「僕の女房はそんなじゃないから安心ですよ」
よかったわね。そう言いたかったけれど、それは言葉にならなかった。
『女うた男うた』道浦母都子・坪内稔典(2000)平凡社より
女性が政治や経済に関心を持ち、自分なりの思想を抱くことがとんでもないことだと考える時代がかつての日本にはあったようですが、令和の今、男も女も、考えなしに社会で生きていくのはかなり難しいのではないかと思います。
賃金は下がる一方で、税金も物価も有無を言わせずに上がっていきます。
結婚して、子供を作り、家庭を営んでいけるような人は限られ、少子高齢化はますます加速するばかり。
そのような状況においても、女性は男性と同等のパフォーマンスを要求されてしまいます。
男性には女性のスキルが要求されることがないのに。
自分が女性として生まれてきたせいか、どうしても、社会の中で女性が損をしていると思ってしまいます。
このような問題について考える時、いつも私は「人間」という地球上に存在する種の一つにすぎない生物が、何故、存続しているのかという疑問に辿り着くのです。
いったい、何のために人間は社会を構築し、生活を営んでいるのでしょうか?
「人間」という種を未来に残すためでしょうか?
とはいえ、「このままでは、人類が滅んでしまう!」という理由で結婚したり、子供を作ろうと思う人はいないと思うのです。
自分にとって、結婚すること、あるいは独身でいることが幸せだから、それぞれの選択をするのが、現代では自然なのではないでしょうか。
もちろん、結婚したくないのに、しなければいけない人、もしくは結婚したくても様々な理由から独身でいることを余儀なくされている人がいることも確かです。
いずれにしろ、人はみな、幸せに生き、幸せに死にたいと思うものです。(それが叶うかどうかは別として)
一昔前ならいざ知らず、個人の自由が重視されてきた現在、不幸になると分かっていて結婚する人はいないのではないでしょうか?
そして、その傾向は今後ますます加速していくと思います。誰だって苦しい思いなどしたくないのですから。
女性が男性の思い描く「女」になるか、「奥さんでいるのをやめる」かの二択を迫られ、男性は依然として変わらないままという図式が変わらない限り、少子化が改善されることはないでしょう。
医学的に子孫を残せる性のタイプの組み合わせが「男と女」の一つしかない現状で、どちらか一方が我慢しなくてはいけないのなら、いつかその我慢には限界が訪れ、やがて子孫は残らなくなります。
そうして滅んできた文明は一つや二つではないかもしれない。それは、彼らの自業自得でしかありません。
現代社会の価値観は、そうした「滅びのシステム」を堅固に構築してしまっていて、ひたすら滅びへの道を突っ走っている。
私には、そう思えるのです。
それは女性だけでなく、社会的弱者と呼ばれる人たちについてもまた同様のことが言えます。
今まで社会に適応できずに悩んでいた人が、ふとした瞬間に「適応できなくてもいいや」と思う。
だって、こんな社会に適応したって幸せじゃないから。このまま消滅しても惜しくない社会じゃないか。
そう思い始める人が次第に増えていく。今を生きる人たちが「残したい」と思わなくなった社会は自然と滅びてゆくのかもしれません。
職場の男性同僚が育児休暇をとって、「こいつ、休めていいなぁ」と考えるのは、人類の未来を滅亡に導くことと変わらないと思うのは大袈裟でしょうか?
少なくとも、「ちゃんと子育てに参加しろよ」くらいには考えて欲しいのですが、この「参加」という言葉に引っかかる女性もいるようですし、いい加減、男性にとって家事や育児は他人事だという考えは改めた方がいいと思います。
それとも、私たち人間はみな、自分が一番カワイイのだから、今さえ良ければ、自分さえよければ、自分の家庭のことも、未来の社会のことも全て他人事、自分の知ったことではないと思いますか?
現代の人間がしなくてはいけないことは、AIに考えてもらうことではなくて、自分の頭で考え、既存の社会構造の欠陥に気づくことだと思います。
そして、その欠陥を補正できるように自身の考えを変えることです。このままでは、人は「考える葦」どころか「ただの草」に成り下がるような気がします。(もうなってるかな?)
ヒトコトリのコトノハ vol.88
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