こんなステージで冷静な自分がいる。不思議を飛び越えて楽しんでいる。一曲目、ソプラノサックスI本の静かなソロから一転してハイテンポになる我々の得意ナンバーからスタートした。モンタレー第一声は納得のいくスピードのある音が出た。「いける」そう確信したのは曲が始まって本当に間もないときであった。
3曲目当たり、トランペットU山の高音にスピードがない。彼のこの場の存在は大きい。呼吸が聞こえる。彼のトランペットのベルがすっと上向く。アシスト要請である。阿吽の呼吸と言う奴である。それに応える余裕が有った。テュッテーをクリアしていく。これぞ長年共にしたメンバー同士の人間関係かなあ、と何時もこの当たりで思う。曲をこなして行くにつれU山の調子はいつものように戻っていった。スピードが出てきた。絶好調である。観客が異常にうけている。こんなにうけるとは思っていなかったが、うけている。のっている。日本ではとても味わったことのない、客に乗せられているという状況である。すごい。客がすごいと思った。
粋な計らいをして下さった「ビル・ベリー」氏
約40分の持ち時間は四半世紀待った自分には余りにも早かった。しかし待っただけ有った。人生記念すべき7度目のステージは大成功でなだれ込むまま最終曲には入った。我々の最終曲として定番としてきた「プリーチャー」というミディアム4ビートの乗れる曲だ。曲の後半、ビルベリーが徐々に我々の後ろから登場した。観客の反応は早い。言葉では表現できない。最後のハイGの音を吹いている自分が今でも忘れられない。
片づけが始まった。われわれは完全に上気している。よかったよかった。そこへ日本人の声。「最高だよ。最高!」明後日大変お世話になることとなった東京で医者をなされているドクター飯島(熱狂的なジャズファンであり、日本に来る海外ミュージシャンの健康管理をしている関係上、プロのプレーヤーとかなり親しい仲の人である)との出会いであった。ホテルへ戻る足どりは、極めて軽やかであった。こんなに疲れているはずなのに・・。そのまま寝る奴など一人もいなかった。時計は10時をまわっている。社長秘書は宴会場として我々の部屋を提供する旨、メンバーに伝えた。一人二人集まり始めた。皆各部屋の自分のグラスを持っての参加だ。早速今日とったばかりの演奏ビデオ上映である。持ち寄ったウィスキー2本。ルームサービスで頼んだウィスキー2本瞬く間になくなっていく。全員参加出来て本当に良かった。誰かがそんなことを言っていたが、その言葉は何度もチャンスを潰して来ただけに心にしみる言葉であった。酔った。さすがに酔った。
二日酔いは全くない。爽快である。朝の日差しは相変わらず映画のようだ。ただ一つだけ気ががかりがあった。昨夜深夜までさわいでいて周りに迷惑はなかったろうかという懸念である。広大なホテルではあるがその宿泊客の何割かはやはりジャズフェスティバル目当ての滞在宿泊客である。最初にダメージを与えては困る。そんな気持ちのままバルコニーで早朝ゴルフの客を眺めながらタバコを吸った。その時、隣のバルコニーの戸が開いた。「ドキッ」本当にドキッである。どうしよう。初老の婦人は私を見るなりニコッとほほえみ「グッドモーニング」。「グッ、グッドモニング」である。思わず、N川さんに、「隣の人笑っておはようだって!」。「そうか!」。N川さんも又同思いであった。ささやかな安堵である。
金曜日、今日からいよいよジャズフェスティバルの開幕である。出演は明日なので今日は始まるまで、観光とショッピングだ。開幕一日目の今日だけは、夕方からステージが開幕する。午前中だけほんの少しウォーミングアップの為の練習時間を頂いた。昨日余りにも興奮したからか、練習に力がない。皆明日は完全燃焼が出来るという「自信」が有ったように思える。K坂氏の仕立てた観光バスがやってきた。昨夜の演奏で又結束を固めたかの様な仮のミュージシャンの一行は、再び観光客化した。17マイルドライブ。西海岸が手に取るように眺められるドライブコースだ。バスはサンフランシスコの時同様写真タイムをもらいながら進む。写真タイムでだんだん我々もエスカレートしていき、パート別写真だとかと言っては撮る。おい、やっぱりなんか違わないか?
