漫画は日本を代表する文化の一つであると、外国では認識されているようですが、果たして漫画は文学の範疇に入るのでしょうか?
例えば、文字で書かれた小説を漫画化(コミカライズ)することは、《罪と罰》フョードル・ドストエフスキー原作/手塚治虫作画(1953、東光堂)のように、結構前から、しばしば見られることで、そうやって書かれた漫画作品は文学の範疇に入れてもよいのではないかという気がします。
しかし、基本的に「○○学」という言葉の中には学問、研究といった要素が含まれますので、そういった観点から漫画を見ると、やはり今の時点ではまだ娯楽文化の域を出ていないのかな、という印象が拭えません。
文化という言葉は、人間の生活に関わって見られる(生じる)ほとんど全ての現象を指すことができます。
そう考えると、学問も娯楽も文化の範疇に入るので、文学も漫画も私たちの文化の一つであることは間違いありません。
このことを踏まえて、文学と漫画の関係を考えてみると、次のようなことが言えると思います。
つまり、日本では漫画という形式の作品が大量に書かれ、その書かれた作品を国民的に愛読するという文化があり、大量に書かれる作品の中には、文学作品と関わりのあるものや、文学と呼べるくらい完成度の高いものも見受けられる。
しかし、漫画文化を「漫画文学」と呼べるだけの学問としての研究者が少ないこと、また、正統な文学と比べて漫画が大量に書かれるようになってまだ歴史が浅いことなどが原因して、学問の一分野としての立場を確立できずにいるということではないでしょうか。
私個人としては、漫画を学問化するのであれば、「漫画文学」よりは「漫画学」の方が正しい扱い方だと思いますが、あくまでも「漫画は文学だ!」と主張したい方がいらっしゃるのならば、それはそれでいいと思います。
単なる名称の違いですから。
文系の研究者さんの中には、言葉の定義こそが研究の本質だと考えていらっしゃる方が結構多いのですが、それは「木を見て森を見ず」という状況に陥っていることも無きにしも非ずなので、ほどほどにした方がよいと私は思います。
まったく必要なくはないですが、あまりこだわり過ぎて、論の本質から逸れていることが割としばしばです。
自分にも言い聞かせていることなのですが、論を展開するあまり、客観的視点を忘れがちになってはいけません。
つい本題からずれました。。。(ほらね)
では、漫画を学問の一分野として、「漫画(文)学」にするにはどうしたらよいのでしょうか?
書かれた作品が高尚な内容であるかどうかは、研究においてあまり問題になりません。
なぜなら、新聞に掲載されている四コマ漫画も、百巻以上も続く大作漫画も、その他今まで書かれた漫画作品すべてが人間の営みの中で生成された文化的作品であると一律に見なされるからです。
「漫画なんてくだらない!」あるいは、「漫画は芸術だ!」と主張するのは、どちらもあくまでも個人的感情に過ぎません。
研究というのは好き嫌いではなく、客観的視点から対象を調査・分析することを言います。
例えば、あのバスケットボール漫画や異星人同士の戦闘漫画が好きだという理由で、それらの作品が素晴らしい!と主張しても、学術的には評価されませんし、個人的につまらないと思う漫画作品を研究対象から外してしまうのは、間違った研究法になってしまいます。
個人の主観は自然科学(サイエンス)ではないと認識されているのです。
レビューや評論と研究論文は、その点で一線を画しています。
(よく勘違いなさっている人がいますけど…)
平安時代の絵巻物や江戸時代の浮世絵は、当時、研究されたり学問化はされていませんでした。
また、《枕草子》や《源氏物語》を文学だと主張する人も、作品が書かれた当時はいなかったでしょう。
それは、それらの作品を客観的視点で調査・分析する人がいなかったからです。
収集家はいたでしょうけど、あくまでもそれぞれは文化的一作品に過ぎませんでした。
しかし、後世の人々がそれらを人類にとって歴史的・芸術的価値があるものと認め、それらを体系づけて研究し続けたからこそ、それらの作品は学術的に存在を評価されているのです。
つまり、その文化(あるいは事物)を研究する価値がある(必要がある)と、どれだけの人が判断するかで決まってくるのです。
漫画文化を歴史的・思想的側面から、また包括的かつ客観的に調査・分析しようと思う人が現れ、その研究の流れが継続して初めて、漫画は「漫画(文)学」になることができるのです。
もちろん、一個人として「漫画は文学だ!」と主張することはできますし、文学作品と見なしてもいい漫画作品は実際にあると思います。
しかし、漫画というジャンル全体を考えた時、事実としてその学問分野が確立されていない今の時点では、その主張には説得力がないというだけのことです。
私個人の考えは、漫画と文学は全く違ったジャンルの表現形態だと思います。
漫画は、文章では表現できない「間」であったり、様々な情景や細やかな人物の心情を絵で具体的に表現することができますし、その絵が訴えかけるものは、言葉から呼び起されるそれとは違う感動を私たちに与えてくれます。
むしろ、文学と漫画を一緒にして欲しくないという気持ちの方が強いです。
どちらかといえば、漫画は美術分野に分類すべきだと思うくらいです。
まあ、漫画が文学に含まれようと、「漫画学」として学問化しようと、私にとってそれぞれの作品の価値が変わるとは思えませんけど。
とはいえ、漫画ミュージアムもありますし、専門学校や文科系大学で漫画を専門に研究する人たちが増えているので、近い将来、「漫画(文)学」という言葉が違和感なく万民に浸透する日が来るのではないかと思います。
楽しみですね。(どうかな?)
