他人の不安は
当事者じゃないから
余計な感情がない分
全体像がつかみやすく
よく分かり
どうしたらいいのか
見えやすい
でも
その本質を伝えることは
よっぽどの関係じゃない限り
伝えない
家族であっても躊躇する
だからって
伝えることも伝えないことも
優しさでも意地悪でもない
でも
伝えかた次第で
優しさや意地悪にもなる
その違いは何から生じるのか
正しいか間違っているかでも
善か悪でもない
それは
伝える人の
心のセンスでしかない
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日本は神道だし
ネパールあたりは仏教だったし
中国あたりは道教や儒教
キリスト教は中東あたり
救世主は
その地域を救いたくて
その地域の価値観や習慣に合うように
その地域に根差した
分かりやすい教えを説いている
だから
その教えが
その地域から出てしまうことは
もう間違っている
信者を増やしたいだの
他の地域の人も救いたいだの
人間の浅知恵が動いた時点で
その宗教は終わりだ
あとは人間の欲を満たすために
巧妙に利用される
人間の欲が神をかたり
どれだけ人間が乱れてきたか
歴史を見れば分かることだ
シャカやキリストは
お経も聖書もかいてない
儀式的な礼拝も
偶像崇拝も教えてない
それはのちの人間が
つくりだしたものだ
でも
この世の中を救えるのは
人間なんだ
だって
シャカもキリストも
肉体を持った人間だった
きっと教えは
とてもシンプルで
難しい儀式も
読めない経典もいらなくて
与え続けるばかりの
自然のエネルギーと
自分の命をつないでくれた
亡くなったものたちに
ありがたいと
日々思うことができたなら
世の中が変わりだすと思う