距離の近いもの、触れる時間の長いものに愛着を持つことがあります。
着慣れたシャツ、いつもしている腕時計、お気に入りのデザインのスマホ、よく聞く音楽など。
ふとした瞬間に、それらいつも身の回り近くにあるものたちが見当たらなくなると、やけに落ち着かない気分になってしまいます。
泣きじゃくったり、むずがったりする幼児に、ぬいぐるみや手触りの良いタオル、何かしらの花の香りがする枕カバーなどを渡すと安心するのか、妙に大人しくなったり、上機嫌になることもあるようです。
普段、身に着けるものの好みというものは、もしかしたら生まれた時にすでにある程度決まっているのかもしれません。
ところで、私自身はあまり物に執着がある方ではないようで、ブランド品や宝飾品などを欲しいとは思いません。
いずれも、用が足りればいい、あるいは社会生活の中で他人に迷惑をかけたり、不快な気持ちにさせたりしないという基準内で買い物をします。
時には、カワイイと思うデザインのものを選ぶこともありますし、用途にあったものが高価なものしかない場合もあるので、全くこだわりがないというわけでもありませんが。
例えば、私はよくスマホを持たずに外出してしまうことがあるのですが、「まあ、いいか…」くらいにしか思いません。
もちろん、仕事で頻繁にスマホを使うのであれば、取りに戻りますが、あまりメールも使いませんし、どうしても四六時中スマホがなければ困るというわけでもないので、「また忘れちゃったよ」くらいの軽い気持ちです。
元来、忘れ物をしやすい性質かもしれません。
今は辞めてしまいましたが、以前、演奏の仕事をしていた時は、譜面台や楽譜をよく忘れて焦ったり、怒られたりしました。
さすがに、楽器を忘れたことはありませんが、あまりに身体に馴染み過ぎていて、ケースに入れた楽器を背中に背負っているのに「しまった!楽器を忘れた!」と電車の中で、ドッキリしてしまったということが何回かありました。
なかなか、共感を得られないエピソードですが、ちょうど、おでこに眼鏡を上げたまま「眼鏡どこだっけ?」と探してしまうような感覚と言えば、分かりやすいでしょうか?
そして、一番最悪な忘れ物は、演奏する曲の音を忘れてしまうことです。
演奏の仕事では、たまに楽譜を見ないで演奏しなくてはいけないことがあるのですが、あんなに沢山練習したのに何故か本番になると、その部分だけ空白になってしまって、演奏できなくなってしまうことがあります。
舞台の役者さんでも、台詞を忘れるという話をよく聞きますが、その場合はアドリブ(自由に作ること)で適当なことを言ってごまかすなんて話を聞いたことがあります。
しかし、クラシック音楽の場合、そんな自由さが許されないので、ただただ嫌な汗をかくことになります。音を楽しむはずが、音に苦しむことになる瞬間です。
ジャズやフュージョンのような、演奏者の即興力が発揮できるようなジャンルであれば、必ずしも楽譜通りに一音の間違いもなく弾かなければならないわけではありません。
一方、クラシックや日本の伝統音楽のように、あらかじめ決められた音を出さなければいけない場合には、覚えた音を忘れてしまうことは致命的です。
そういう意味で、このジャンルの音楽家にとって「楽譜は命の次に大切」なのです。
さて、平安時代の上流階級でも、楽器の習い事はある種のステータスだったようで、《落窪物語》の女君も母親の形見の筝を上手に弾くことができました。
このことから、女君が母親の生前には上流階級の子女として、しっかりとした教育を受けていたことを窺い知ることができます。
また、この時代の人気の楽器と言えば横笛です。
小さいので携帯しやすく、いつでもどこでも取り出してすぐ吹けるという利点があります。
《落窪物語》の中でも、女君が中納言家の北の方から、笛袋を縫うように言いつけられる場面が登場します。
そして、今回、好きな和歌の第三位に選んだ歌は男君が女君のところに、自分の笛を忘れてきてしまったというエピソードから詠まれたものです。
☆第三位☆
これをなほ あだにぞ見ゆる 笛竹の
手なるるふしを 忘るとおもへば
《落窪物語》巻の一 女君の歌
いつも肌身離さず持ち歩いている親しみのある笛を忘れてしまうなんて、私への気持ちも本物かどうか怪しいものだわ…という女君の気持ちを詠み込んだ歌です。
「手なるるふし」が笛の素材である竹の節と、吹き慣れた曲の一節を掛けているところから、自分も筝をたしなむ女君の音楽への想いが垣間見れます。
中納言家にいた時も、仲が良いのは侍女の阿漕だけでしたから、彼女が他の用事で席を外している時、女君は一人で過ごさなければいけませんでした。
それに、みんながどこかへ物見遊山に出かける時も、一人だけ居残りとして連れて行ってもらえなかったので、女君にとって筝を弾くことは、寂しさを紛らわしたり、母親を偲ぶことのできる幸せな時間だったようです。
ただ好きだという気持ちを何かの形に残したいと思い、細々と書いている『好きな和歌ランキング』もベスト3に入りました。
拙い文章に目を通して下さる方々に感謝しつつ、好きな和歌に触れることのできる喜びを言葉にしていきたいと思います。
着慣れたシャツ、いつもしている腕時計、お気に入りのデザインのスマホ、よく聞く音楽など。
ふとした瞬間に、それらいつも身の回り近くにあるものたちが見当たらなくなると、やけに落ち着かない気分になってしまいます。
