東北の思い出もその6
カメラ屋さんから出て戻った青森駅。
母親に電話するために公衆電話へ。
先日も書いたけれども、この旅は、
今まで自分に勇気の要る物だったと
思い込んでいたけれども、今になり、
親の勇気の方が大きかったと今更思う。
携帯電話など当然無いわけで、
ひねた高校生は1日一度連絡せよと
親に言われていた言葉の最低限を守り
10円玉を沢山用意し公衆電話へ。
今の子供には判らないことであろうが、
あの頃の公衆電話、青森から我家では
すごい勢いで10円玉が落ちていく。
必要最小限の会話をして切ったと思うが
我家が懐かしく感じた事だけ覚えている。
青森駅は、沢山の寝台特急が並ぶ。
北海道から東京・大阪へ向かう人を
一旦ここで受け止めて深夜の旅に出る。
鉄道マニアの私はこの光景が見たく
この地を訪れたと言っても過言ではなく
カメラ片手に走り回っていた。
何となくリアルに私を知る皆様からは
そんなにマニアだったの!?と言う視線で
これから見られるのが一寸恐いが。。
私の乗った日本海号は今も僅かに残る
ブルートレインの一つ。
勿論一番安価寝台車の3段ベットの
一番上に収まり青森を発車。
高校生なので当然酒を呑むわけは無いが
今だったら、確実に日本酒が合う。
(何を言っているのやら・・・)
前後の寝台はほぼ一杯で発車したのに
私の所は私しか居らず一寸静か。
流石に疲れて寝込んだ頃秋田に着いた。
今の新幹線では到底考えられないが、
停車時間が長く、ホームでそばを食べる人や
今の私だったらするであろう酒を買込む人
一寸した賑やかさがホームに溢れる。
すると、ここで又出会いがあった。
思うに丁度今の私の年恰好ぐらいか。
正にPTAバンドPなっつメロンの
女性陣のような(わかる人にはわかる)
とてつもない賑やかな団体が乗ってきた。
女性ばかりの団体客。
明らかに一杯、いや、いっぱい入っている。
私のベットの下で宴会が始まったのだ。
ひとり旅の場合、静かよりは
圧倒的に賑やかの方が良いわけで、
それはそれで全く問題は無いのだが、
そのおばさん達!が私に声を掛けてくるのだ。
酔っ払ったおばさんの東北弁!
彼女たちにしてみたら
私は格好のつまみだったのかも知れない。
流石にこの時、理解できない言葉は
聞き返した覚えがあるが、その度に
にこやかに笑いながら答えてくれた。
酒は勿論頂かったけれども、
つまみの煎餅やみかんの類を沢山頂いたのだ。
そして私は翌早朝金沢に降り立った。
彼女たちは当然の様に爆睡をしていたので
お礼を言わずままになっているのが
少々気がかり・・と言う訳では全くない!
おそらくこんな所まで付き合って
お読み頂いた方は殆どいないと思うが、
こうして思い起こしてみると
私の東北の思いでは良い事ばかり。
実はこの思い出は、震災数日後に
被災地を思い一気に書いていたものを
分割して投稿をしたものです。
少し前のコメントで、こういう時に
更新するのは勇気が要ると書きました
被災された方の心を
傷つけていたりしたらどうしよう
とか
ブログ書いている暇があったら
もっと動いて支援しろと思われないか
とか。
でも今、
東北を思うという事だけでも、
今をしっかり生きようと思ったり
節約をしようと思ったり
思いやりの気持ちを持とうと思ったり・・
色々な思いが生まれるものです。
ビジネスのシーン
音楽のシーン
地域活動のシーン
私の全てのシーンで東北のことを思い
生活に取り入れて行きたいと感じました。
仙台の同業者の皆様、
名取地区でお世話になったお客様
盛岡で起こしてくださった車掌さん
青森のカメラ屋のおじさん
秋田のPTAみたいなおばさん!
そしてその周りの全ての方が
いち早く見事に復興をされ、
元気な東北弁で会話をされる日を
心より願い祈りたいと思います。
ガンバレ!東北!!!
