このシリーズ今迄ビッグバンドの演奏の話が
ちっとも出てこなかったので流石に真面目な
ビッグバンドでの演奏話。
学生時代一か月連続でテレビ出演をした経験が有る。
それは、中京テレビ放送の、
「ミュージック・フェロー・イン・ナゴヤ」という、
深夜零時頃に放送されていた5分程度の音楽番組だ。
この地域で活躍するプロアマ問わず音楽家達を
一か月間連続で出演させるという企画の番組であった。
勿論録画。それを確か4、5本撮ったであろうか?
カレンダーの一週間毎に曲を変えて行ったか、
はたまた曜日毎に曲が変わって行ったかは不明だが、
少なくともすべての日に曲が変わる様な話では無く、
それでも一か月毎日その時間我がバンドが出ていた。
これの撮影での鬼門は時間。
詳しくその時間までは流石に覚えていないが、
例えば5分で終える必要が有ったとしたらば、
その後差は2.3秒迄としないといけなかったのだ。
そう、МC無しの音楽だけの番組なのだ。
事前に何度も計ってその場に臨むわけだが、
やはり2.3秒の誤差で収まらない事が練習でも多かった。
今なら安易にスピード調節で何とかなりそうなものだが、
その時は、念入りなカメラリハーサル等かも含めると、
一曲当たり最低でも5.6回は演奏をした記憶なので
二日間程テレビ局に通ったのも覚えている。
勿論時間の問題だけでなく、
我々自体の出来の問題も、繰返し演奏の原因。
当然真っ先にばてるのは我々であった。
そして当時コンテストで使用したハードな曲の時の事だ。
やはり時間の過不足や、ソリストがもう一度やりたいだとか、
誰かが目立つ間違えをしたとかで何度もやったその後に、
時間もピタリ、最後の音もばっちり、ソロも納得。で、
OK!となる所がテレビ局さんからもう一度。と。
腰が砕けそうになったのは我々ラッパ隊。
何が原因だったかテレビ局の方に聴くと、
ピアノのソロの部分で手の辺りを大きくアップしたら、
譜面の所に置いてあった黄色い消しゴム付きの
汚い鉛筆まで見事に写ってしまった、と言うではないか。
ついピアニストに、バッカヤロー!
(このピアニストは昨年蟹をご馳走してくれた彼)
その後何度か撮ったのだが我々完全にばてきり、
致し方なくテレビ局の人に頼んで
その鉛筆付の映像で勘弁してもらったという始末。
ただプロの方の指導を受けていた当時の我々にしては
それなりの快演が放送されたと自負している。
もっとも当時録画する機材が家庭に殆どない時代。
だから何とでもいえるのである(^^♪)
写真は.....説明するまでも無し。
ちっとも出てこなかったので流石に真面目な
ビッグバンドでの演奏話。
学生時代一か月連続でテレビ出演をした経験が有る。
それは、中京テレビ放送の、
「ミュージック・フェロー・イン・ナゴヤ」という、
深夜零時頃に放送されていた5分程度の音楽番組だ。
この地域で活躍するプロアマ問わず音楽家達を
一か月間連続で出演させるという企画の番組であった。
勿論録画。それを確か4、5本撮ったであろうか?
カレンダーの一週間毎に曲を変えて行ったか、
はたまた曜日毎に曲が変わって行ったかは不明だが、
少なくともすべての日に曲が変わる様な話では無く、
それでも一か月毎日その時間我がバンドが出ていた。
これの撮影での鬼門は時間。
詳しくその時間までは流石に覚えていないが、
例えば5分で終える必要が有ったとしたらば、
その後差は2.3秒迄としないといけなかったのだ。
そう、МC無しの音楽だけの番組なのだ。
事前に何度も計ってその場に臨むわけだが、
やはり2.3秒の誤差で収まらない事が練習でも多かった。
今なら安易にスピード調節で何とかなりそうなものだが、
その時は、念入りなカメラリハーサル等かも含めると、
一曲当たり最低でも5.6回は演奏をした記憶なので
二日間程テレビ局に通ったのも覚えている。
勿論時間の問題だけでなく、
我々自体の出来の問題も、繰返し演奏の原因。
当然真っ先にばてるのは我々であった。
そして当時コンテストで使用したハードな曲の時の事だ。
やはり時間の過不足や、ソリストがもう一度やりたいだとか、
誰かが目立つ間違えをしたとかで何度もやったその後に、
時間もピタリ、最後の音もばっちり、ソロも納得。で、
OK!となる所がテレビ局さんからもう一度。と。
腰が砕けそうになったのは我々ラッパ隊。
何が原因だったかテレビ局の方に聴くと、
ピアノのソロの部分で手の辺りを大きくアップしたら、
譜面の所に置いてあった黄色い消しゴム付きの
汚い鉛筆まで見事に写ってしまった、と言うではないか。
ついピアニストに、バッカヤロー!
(このピアニストは昨年蟹をご馳走してくれた彼)
その後何度か撮ったのだが我々完全にばてきり、
致し方なくテレビ局の人に頼んで
その鉛筆付の映像で勘弁してもらったという始末。
ただプロの方の指導を受けていた当時の我々にしては
それなりの快演が放送されたと自負している。
もっとも当時録画する機材が家庭に殆どない時代。
だから何とでもいえるのである(^^♪)
写真は.....説明するまでも無し。