☆本記事は、Youtubeチャンネル『本の林 honnohayashi』に投稿された動画を紹介するものです。
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●本日のコトノハ●
松は「待つ」とかけられて、ふたたび逢うことを祈願する木であった。その松の木に自分の魂を結びつけることで、
結びつけた魂も自分を呼んでくれると考えられた。「真幸くあらば」は旅の定型句で、ふたたびそこまで帰ってこられることを
願う言い方である。ということは、旅は同じ道を帰ってくることになる。
旅の安全の祈願は、峠、川、港など、境界的な場所で必ずするものだから、その場所ごとに魂を結びつけているとすると、
その魂を回収してまわらなければならない。それで、同じ道を通って帰ってきたのである。もし魂がずっとその場所に
残ってしまうと、本人にもよくないし、他の旅人にとっても、土地の人にとっても、回収されることのない危険な魂に
なってしまう。
『誤読された万葉集』古橋信孝(2004)新潮社より
この本のタイトルにある「万葉集を誤読する」とはどういう意味でしょうか。
おそらく、多くの人は『万葉集』が古くからある日本の和歌文化を伝え残す文化遺産として捉えていると思います。
私が初めて『万葉集』を読んだのは中学の時ですが、始めは私もとても古い時代の人々が詠んだ和歌を現代に伝える貴重なものだと思って読んでいました。
しかし、高校生になってからは、なんとなくこの歌集から感じる陰鬱さのような、ある種の「暗さ」や「血生臭さ」が気になるようになりました。
その頃から「もしかしたら、これはそんなに穏やかなモノではないかもしれない」という疑惑を持ち始め、つい最近まで胸の奥でくすぶっていましたが、時代は令和になり、『万葉集』が注目されるようになって、やはり巷ではこの歌集が日本文化の伝統を現在まで伝えてくれるものとして扱われていることに違和感を覚えずにはいられなくなり、あらためて『万葉集』について書かれている本を読み直すことにしました。
そして、この本に出会ったのです。
この本を読んで、何故『万葉集』が長い年月をかけて編纂されたのか、そして、何故ある時期から続編が編まれなくなったか、という謎の答えが自分なりに見えてきたような気がしました。
まず、『万葉集』がどのような役割を担っていたかということについて私なりに考えてみたいと思います。
多くの研究者たちが指摘しているように、その時代の皇位継承の正統性を主張するという役割です。
つまり、天皇の権威が強かった時代の作品である(あるいは、強くするために作られた)という見方です。
加えて、古代の人々の言葉に対する価値観が関係しているのではないかと思います。
古代では本来、言葉は書かれるものではなく口に出されるものでした。紙自体が貴重品がだったので書物を持っているのはお金持ちか、上流階級に属する人々でしたし、そもそも書物自体が美術品として扱われていたと思われます。
さらに、科学があまり発達していなかった時代において、人々にとって言葉はただの言葉ではなかったのかもしれません。
言葉に生命力が宿り(言霊思想)、人々の生活に影響を及ぼすという考え方が冗談ではなく信じられていた時代だったのです。
だから、処刑されてしまった人が残した歌に詠まれている「松」に対して、その人の鎮魂となる歌を詠み、文字として『万葉集』に納めた(いわば、死んだ人の怨念を封じ込めた)のです。
『万葉集』には、権力者たちの繫栄を支えるために犠牲になった人たちの歌が少なからず納められています。
そうすることで、恨みや祟りが自分たちの身に降りかからないようにする、言ってみれば国防の一端を担っていたのかもしれないと私は推測します。
(当時の書物は開かれやすい冊子状ではなく、巻物(巻子本)状だったので、余計に封じ込める感が強いような気がします。)
しかし、『万葉集』の最後の編者とされている大伴家持の時代には、天皇が中心となって政治を行う力を実質的に失っていたため、それ以上『万葉集』を編む必然性がなくなっていたのだと思います。おそらく、家持の時代よりももっと前に、『万葉集』の内容は編纂され始めた頃の主旨からズレたものにはなっていたかもしれません。
だからと言って、この長くに渡って集められた人々の言霊が詰まった美術品(特級呪物?)を、もう必要がないから破棄しましょうということになるでしょうか?
