時には目食耳視も悪くない。

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天才を育む土壌。

2020年03月09日 | 本の林
 生前はあまり評価されることがなく、死後何十年もたってから、作品や活動が評価される芸術家や研究者がいます。
 反対に、生前、その活躍を世間から認められていたのにもかかわらず、死後数年の後にはすっかり忘れ去られてしまう人物もいます。

 私は有名になりたいとか、後世に名を残したいとは思いませんが、ただ、自分のできることで社会とつながりを持ち、自分の力を発揮できる仕事に恵まれ、働くことで日々の糧を得たいという願望はあります。
 人によっては、社会とのつながり方や仕事内容が、芸能活動やプロスポーツなど、人目につきやすいものかもしれませんし、まったくその反対に世の中の注目をまったく浴びないもので社会に貢献している人もいると思います。

 世間というものは、一見、派手に活躍しているもの、目に見えて成果を出しているものを評価する傾向にあります。
 しかし、この世界は必ずしもそうした華々しい存在のみによって構成されているのではなく、目立たなくごく平凡に見えるものたちが揺るぎなく存在しているからこそ成立しているという事実もあるのです。

 言い換えれば、そういった地道なものに支えられ、育まれたうえで光り輝く才能が、生き生きと活躍することができるのです。
 よく、「百年に一人生まれるかどうかという天才」と人を表することがありますが、これは、天才を生み出すことのできる土壌が、その時代の社会にあるかどうかという、社会全体の人間力を評価されているような気が、私はします。

 天才は決して、ある日突然現れるのではなく、どんな神童と呼ばれる人でも、生まれ落ちた環境、教育、人間関係によって人格が形成されるのだと、私は考えます。
 モーツァルトが神童と呼ばれたのは、父レオポルトの教育の賜物であるし、発明の天才と誉れの高いエジソンは「天才とは1%のひらめきと、99%の汗である」という言葉を残しています。

 99%の汗を流すことのできる環境になければ、彼は優れた発明を考案することはできなかったかもしれません。
 自分なりの努力ができる状況にあるのならば、例え誰にも評価されなくてもその努力は続けるべきですし、むしろ続けることができることに感謝するべきかもしれません。
 有名になった人生が幸せなものとも限りませんし、無名であることが必ずしも不幸というわけでもないと思います。
 自分のできること、やりたいことのできる人生であれば、いくら平凡でも、多少経済的に豊かでなくても(あくまでも、「多少」です。笑)、幸せなのではないでしょうか。

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 特にYoutuberを気取るつもりはないのですが、自分の本への愛情をカタチに残したくて始めた雑談動画【本の林】シリーズ。
 今回は、集英社の学習漫画、世界の伝記シリーズから《クララ・シューマン 愛をつらぬいた女性ピアニスト》笠間春子監修(1992)を選びました。

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 クララ・シューマン(1819-1896)は、ちょうど2019年が生誕200年に当たる年でしたので、日本でも彼女の作品が演奏会で演奏される機会が多かったと思います。
 そのこともあって、今現在クララのことを知っている人は増えたかもしれませんが、実際、彼女のことがよく知られるようになったのは、ここ数十年のことです。
 それまでは、彼女の夫であるローベルト・シューマン(1810-1856)の方が有名でしたし、クララについて言及する時は「ローベルト・シューマンの妻」として紹介されていました。

 けれども、彼らが実際に生きていた200年前は逆でした。
 クララは天才女流ピアニストとしてヨーロッパ中で有名でしたが、夫のローベルトはあまり音楽家として一般に知られておらず、「ピアニスト、クララの夫」と呼ばれることもあり、ショックを受けたという逸話も残っています。

 今日では、世界的に男女間のみならずLGBTなど、性という概念に囚われず、差別をなくそうという風潮になっていますが、本当は「男(女)はこうあるべき」や、「妻だから、」とか「夫だから、」といった固定概念だけではなく、多くの富を得た者、著しい成果をあげた者を過剰に評価し、それ以外の存在を必要以上に貶めるという思考傾向が問題なのではないでしょうか。

 たった今素晴らしくないものは、将来性もないと決めつけてはいませんか?
 成長や過程に時間がかかる物は古臭く、価値がないと思ってはいませんか?
 それでは、生まれるはずの天才の芽が摘み取られてしまい、優れた人材の育たない社会になってしまうのです。

 ローベルトとクララは音楽という共通の仕事を持ち、家庭を築き、父として母として、作曲家としてピアニストとして、共に生きることができた音楽家夫婦です。
 大変なことも沢山あったかもしれませんが、それは一般家庭の夫婦が抱える事情とあまり変わらないもので、決して特殊な例とは言えないと思います。

 クララがピアニストとして活躍できたのは、どんな状況にあっても彼女なりの努力を続けたこと、そして続けられる環境に恵まれたこと、それが当時の社会の人間力なのだと思います。





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