レアサウンズホームページ
トップページのみ更新しています。
コンサートの件にて告知していますので
ご参照お願い致します。
カメラ屋さんから出て戻った青森駅。
母親に電話するために公衆電話へ。
先日も書いたけれども、この旅は、
今まで自分に勇気の要る物だったと
思い込んでいたけれども、今になり、
親の勇気の方が大きかったと今更思う。
携帯電話など当然無いわけで、
ひねた高校生は1日一度連絡せよと
親に言われていた言葉の最低限を守り
10円玉を沢山用意し公衆電話へ。
今の子供には判らないことであろうが、
あの頃の公衆電話、青森から我家では
すごい勢いで10円玉が落ちていく。
必要最小限の会話をして切ったと思うが
我家が懐かしく感じた事だけ覚えている。
青森駅は、沢山の寝台特急が並ぶ。
北海道から東京・大阪へ向かう人を
一旦ここで受け止めて深夜の旅に出る。
鉄道マニアの私はこの光景が見たく
この地を訪れたと言っても過言ではなく
カメラ片手に走り回っていた。
何となくリアルに私を知る皆様からは
そんなにマニアだったの!?と言う視線で
これから見られるのが一寸恐いが。。
私の乗った日本海号は今も僅かに残る
ブルートレインの一つ。
勿論一番安価寝台車の3段ベットの
一番上に収まり青森を発車。
高校生なので当然酒を呑むわけは無いが
今だったら、確実に日本酒が合う。
(何を言っているのやら・・・)
前後の寝台はほぼ一杯で発車したのに
私の所は私しか居らず一寸静か。
流石に疲れて寝込んだ頃秋田に着いた。
今の新幹線では到底考えられないが、
停車時間が長く、ホームでそばを食べる人や
今の私だったらするであろう酒を買込む人
一寸した賑やかさがホームに溢れる。
すると、ここで又出会いがあった。
思うに丁度今の私の年恰好ぐらいか。
正にPTAバンドPなっつメロンの
女性陣のような(わかる人にはわかる)
とてつもない賑やかな団体が乗ってきた。
女性ばかりの団体客。
明らかに一杯、いや、いっぱい入っている。
私のベットの下で宴会が始まったのだ。
ひとり旅の場合、静かよりは
圧倒的に賑やかの方が良いわけで、
それはそれで全く問題は無いのだが、
そのおばさん達!が私に声を掛けてくるのだ。
酔っ払ったおばさんの東北弁!
彼女たちにしてみたら
私は格好のつまみだったのかも知れない。
流石にこの時、理解できない言葉は
聞き返した覚えがあるが、その度に
にこやかに笑いながら答えてくれた。
酒は勿論頂かったけれども、
つまみの煎餅やみかんの類を沢山頂いたのだ。
そして私は翌早朝金沢に降り立った。
彼女たちは当然の様に爆睡をしていたので
お礼を言わずままになっているのが
少々気がかり・・と言う訳では全くない!
おそらくこんな所まで付き合って
お読み頂いた方は殆どいないと思うが、
こうして思い起こしてみると
私の東北の思いでは良い事ばかり。
実はこの思い出は、震災数日後に
被災地を思い一気に書いていたものを
分割して投稿をしたものです。
少し前のコメントで、こういう時に
更新するのは勇気が要ると書きました
被災された方の心を
傷つけていたりしたらどうしよう
とか
ブログ書いている暇があったら
もっと動いて支援しろと思われないか
とか。
でも今、
東北を思うという事だけでも、
今をしっかり生きようと思ったり
節約をしようと思ったり
思いやりの気持ちを持とうと思ったり・・
色々な思いが生まれるものです。
ビジネスのシーン
音楽のシーン
地域活動のシーン
私の全てのシーンで東北のことを思い
生活に取り入れて行きたいと感じました。
仙台の同業者の皆様、
名取地区でお世話になったお客様
盛岡で起こしてくださった車掌さん
青森のカメラ屋のおじさん
秋田のPTAみたいなおばさん!
そしてその周りの全ての方が
いち早く見事に復興をされ、
元気な東北弁で会話をされる日を
心より願い祈りたいと思います。
ガンバレ!東北!!!
レアサウンズホームページ
トップページのみ更新しています。
コンサートの件にて告知していますので
ご参照お願い致します。