例えば、文字で書かれた小説を漫画化(コミカライズ)することは、《罪と罰》フョードル・ドストエフスキー原作/手塚治虫作画(1953、東光堂)のように、結構前から、しばしば見られることで、そうやって書かれた漫画作品は文学の範疇に入れてもよいのではないかという気がします。
しかし、基本的に「○○学」という言葉の中には学問、研究といった要素が含まれますので、そういった観点から漫画を見ると、やはり今の時点ではまだ娯楽文化の域を出ていないのかな、という印象が拭えません。
文化という言葉は、人間の生活に関わって見られる(生じる)ほとんど全ての現象を指すことができます。
そう考えると、学問も娯楽も文化の範疇に入るので、文学も漫画も私たちの文化の一つであることは間違いありません。
このことを踏まえて、文学と漫画の関係を考えてみると、次のようなことが言えると思います。
つまり、日本では漫画という形式の作品が大量に書かれ、その書かれた作品を国民的に愛読するという文化があり、大量に書かれる作品の中には、文学作品と関わりのあるものや、文学と呼べるくらい完成度の高いものも見受けられる。
しかし、漫画文化を「漫画文学」と呼べるだけの学問としての研究者が少ないこと、また、正統な文学と比べて漫画が大量に書かれるようになってまだ歴史が浅いことなどが原因して、学問の一分野としての立場を確立できずにいるということではないでしょうか。
私個人としては、漫画を学問化するのであれば、「漫画文学」よりは「漫画学」の方が正しい扱い方だと思いますが、あくまでも「漫画は文学だ!」と主張したい方がいらっしゃるのならば、それはそれでいいと思います。
単なる名称の違いですから。
文系の研究者さんの中には、言葉の定義こそが研究の本質だと考えていらっしゃる方が結構多いのですが、それは「木を見て森を見ず」という状況に陥っていることも無きにしも非ずなので、ほどほどにした方がよいと私は思います。
まったく必要なくはないですが、あまりこだわり過ぎて、論の本質から逸れていることが割としばしばです。
自分にも言い聞かせていることなのですが、論を展開するあまり、客観的視点を忘れがちになってはいけません。
つい本題からずれました。。。(ほらね)
では、漫画を学問の一分野として、「漫画(文)学」にするにはどうしたらよいのでしょうか?
書かれた作品が高尚な内容であるかどうかは、研究においてあまり問題になりません。
なぜなら、新聞に掲載されている四コマ漫画も、百巻以上も続く大作漫画も、その他今まで書かれた漫画作品すべてが人間の営みの中で生成された文化的作品であると一律に見なされるからです。
「漫画なんてくだらない!」あるいは、「漫画は芸術だ!」と主張するのは、どちらもあくまでも個人的感情に過ぎません。
研究というのは好き嫌いではなく、客観的視点から対象を調査・分析することを言います。
例えば、あのバスケットボール漫画や異星人同士の戦闘漫画が好きだという理由で、それらの作品が素晴らしい!と主張しても、学術的には評価されませんし、個人的につまらないと思う漫画作品を研究対象から外してしまうのは、間違った研究法になってしまいます。
個人の主観は自然科学(サイエンス)ではないと認識されているのです。
レビューや評論と研究論文は、その点で一線を画しています。
(よく勘違いなさっている人がいますけど…)
平安時代の絵巻物や江戸時代の浮世絵は、当時、研究されたり学問化はされていませんでした。
また、《枕草子》や《源氏物語》を文学だと主張する人も、作品が書かれた当時はいなかったでしょう。
それは、それらの作品を客観的視点で調査・分析する人がいなかったからです。
収集家はいたでしょうけど、あくまでもそれぞれは文化的一作品に過ぎませんでした。
しかし、後世の人々がそれらを人類にとって歴史的・芸術的価値があるものと認め、それらを体系づけて研究し続けたからこそ、それらの作品は学術的に存在を評価されているのです。
つまり、その文化(あるいは事物)を研究する価値がある(必要がある)と、どれだけの人が判断するかで決まってくるのです。
漫画文化を歴史的・思想的側面から、また包括的かつ客観的に調査・分析しようと思う人が現れ、その研究の流れが継続して初めて、漫画は「漫画(文)学」になることができるのです。
もちろん、一個人として「漫画は文学だ!」と主張することはできますし、文学作品と見なしてもいい漫画作品は実際にあると思います。
しかし、漫画というジャンル全体を考えた時、事実としてその学問分野が確立されていない今の時点では、その主張には説得力がないというだけのことです。
私個人の考えは、漫画と文学は全く違ったジャンルの表現形態だと思います。
漫画は、文章では表現できない「間」であったり、様々な情景や細やかな人物の心情を絵で具体的に表現することができますし、その絵が訴えかけるものは、言葉から呼び起されるそれとは違う感動を私たちに与えてくれます。
むしろ、文学と漫画を一緒にして欲しくないという気持ちの方が強いです。
どちらかといえば、漫画は美術分野に分類すべきだと思うくらいです。
まあ、漫画が文学に含まれようと、「漫画学」として学問化しようと、私にとってそれぞれの作品の価値が変わるとは思えませんけど。
とはいえ、漫画ミュージアムもありますし、専門学校や文科系大学で漫画を専門に研究する人たちが増えているので、近い将来、「漫画(文)学」という言葉が違和感なく万民に浸透する日が来るのではないかと思います。
楽しみですね。(どうかな?)
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