泣きじゃくったり、むずがったりする幼児に、ぬいぐるみや手触りの良いタオル、何かしらの花の香りがする枕カバーなどを渡すと安心するのか、妙に大人しくなったり、上機嫌になることもあるようです。
普段、身に着けるものの好みというものは、もしかしたら生まれた時にすでにある程度決まっているのかもしれません。
ところで、私自身はあまり物に執着がある方ではないようで、ブランド品や宝飾品などを欲しいとは思いません。
いずれも、用が足りればいい、あるいは社会生活の中で他人に迷惑をかけたり、不快な気持ちにさせたりしないという基準内で買い物をします。
時には、カワイイと思うデザインのものを選ぶこともありますし、用途にあったものが高価なものしかない場合もあるので、全くこだわりがないというわけでもありませんが。
例えば、私はよくスマホを持たずに外出してしまうことがあるのですが、「まあ、いいか…」くらいにしか思いません。
もちろん、仕事で頻繁にスマホを使うのであれば、取りに戻りますが、あまりメールも使いませんし、どうしても四六時中スマホがなければ困るというわけでもないので、「また忘れちゃったよ」くらいの軽い気持ちです。
元来、忘れ物をしやすい性質かもしれません。
今は辞めてしまいましたが、以前、演奏の仕事をしていた時は、譜面台や楽譜をよく忘れて焦ったり、怒られたりしました。
さすがに、楽器を忘れたことはありませんが、あまりに身体に馴染み過ぎていて、ケースに入れた楽器を背中に背負っているのに「しまった!楽器を忘れた!」と電車の中で、ドッキリしてしまったということが何回かありました。
なかなか、共感を得られないエピソードですが、ちょうど、おでこに眼鏡を上げたまま「眼鏡どこだっけ?」と探してしまうような感覚と言えば、分かりやすいでしょうか?
そして、一番最悪な忘れ物は、演奏する曲の音を忘れてしまうことです。
演奏の仕事では、たまに楽譜を見ないで演奏しなくてはいけないことがあるのですが、あんなに沢山練習したのに何故か本番になると、その部分だけ空白になってしまって、演奏できなくなってしまうことがあります。
舞台の役者さんでも、台詞を忘れるという話をよく聞きますが、その場合はアドリブ(自由に作ること)で適当なことを言ってごまかすなんて話を聞いたことがあります。
しかし、クラシック音楽の場合、そんな自由さが許されないので、ただただ嫌な汗をかくことになります。音を楽しむはずが、音に苦しむことになる瞬間です。
ジャズやフュージョンのような、演奏者の即興力が発揮できるようなジャンルであれば、必ずしも楽譜通りに一音の間違いもなく弾かなければならないわけではありません。
一方、クラシックや日本の伝統音楽のように、あらかじめ決められた音を出さなければいけない場合には、覚えた音を忘れてしまうことは致命的です。
そういう意味で、このジャンルの音楽家にとって「楽譜は命の次に大切」なのです。
さて、平安時代の上流階級でも、楽器の習い事はある種のステータスだったようで、《落窪物語》の女君も母親の形見の筝を上手に弾くことができました。
このことから、女君が母親の生前には上流階級の子女として、しっかりとした教育を受けていたことを窺い知ることができます。
また、この時代の人気の楽器と言えば横笛です。
小さいので携帯しやすく、いつでもどこでも取り出してすぐ吹けるという利点があります。
《落窪物語》の中でも、女君が中納言家の北の方から、笛袋を縫うように言いつけられる場面が登場します。
そして、今回、好きな和歌の第三位に選んだ歌は男君が女君のところに、自分の笛を忘れてきてしまったというエピソードから詠まれたものです。
☆第三位☆
これをなほ あだにぞ見ゆる 笛竹の
手なるるふしを 忘るとおもへば
《落窪物語》巻の一 女君の歌
いつも肌身離さず持ち歩いている親しみのある笛を忘れてしまうなんて、私への気持ちも本物かどうか怪しいものだわ…という女君の気持ちを詠み込んだ歌です。
「手なるるふし」が笛の素材である竹の節と、吹き慣れた曲の一節を掛けているところから、自分も筝をたしなむ女君の音楽への想いが垣間見れます。
中納言家にいた時も、仲が良いのは侍女の阿漕だけでしたから、彼女が他の用事で席を外している時、女君は一人で過ごさなければいけませんでした。
それに、みんながどこかへ物見遊山に出かける時も、一人だけ居残りとして連れて行ってもらえなかったので、女君にとって筝を弾くことは、寂しさを紛らわしたり、母親を偲ぶことのできる幸せな時間だったようです。
ただ好きだという気持ちを何かの形に残したいと思い、細々と書いている『好きな和歌ランキング』もベスト3に入りました。
拙い文章に目を通して下さる方々に感謝しつつ、好きな和歌に触れることのできる喜びを言葉にしていきたいと思います。
明大の文学研究科で院生をやってました。小説とか詩とか評論とかやってましたが、今は無聊をかこってます。さとうのぶひとさんから小説を批評してもらったことがありました。
僭越ですが、一枚千円の原稿料で書いてた文芸コラムを見ていただけたら嬉しいです。グーグル検索で「人文と社会の書林」というホームページの中の「本買取ブログ」の中で連載してました。三条市の古書店さんのホームページです。
地元の文学者の方から見てもらえたら、それだけで幸甚です。