☆本記事は、Youtubeチャンネル『本の林 honnohayashi』に投稿された動画を紹介するものです。
ご興味を持たれた方は是非、動画の方もチェックしてみて下さいね!
●本日のコトノハ●
博士はこう反論しました。「阿呆は阿呆を好み、賢者は賢者を好むものさ。君主が賢い人間をはべらせれば、
賢くなるのだが阿呆をはべらせれば、皆阿呆なことを学ぶことになるのさ」。誰かがそこで言いました。
「一体誰が賢いのかね。自分で賢いと思っている者のことかね。そういう連中はえてして馬鹿なものに
騙されるものさ。いろいろな人を館にはべらせるのが君主や諸侯にふさわしいというものさ。
道化を相手にすればいろいろな気晴らしができるからね。だから諸侯がいることろには、道化も喜んで
滞在するのさ」。
『ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら』阿部謹也訳(1990)岩波書店より
「愚かなものを知らなければ、賢いものが分からない」という考えに、私は完全に同意します。
また、「馬鹿と天才は紙一重」という言葉もあるように、判断に困る場面に遭遇することも少なくありません。
このティル・オイレンシュピーゲルのエピソードでは、博士は自分が賢いと頑なに信じています。
そして、道化のオイレンシュピーゲルを一方的に愚か者扱いするのです。
それはまるで、大学教授がお笑い芸人を軽蔑して、馬鹿にする様を連想させます。
人の賢さはどうやって計測できるでしょうか?
IQという数値で、その人の頭脳をすべて評価できていると思いますか?
「知能犯」という言葉がありますが、頭の良い犯罪者は、犯罪という愚かな行為に走っているとは言えないのでしょうか?
ある一つの価値観について考え、こうして言葉にしようとするといつも私は、何が絶対で、何が正しいことなのか分からなくなり、何一つ確かなことなど言えなくなるのです。
それこそオイレンシュピーゲルのように、とびきり臭いオナラでもして、周囲の人を煙に巻いて退場するしかなくなります。
『ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら』は、一見、滑稽本、気分転換に読む「おふざけ本」のように思えるのですが、中には世の中を痛烈に批判するような風刺がされていたり、後のルターに通ずるような聖職者批判が盛り込まれた話があり、いったい作者がどんな人物だったのか、様々に想像がかきたてられる作品です。
そして、ここに見られるエピソードは、現代社会でもネットニュースやメディアなどで報じられるような実際の出来事を彷彿とさせ、人間が相も変わらず愚行を繰り返していることを実感せずにはいられなくなるのです。
何世紀経とうとも、人は寝て起きて、食べて糞をすることに変わりはありません。
オイレンシュピーゲルは薬と偽って、博士に下剤を与えました。
まるで、お前も所詮は糞を垂れる人間の一人にすぎないと教えるかのように。
大学教授もお笑い芸人も、アイドルも一般人も、ユーチューバーもインフルエンサーも、大富豪も貧乏人も、皆平等に糞を垂れ、寿命を迎えれば息をひきとります。
かつて、秦の始皇帝は不老不死の薬を手に入れたいと思い、徐福という方術使いに命じて、財宝、財産を彼に渡し、探させたといいます。
しかし、徐福は始皇帝から預かった金品を持ち逃げした詐欺師だったという言い伝えもあります。
方術使いは、医学や天文学を発展させ、古代中国の社会に貢献する者がいた一方で、自分の利益のために他人を騙し、社会を混乱させるような、とんだ食わせ者もいたようです。
皇帝になるほどの人物であっても、冷静に考えればインチキだと分かることが、分からなくなるほど愚かになる。
このエピソードは、そんな教訓を後世の人々に伝えてくれているような気がします。
「いろいろな人を館にはべらせるのが君主や諸侯にふさわしい」
まさに、始皇帝に足りなかったのは、この考え方でしょう。
いろんな人に出会って、人を見る目を学ぶということが、社会の中で生きていく上で欠かすことのできない経験なのです。
学生の頃は、関わりたくないと思う人たちとも、「学校」や「バイト先」「サークル」など、限られた世界で卒なく振る舞わなければなりませんでした。
しかし、歳を重ねるうちに、人との関わり方や、関わる人をある程度、自分で選べるようになります。
その時になってようやく、無駄だ、あるいは不要な努力だと思われたそれらのことが、博士のような糞まみれな出来事に見舞われないために必要な経験だったのだと分かる。今年45歳になるオバサンには、そう思えるのです。
若いうちは、愚かなものを沢山知っておいて損はないでしょう。
それも、所詮は自分が判断する「愚かさ」であることも忘れてはいけません。
人は皆、自分も含めて完璧ではありえないのだから、「愚かさ」の基準も人それぞれなのです。
いずれにしろ、現代社会の中で生きていくのは、ゲームのダンジョンを攻略するようにはいきません。
テストの点数ばかりに気を取られていると、うっかり肥溜めに落ちてしまうかもしれませんよ。
(最近、肥溜めって見かけませんね。。。)
ヒトコトリのコトノハ vol.89
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●本日のコトノハ●
博士はこう反論しました。「阿呆は阿呆を好み、賢者は賢者を好むものさ。君主が賢い人間をはべらせれば、
賢くなるのだが阿呆をはべらせれば、皆阿呆なことを学ぶことになるのさ」。誰かがそこで言いました。
「一体誰が賢いのかね。自分で賢いと思っている者のことかね。そういう連中はえてして馬鹿なものに
騙されるものさ。いろいろな人を館にはべらせるのが君主や諸侯にふさわしいというものさ。
道化を相手にすればいろいろな気晴らしができるからね。だから諸侯がいることろには、道化も喜んで
滞在するのさ」。
『ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら』阿部謹也訳(1990)岩波書店より
「愚かなものを知らなければ、賢いものが分からない」という考えに、私は完全に同意します。
また、「馬鹿と天才は紙一重」という言葉もあるように、判断に困る場面に遭遇することも少なくありません。
このティル・オイレンシュピーゲルのエピソードでは、博士は自分が賢いと頑なに信じています。
そして、道化のオイレンシュピーゲルを一方的に愚か者扱いするのです。
それはまるで、大学教授がお笑い芸人を軽蔑して、馬鹿にする様を連想させます。
人の賢さはどうやって計測できるでしょうか?
