八月に入り、長かった梅雨がようやく明けたと思った途端、じりじりと焦げるような暑い日が続いています。
何もしていなくても、肌の表面にうっすらと汗をかいてしまうこの時季、ついつい薄着をするのですが、二の腕を冷やすと夏でも体調を崩すという厄介な体質なので、多少暑くても我慢して、袖のある服を着て過ごしています。
ところで、この袖に関係することわざや慣用句を耳にすることがあります。
「袖擦り合うのも多生の縁」や、「袖にする」、「無い袖は振れぬ」などです。
昔、着られていた着物の袖は現在の衣服よりも大きく、ゆったりと仕立てられていました。
そのため、歩く度に袖が風に翻ったり、人とすれ違う時に袖が擦れたり、触れ合ったりしたことから、袖という言葉には「ふれる(触)」という動作が自然と連想されるようになり、そこから「ふれる(触)→ふる(振)」と転じていったとも考えられます。
お金を用立てられない、もしくは何も協力することができないことを表す「無い袖は振れぬ」という言葉ですが、これは元々、袖が無ければ、お互いに触れ合うことがないことから、お金を貸したりするような親密な間柄ではないということを意味していたのではないかと、私は勝手に推測しています。
(今は、お金を貸すことができない、あるいは色よい返事をすることができないことを意味していますよね。)
「袖を振る」という表現は、和歌の世界では相手に好意を示すこと、あるいは求愛を意味します。
何かに向かって手を振れば、自然と身に着けている衣服の袖も揺れるので、その様を描写した言葉かもしれませんが、私にはどこかしっくりきません。
やはり、袖が触れ合う程、至近距離にいること。それ程、親しい間柄になりたいと思うこと、それが「袖ふ(触)る仲」なのではないかと感じています。
(あくまでも、私個人の感覚的なことなので、学術的な根拠はありません。。。)
「袖」を詠み込んだ歌で有名な和歌の一つが、清少納言のお父さん、清原元輔の歌です。
契りきな かたみに袖を しぼりつつ
末の松山 波越さじとは
《後拾遺集》恋四・770
二人の袖が涙でぐっしょり濡れるほど、別れを惜しんだ仲だったのにね・・・と、女性の心変わりを詠んだ歌です。
同じく、袖にまつわる和歌で、私の好きなものは在原業平の歌です。
五月待つ 花橘の 香をかげば
昔の人の 袖の香ぞする
《古今》・《伊勢物語》第60段
「袖の香」とは、その人が衣服に薫いていたお香のことですが、こうしてみると、昔の人にとって、「袖」が単なる衣服の一部ではなかったことが思われます。
袖は、別れの涙や恋の思い出を記憶するものであり、また、人にそれらを思い出させる物でもあるのです。
例えば、かつて付き合っていた人が好んで吸っていたタバコの匂いや銘柄、乗っていた車のメーカーやブランドなどを街中で見かけて、昔の二人を思い出すように、ふとすれ違った人の袖から、ふわりと漂ってくる香りに懐かしさを感じたり、元カレが来ていたものと似た柄の布地を見て、昔の人もドキリとしていたのかもしれません。
また、「手枕の袖」や「衣かたしき」という言葉があるように、恋人同士が二人で寝る時は、お互いの袖を掛け合って寝たり、一人で寝る時は自分の脱いだ衣服の袖を敷くという習慣があったようです。
袖の用途の幅広さ、あるいは昔の人の暮らしの知恵に驚きます。
現代のように、豊富に物質のある世の中ではなかったので、兼用や代用の意識が強かったのかもしれません。
さて、そんな万能な袖を使った和歌は、万葉の時代から沢山存在します。
というのも、衣服自体が人々にとって一番身近なもの、慣れ親しんだ物を表現することに使われているため、その衣服の一部である袖も頻繁に登場するのです。
和歌の技法である「枕詞」の「からころも」が「き(着)」という言葉の枕になっており、先程挙げた在原業平が、《伊勢物語》の中で都落ちする時に詠んだ「かきつばたの歌」は国語の教科書にも取り上げられていました。
(私が学生の時の話なので、今は取り上げられてないと思いますが。。。)
《落窪物語》の中でも、この枕詞を使った和歌を見つけることができます。
☆第5位☆
唐衣 きて見ることの うれしさを
つつめば袖ぞ ほころびぬべき
《落窪物語》巻の二 男君の歌
この歌は、女君を中納言家の納屋から救出し、二条の別邸に迎え入れた直後に男君が詠んだ歌です。
何の差障りなく、女君に会うことができる、その嬉しさは大きな袖で包んでも包み切れないという男君の気持ちが直截に伝わってくる歌です。
ちなみに、袖の袂に小物を入れて運ぶ習慣もあったようで、もしかしたら、風呂敷は袖の派生物なのかもしれないと想像を巡らせる今日この頃です。
(取り外し可能な袖というコンセプトだったのかしら。。。)
