青色日誌

還暦を超え、子育てもひと段落。さて!

東北 その5

2011年03月19日 | 思うこといろいろ
昨日の続き。



つばめマークの国鉄バス。
十和田湖へと山道を走る。

今地図を見てみると東北自動車道が
こんな山中を貫いているとは。
おそらく今、観光は車が主流だろう。

ひねた高校生と美しい湖。

なんとも対照的だけれども
曲がりくねった山道を走りぬけ
開けた山間から見えた湖の美しさは、
これもまた鮮明に記憶に残る。

湖畔の観光船乗り場で下車。
明らかに1人でいるのは私だけで、
周りからの視線が気になった。
さらに1人で観光船に乗り込み
八甲田山ではロープウェーに乗り込む。
これもまたある種の勇気が入った。

駅員の人、船乗り場の人、
昼ごはんを食べた湖畔の食堂の人。
会話とまでは行かぬとも
少ない言葉を交わすだけでも
異国かと思えるほどの東北弁は
少年の私にはとても印象的であった。

決定的な思い出は青森駅。

夜行列車発車迄の間、青森の町を散策。
当然の事ながら青函トンネルの無い時代
青函連絡船との乗り継ぎ駅として
賑やかであったように覚える。

丁度今、東北新幹線が青森まで伸び、
賑やかさを取り戻したのと同じ位か。
(早くこちらも復旧を願うばかり)

ところがその時親から借りたカメラの
水銀電池が切れてしまって
写真が写せなくなってしまったのだ。

そこで探した駅前通のカメラ屋さん
おそらく電池が無いと思うのだが?
と、相談を持ちかけてみたところ、
お答えいただく言葉が全く判らない。
本当にびっくりするほど判らない。

電池が切れていたのは正解で、
にこやか電池を交換してくださり、
何か私に話しかけてくださる。

本当に私には理解できなかった。
おそらく「ひとり旅なのか?」と
聞かれたような気がしたので、
首を縦に振っていたと思うのだが。。
方言って、こんなに違うんだ!と
私にとっては正に発見の一瞬。

そしてこの方もまた笑顔であったのだ。




35年も経てこの記憶が残る街。
勿論私にとってとても印象的な
旅だったので当然なのかも知れないが、
それにしても思い出す人は笑顔で、
そして全ての東北弁が暖かだった。

今日もまた、こんな笑顔の街に
元気な東北弁が飛び交う街に
早く復旧してほしいと願うばかりである。


ガンバレ東北!


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