現代であれば、できるかもしれませんが、怨霊や呪いが信じられていた時代です。冗談ではなく、人を呪ったという罪で処罰されてしまう社会です。
もし、軽はずみに『万葉集』を破いたり、燃やしてしまったりすれば、その中に閉じ込められていた沢山の人々の「念」が都中に放たれて、どんな災いを引き起こすか分かったものではありません。
時の権力者たちは、『万葉集』の扱いに困ったと思います。
「このヤバいやつ、どうしよう?捨てるわけにもいかないし…。とりあえず、仕舞っておこう」
そして、彼らは『万葉集』をそっと倉庫の片隅に追いやって知らん顔を決め込むしかなかった…
そうこうするうちに時は流れ、平安時代中頃には『万葉集』は存在は伝えられているものの、中身がどういうものだったのか知っている人がほとんどいない状態になったのではないか…
というのが、私の勝手な推測です。
後に編纂された『古今和歌集』では、和歌が完全に貴族の教養になっており、当時の人たちの作品集的意味合いが強いのですが、『万葉集』の場合は、歴史書的な意味合いと、呪術的な要素が強いことから歌集としての性質が全然違うのかなと感じます。
メディアやSNSにいろんな言葉が溢れかえる現代ですが、だからこそ、言葉の扱い方をあらためて学ぶべき時代になっているのかもしれません。
「令和」という元号は、そのことをうまく言い当てているような気がして、これを決めた人たちの言葉への願いのようなものをしみじみと感じる今日この頃です。
ヒトコトリのコトノハ vol.65
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●本日のコトノハ●
松は「待つ」とかけられて、ふたたび逢うことを祈願する木であった。その松の木に自分の魂を結びつけることで、
結びつけた魂も自分を呼んでくれると考えられた。「真幸くあらば」は旅の定型句で、ふたたびそこまで帰ってこられることを
願う言い方である。ということは、旅は同じ道を帰ってくることになる。
旅の安全の祈願は、峠、川、港など、境界的な場所で必ずするものだから、その場所ごとに魂を結びつけているとすると、
その魂を回収してまわらなければならない。それで、同じ道を通って帰ってきたのである。もし魂がずっとその場所に
残ってしまうと、本人にもよくないし、他の旅人にとっても、土地の人にとっても、回収されることのない危険な魂に
なってしまう。
『誤読された万葉集』古橋信孝(2004)新潮社より
この本のタイトルにある「万葉集を誤読する」とはどういう意味でしょうか。
おそらく、多くの人は『万葉集』が古くからある日本の和歌文化を伝え残す文化遺産として捉えていると思います。
私が初めて『万葉集』を読んだのは中学の時ですが、始めは私もとても古い時代の人々が詠んだ和歌を現代に伝える貴重なものだと思って読んでいました。
しかし、高校生になってからは、なんとなくこの歌集から感じる陰鬱さのような、ある種の「暗さ」や「血生臭さ」が気になるようになりました。
その頃から「もしかしたら、これはそんなに穏やかなモノではないかもしれない」という疑惑を持ち始め、つい最近まで胸の奥でくすぶっていましたが、時代は令和になり、『万葉集』が注目されるようになって、やはり巷ではこの歌集が日本文化の伝統を現在まで伝えてくれるものとして扱われていることに違和感を覚えずにはいられなくなり、あらためて『万葉集』について書かれている本を読み直すことにしました。
そして、この本に出会ったのです。
この本を読んで、何故『万葉集』が長い年月をかけて編纂されたのか、そして、何故ある時期から続編が編まれなくなったか、という謎の答えが自分なりに見えてきたような気がしました。
まず、『万葉集』がどのような役割を担っていたかということについて私なりに考えてみたいと思います。
多くの研究者たちが指摘しているように、その時代の皇位継承の正統性を主張するという役割です。
つまり、天皇の権威が強かった時代の作品である(あるいは、強くするために作られた)という見方です。
加えて、古代の人々の言葉に対する価値観が関係しているのではないかと思います。
古代では本来、言葉は書かれるものではなく口に出されるものでした。紙自体が貴重品がだったので書物を持っているのはお金持ちか、上流階級に属する人々でしたし、そもそも書物自体が美術品として扱われていたと思われます。
さらに、科学があまり発達していなかった時代において、人々にとって言葉はただの言葉ではなかったのかもしれません。
言葉に生命力が宿り(言霊思想)、人々の生活に影響を及ぼすという考え方が冗談ではなく信じられていた時代だったのです。
だから、処刑されてしまった人が残した歌に詠まれている「松」に対して、その人の鎮魂となる歌を詠み、文字として『万葉集』に納めた(いわば、死んだ人の怨念を封じ込めた)のです。
『万葉集』には、権力者たちの繫栄を支えるために犠牲になった人たちの歌が少なからず納められています。
そうすることで、恨みや祟りが自分たちの身に降りかからないようにする、言ってみれば国防の一端を担っていたのかもしれないと私は推測します。
(当時の書物は開かれやすい冊子状ではなく、巻物(巻子本)状だったので、余計に封じ込める感が強いような気がします。)
しかし、『万葉集』の最後の編者とされている大伴家持の時代には、天皇が中心となって政治を行う力を実質的に失っていたため、それ以上『万葉集』を編む必然性がなくなっていたのだと思います。おそらく、家持の時代よりももっと前に、『万葉集』の内容は編纂され始めた頃の主旨からズレたものにはなっていたかもしれません。
だからと言って、この長くに渡って集められた人々の言霊が詰まった美術品(特級呪物?)を、もう必要がないから破棄しましょうということになるでしょうか?
現代であれば、できるかもしれませんが、怨霊や呪いが信じられていた時代です。冗談ではなく、人を呪ったという罪で処罰されてしまう社会です。
もし、軽はずみに『万葉集』を破いたり、燃やしてしまったりすれば、その中に閉じ込められていた沢山の人々の「念」が都中に放たれて、どんな災いを引き起こすか分かったものではありません。
時の権力者たちは、『万葉集』の扱いに困ったと思います。
「このヤバいやつ、どうしよう?捨てるわけにもいかないし…。とりあえず、仕舞っておこう」
そして、彼らは『万葉集』をそっと倉庫の片隅に追いやって知らん顔を決め込むしかなかった…
そうこうするうちに時は流れ、平安時代中頃には『万葉集』は存在は伝えられているものの、中身がどういうものだったのか知っている人がほとんどいない状態になったのではないか…
というのが、私の勝手な推測です。
後に編纂された『古今和歌集』では、和歌が完全に貴族の教養になっており、当時の人たちの作品集的意味合いが強いのですが、『万葉集』の場合は、歴史書的な意味合いと、呪術的な要素が強いことから歌集としての性質が全然違うのかなと感じます。
メディアやSNSにいろんな言葉が溢れかえる現代ですが、だからこそ、言葉の扱い方をあらためて学ぶべき時代になっているのかもしれません。
「令和」という元号は、そのことをうまく言い当てているような気がして、これを決めた人たちの言葉への願いのようなものをしみじみと感じる今日この頃です。
ヒトコトリのコトノハ vol.65
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