何もしていなくても、肌の表面にうっすらと汗をかいてしまうこの時季、ついつい薄着をするのですが、二の腕を冷やすと夏でも体調を崩すという厄介な体質なので、多少暑くても我慢して、袖のある服を着て過ごしています。
ところで、この袖に関係することわざや慣用句を耳にすることがあります。
「袖擦り合うのも多生の縁」や、「袖にする」、「無い袖は振れぬ」などです。
昔、着られていた着物の袖は現在の衣服よりも大きく、ゆったりと仕立てられていました。
そのため、歩く度に袖が風に翻ったり、人とすれ違う時に袖が擦れたり、触れ合ったりしたことから、袖という言葉には「ふれる(触)」という動作が自然と連想されるようになり、そこから「ふれる(触)→ふる(振)」と転じていったとも考えられます。
お金を用立てられない、もしくは何も協力することができないことを表す「無い袖は振れぬ」という言葉ですが、これは元々、袖が無ければ、お互いに触れ合うことがないことから、お金を貸したりするような親密な間柄ではないということを意味していたのではないかと、私は勝手に推測しています。
(今は、お金を貸すことができない、あるいは色よい返事をすることができないことを意味していますよね。)
「袖を振る」という表現は、和歌の世界では相手に好意を示すこと、あるいは求愛を意味します。
何かに向かって手を振れば、自然と身に着けている衣服の袖も揺れるので、その様を描写した言葉かもしれませんが、私にはどこかしっくりきません。
やはり、袖が触れ合う程、至近距離にいること。それ程、親しい間柄になりたいと思うこと、それが「袖ふ(触)る仲」なのではないかと感じています。
(あくまでも、私個人の感覚的なことなので、学術的な根拠はありません。。。)
「袖」を詠み込んだ歌で有名な和歌の一つが、清少納言のお父さん、清原元輔の歌です。
契りきな かたみに袖を しぼりつつ
末の松山 波越さじとは
《後拾遺集》恋四・770
二人の袖が涙でぐっしょり濡れるほど、別れを惜しんだ仲だったのにね・・・と、女性の心変わりを詠んだ歌です。
同じく、袖にまつわる和歌で、私の好きなものは在原業平の歌です。
五月待つ 花橘の 香をかげば
昔の人の 袖の香ぞする
《古今》・《伊勢物語》第60段
「袖の香」とは、その人が衣服に薫いていたお香のことですが、こうしてみると、昔の人にとって、「袖」が単なる衣服の一部ではなかったことが思われます。
袖は、別れの涙や恋の思い出を記憶するものであり、また、人にそれらを思い出させる物でもあるのです。
例えば、かつて付き合っていた人が好んで吸っていたタバコの匂いや銘柄、乗っていた車のメーカーやブランドなどを街中で見かけて、昔の二人を思い出すように、ふとすれ違った人の袖から、ふわりと漂ってくる香りに懐かしさを感じたり、元カレが来ていたものと似た柄の布地を見て、昔の人もドキリとしていたのかもしれません。
また、「手枕の袖」や「衣かたしき」という言葉があるように、恋人同士が二人で寝る時は、お互いの袖を掛け合って寝たり、一人で寝る時は自分の脱いだ衣服の袖を敷くという習慣があったようです。
袖の用途の幅広さ、あるいは昔の人の暮らしの知恵に驚きます。
現代のように、豊富に物質のある世の中ではなかったので、兼用や代用の意識が強かったのかもしれません。
さて、そんな万能な袖を使った和歌は、万葉の時代から沢山存在します。
というのも、衣服自体が人々にとって一番身近なもの、慣れ親しんだ物を表現することに使われているため、その衣服の一部である袖も頻繁に登場するのです。
和歌の技法である「枕詞」の「からころも」が「き(着)」という言葉の枕になっており、先程挙げた在原業平が、《伊勢物語》の中で都落ちする時に詠んだ「かきつばたの歌」は国語の教科書にも取り上げられていました。
(私が学生の時の話なので、今は取り上げられてないと思いますが。。。)
《落窪物語》の中でも、この枕詞を使った和歌を見つけることができます。
☆第5位☆
唐衣 きて見ることの うれしさを
つつめば袖ぞ ほころびぬべき
《落窪物語》巻の二 男君の歌
この歌は、女君を中納言家の納屋から救出し、二条の別邸に迎え入れた直後に男君が詠んだ歌です。
何の差障りなく、女君に会うことができる、その嬉しさは大きな袖で包んでも包み切れないという男君の気持ちが直截に伝わってくる歌です。
ちなみに、袖の袂に小物を入れて運ぶ習慣もあったようで、もしかしたら、風呂敷は袖の派生物なのかもしれないと想像を巡らせる今日この頃です。
(取り外し可能な袖というコンセプトだったのかしら。。。)
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