何事においても、第一印象が大事とよく言われます。
終わり良ければ総て良しという考えもありますが、最初が肝心という考え方もあり、物事を始める時に周囲の人にどんな印象を与えるかということが、その後の進行具合に影響を及ぼすこともあるようです。
この時に、必ずしも好印象を与えれば良いということでもなく、「あの人は最初は良かったのに、後からダメだね」と言われたり、「ダメな人だと思っていたら、案外できる人なんだ」と後に評価が変わったりもします。
私の個人的な印象ですが、現代社会は最初から最後まで良くあるものしか評価されない傾向にあるように感じます。
慣れるのに時間がかかっても、仕事を覚えたら素晴らしく仕上げることができる人もいれば、どんなことでも器用にこなすけれど、全てにおいて雑な仕事しかしない人もいます。
どちらがいいかという問題ではなく、どんなタイプの人もそれぞれに活躍できる社会ならば良いのにと思います。
さて、恋愛における第一印象も、その後の二人の関係性に少なからず影響を及ぼすものと考えられます。
つき合う前は、そんなに好きではなかったけれど、一緒に時間を過ごすうちにいろんな面を知り、好きになったという人もいるかもしれません。
反対に、一目惚れした相手と恋人関係になってみたら、思っていた人と全く違って失望したなんて話もよく聞きます。
いずれにしろ、つき合ってみたい相手には好印象を与えたいと思うのが自然な感情です。
(中には、好きな子ほどいじめてしまうという男の子もいるようですが、、、)
平安時代に、意中の相手を射止めたい場合、相手に好印象を与えるテクニックの一つが和歌でした。
歌の上手下手もそうですし、どんな紙にどんな香をたきしめるか、また、季節の花や紅葉を添えるなど、相手の気を引くために様々な工夫を凝らします。
筆跡の見事さも評価の対象でしたが、これは必ずしも送る本人が書くとは限らず、字の上手な家人や知人に代筆を頼むことも多かったようです。
《落窪物語》では、男君が初めて女君に送った歌を見た侍女の阿漕が筆跡の素晴らしさに感嘆する場面があります。
実母を亡くしている女君は、自分に縁談などとうてい考えられないと、恋愛には消極的で、目を通しもしなかったのですが、まだ会ったことのない相手に一番最初に送る歌としては、和歌作りのお手本のような礼儀正しく、知性を感じさせるもので、決して自分が卑しい身分のものではないことをそれとなく匂わせるものです。
☆第二位☆
君ありと きくに心を 筑波根の
見ねど恋しき なげきをぞする
《落窪物語》巻の一 男君の歌
恋の誘いをかける手始めの歌としては、まず、「お会いしたいです」と分かりやすく伝えるのが第一の目的ですが、同時に自分がどういう人間なのかということも、歌を通して相手に伝えたいところです。
男君の詠んだこの歌では、「筑波根」という古くから歌に詠まれている歌枕が使われています。
感情のままに詠むというよりは、そうした和歌の技巧的な知識を織り交ぜ、ちょっと生真面目な堅苦しい印象を抱かせる一方、万葉の時代から男女の出会いの場として有名な筑波山を例に出すことで、「あなたと出会いたいのだ」という気持ちをまた伝えてもいます。
「あなたのことを思って夜も眠れません」とか「恋しくて死にそうです」という熱に浮かされたというわけではなく、極めて理性的で冷静な歌だと思います。
男君としても、噂でチラッと聞いただけの女君が好奇心で気になるものの、どんな女性なのか分からず、一度会ってみたいがその後も関係を続けるかどうかは決めかねる…という心情だったようです。
実際、男女が直接顔を合わせる前に和歌のやりとりをして、互いの人間性を探り合うことはこの時代では珍しいことではなく、むしろ、そうするしか他に手段がなかったとも考えられます。
それだけに、一番最初に送る歌には、相手の様子を見つつ自分の人柄を伝えるという技術が要求され、それが卒なくこなせる人がプレイボーイと呼ばれるに相応しかったのだと思います。
初めてラブレターを書かれる時の参考になれば幸いです。。。(最近の人は書かないのかな?)