IQという数値で、その人の頭脳をすべて評価できていると思いますか?
「知能犯」という言葉がありますが、頭の良い犯罪者は、犯罪という愚かな行為に走っているとは言えないのでしょうか?
ある一つの価値観について考え、こうして言葉にしようとするといつも私は、何が絶対で、何が正しいことなのか分からなくなり、何一つ確かなことなど言えなくなるのです。
それこそオイレンシュピーゲルのように、とびきり臭いオナラでもして、周囲の人を煙に巻いて退場するしかなくなります。
『ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら』は、一見、滑稽本、気分転換に読む「おふざけ本」のように思えるのですが、中には世の中を痛烈に批判するような風刺がされていたり、後のルターに通ずるような聖職者批判が盛り込まれた話があり、いったい作者がどんな人物だったのか、様々に想像がかきたてられる作品です。
そして、ここに見られるエピソードは、現代社会でもネットニュースやメディアなどで報じられるような実際の出来事を彷彿とさせ、人間が相も変わらず愚行を繰り返していることを実感せずにはいられなくなるのです。
何世紀経とうとも、人は寝て起きて、食べて糞をすることに変わりはありません。
オイレンシュピーゲルは薬と偽って、博士に下剤を与えました。
まるで、お前も所詮は糞を垂れる人間の一人にすぎないと教えるかのように。
大学教授もお笑い芸人も、アイドルも一般人も、ユーチューバーもインフルエンサーも、大富豪も貧乏人も、皆平等に糞を垂れ、寿命を迎えれば息をひきとります。
かつて、秦の始皇帝は不老不死の薬を手に入れたいと思い、徐福という方術使いに命じて、財宝、財産を彼に渡し、探させたといいます。
しかし、徐福は始皇帝から預かった金品を持ち逃げした詐欺師だったという言い伝えもあります。
方術使いは、医学や天文学を発展させ、古代中国の社会に貢献する者がいた一方で、自分の利益のために他人を騙し、社会を混乱させるような、とんだ食わせ者もいたようです。
皇帝になるほどの人物であっても、冷静に考えればインチキだと分かることが、分からなくなるほど愚かになる。
このエピソードは、そんな教訓を後世の人々に伝えてくれているような気がします。
「いろいろな人を館にはべらせるのが君主や諸侯にふさわしい」
まさに、始皇帝に足りなかったのは、この考え方でしょう。
いろんな人に出会って、人を見る目を学ぶということが、社会の中で生きていく上で欠かすことのできない経験なのです。
学生の頃は、関わりたくないと思う人たちとも、「学校」や「バイト先」「サークル」など、限られた世界で卒なく振る舞わなければなりませんでした。
しかし、歳を重ねるうちに、人との関わり方や、関わる人をある程度、自分で選べるようになります。
その時になってようやく、無駄だ、あるいは不要な努力だと思われたそれらのことが、博士のような糞まみれな出来事に見舞われないために必要な経験だったのだと分かる。今年45歳になるオバサンには、そう思えるのです。
若いうちは、愚かなものを沢山知っておいて損はないでしょう。
それも、所詮は自分が判断する「愚かさ」であることも忘れてはいけません。
人は皆、自分も含めて完璧ではありえないのだから、「愚かさ」の基準も人それぞれなのです。
いずれにしろ、現代社会の中で生きていくのは、ゲームのダンジョンを攻略するようにはいきません。
テストの点数ばかりに気を取られていると、うっかり肥溜めに落ちてしまうかもしれませんよ。
(最近、肥溜めって見かけませんね。。。)
ヒトコトリのコトノハ vol.89
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