終わり良ければ総て良しという考えもありますが、最初が肝心という考え方もあり、物事を始める時に周囲の人にどんな印象を与えるかということが、その後の進行具合に影響を及ぼすこともあるようです。
この時に、必ずしも好印象を与えれば良いということでもなく、「あの人は最初は良かったのに、後からダメだね」と言われたり、「ダメな人だと思っていたら、案外できる人なんだ」と後に評価が変わったりもします。
私の個人的な印象ですが、現代社会は最初から最後まで良くあるものしか評価されない傾向にあるように感じます。
慣れるのに時間がかかっても、仕事を覚えたら素晴らしく仕上げることができる人もいれば、どんなことでも器用にこなすけれど、全てにおいて雑な仕事しかしない人もいます。
どちらがいいかという問題ではなく、どんなタイプの人もそれぞれに活躍できる社会ならば良いのにと思います。
さて、恋愛における第一印象も、その後の二人の関係性に少なからず影響を及ぼすものと考えられます。
つき合う前は、そんなに好きではなかったけれど、一緒に時間を過ごすうちにいろんな面を知り、好きになったという人もいるかもしれません。
反対に、一目惚れした相手と恋人関係になってみたら、思っていた人と全く違って失望したなんて話もよく聞きます。
いずれにしろ、つき合ってみたい相手には好印象を与えたいと思うのが自然な感情です。
(中には、好きな子ほどいじめてしまうという男の子もいるようですが、、、)
平安時代に、意中の相手を射止めたい場合、相手に好印象を与えるテクニックの一つが和歌でした。
歌の上手下手もそうですし、どんな紙にどんな香をたきしめるか、また、季節の花や紅葉を添えるなど、相手の気を引くために様々な工夫を凝らします。
筆跡の見事さも評価の対象でしたが、これは必ずしも送る本人が書くとは限らず、字の上手な家人や知人に代筆を頼むことも多かったようです。
《落窪物語》では、男君が初めて女君に送った歌を見た侍女の阿漕が筆跡の素晴らしさに感嘆する場面があります。
実母を亡くしている女君は、自分に縁談などとうてい考えられないと、恋愛には消極的で、目を通しもしなかったのですが、まだ会ったことのない相手に一番最初に送る歌としては、和歌作りのお手本のような礼儀正しく、知性を感じさせるもので、決して自分が卑しい身分のものではないことをそれとなく匂わせるものです。
☆第二位☆
君ありと きくに心を 筑波根の
見ねど恋しき なげきをぞする
《落窪物語》巻の一 男君の歌
恋の誘いをかける手始めの歌としては、まず、「お会いしたいです」と分かりやすく伝えるのが第一の目的ですが、同時に自分がどういう人間なのかということも、歌を通して相手に伝えたいところです。
男君の詠んだこの歌では、「筑波根」という古くから歌に詠まれている歌枕が使われています。
感情のままに詠むというよりは、そうした和歌の技巧的な知識を織り交ぜ、ちょっと生真面目な堅苦しい印象を抱かせる一方、万葉の時代から男女の出会いの場として有名な筑波山を例に出すことで、「あなたと出会いたいのだ」という気持ちをまた伝えてもいます。
「あなたのことを思って夜も眠れません」とか「恋しくて死にそうです」という熱に浮かされたというわけではなく、極めて理性的で冷静な歌だと思います。
男君としても、噂でチラッと聞いただけの女君が好奇心で気になるものの、どんな女性なのか分からず、一度会ってみたいがその後も関係を続けるかどうかは決めかねる…という心情だったようです。
実際、男女が直接顔を合わせる前に和歌のやりとりをして、互いの人間性を探り合うことはこの時代では珍しいことではなく、むしろ、そうするしか他に手段がなかったとも考えられます。
それだけに、一番最初に送る歌には、相手の様子を見つつ自分の人柄を伝えるという技術が要求され、それが卒なくこなせる人がプレイボーイと呼ばれるに相応しかったのだと思います。
初めてラブレターを書かれる時の参考になれば幸いです。。。(最近の人は書かないのかな?)
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