観光客「レア・サウンズ」の図。何故か真中に陣取る私。団体から外れているのはMちゃんとしほ。
カーメルという綺麗な街にてショッピングタイム。この日で実はおみやげ物の8割程の買い物をすることとなった。もっともこのツアー、一般的なショッピングタイムが少ない。まあ当たり前の話ではあるが。汚い話で恐縮だが、実はこの日腹痛におそわれた。比較的慢性に胃腸の弱い私なので、たいして大変なことではなかったのですが、丁度医者になったばかりのH君も居ることだったので彼に相談をしました。日頃では、私が年長なので、H、H、と呼び捨て状態だったのだが、この場に及んではH先生等と妙にへりくだっている自分がそこにいました。彼曰く「どんな症状ですか?」「夜私の部屋に薬取りに来て下さい」・・なんか助かった気持ちでいっぱいでした。そんな彼もメンバーであってくれて嬉しいと思った一瞬であったりくました。でも立場変われば、又、H、H、ですが。
カーメルを後に、ゴルフ好きで有れば一度は行きたいと言われているペブルビーチゴルフセンターでショッピング。日本語の通じる店員さんと出会い、妙に嬉しくなってしまった。アメリカに来て始めてであった。その後、クロスロードと言う一大ショッピングセンターに立ち寄った。これが又アメリカ的であります。何でも揃うその一大ショッピングセンターの一角に、ジャズグッズ専門店なんて物まであって(そんな店があるぐらいなのでどんな店でもある)8割使った理由もお分かりのことと思います。観光は疲れる。今日はつくづくそう思いました。夕刻、またまた我々のツアーはジャズツアーへと鞍替えをします。40周年記念モンタレージャズフェスティバル、いよいよ開幕であります
会場に入り、余りの人の多さに圧倒されました。すごい。朝の通勤ラッシュの如く会場で人が入り乱れます。始まっています。周りの3会場、そうです、昨日熱演をしたそのステージでプロのミュージシャンが白熱のプレーをしているのです。その会場の間をところせましと並ぶ屋台、屋台、屋台の群であります。食べ物屋、飲み物屋は当然のこと、モンタレーグッズの山であります。事前にK坂氏より教わっていたことで、ジャケット類のサイズ物はすぐ完売となるので金曜日に購入した方がよいと言うことで音楽を聴きながら、ビールを呑みながら、ショッピング。正にお祭りです。夜8時、メインアリーナの開幕です。私が見たくて仕方の無かったA・サンバドルというスーパートランペッターの登場です。興奮状態のアリーナは、彼のハイノートにスタンディングオベーションの連続。CDでは聞き取ることの出来ない生のその迫力に酔いしれました。このフェスティバルを毎年のように見に来る客が絶えることなく、メインアリーナの切符は翌年の物は既に売りつくされているような状況だと言うのも理解できることでした。しかし寒い!革ジャンの上に今購入したばかりのジャケットを羽織っても震える。深夜0時頃興奮のステージは幕を閉じた。今日も長い一日が終わった。
今日も目覚めはさわやかである。相変わらずバルコニーの向こうでは優雅にゴルフを楽しむ人の姿があった。いよいよ本番の日である。ちょっと体が緊張している。飛行機の着陸以来だ。朝食後、本番でジョイントしていただくこととなっているボビーシュー氏とのリハーサルが待っていた。ボビーシューというトランペッターと私達は実は3度目の共演となる。実に異例のことではあるが、縁が深い。もっとも私が始めて海外に来ているのだから、以前2回は日本でのこととなる。こんな有名な人と3度も共演が実現するとは夢の又夢のようである。私のミュートには彼のサインが刻まれている。2回目の共演で頂いた物だ。リハーサルは本番を行うナイトクラブにて行われた。ボビーがにこやかに現れた。当然彼も私達とは「再会」と知っての登場であった。トランペットの者だけに握手を求めてきた。嬉しい!
相変わらず彼のトランペットはすごい音をしている。インプロバイズする音が、とめどもなく速い。先から音が速い言う表現をしているが、そう思うのだ。特にここでそう思う。いわゆるスピード感があって完全にジャストフィットしている感じだ。2曲共演することとなっていた。1曲目のリハーサルが終わった。にこやかなボビーの顔にホッとメンバーは安堵する。ハイテンポな2曲目に入る。アルトサックス、I本とボビーのバトルが聴物の曲となる。感心をした。I本が完璧なアドリブをする。彼も又音楽に対する熱意はすごい。2日前、我が部屋での宴会で呑んだくれていたI本とは別人である。こんな奴と一緒にプレイできて良かったと改めて思った。ボビーも又この曲に対してもにこやかに「OK」である。リハーサルは再会を喜ぶかのように見事に終わった。
当日の看板。プロと文字の大きさが一緒!それだけで嬉しい。
本番が刻一刻と迫る。私だけであろうか今度は緊張してきた。何故だろう。悩む方がおかしい。他のプレーが聴き渡る会場の一角で静かにたたずんでいた。ドクター飯島がそこに現れ日本語で激励下さる。すごく嬉しい。安心する。しかしここらあたりの記憶が残念ながら少ない。やはり緊張していたのだろうか。ただただマウスピースを握りしめていたことだけは覚えている。
本番が始まる。ステージに立った。とうとう緊張している自分が現れた。お客さんが見える。どんな演奏をこいつらはするんだろうかと言うような顔をしているように見える。本場のMCによる紹介が始まった。何言っているのか分から無い。この場合はヒヤリングが出来ていない。但し聴こうとする姿勢が私にはない。只、今から始まろうとするこのステージに熱い煮えたぎる物を感じていただけであった。「レアサウンズジャズオーケストラ!」始まった!
本番のステージ。正に緊張の連続!
無心に1曲目を吹く。どうも皆緊張している。昨日までとは随分違う。又リハーサルとも違う。乗り切れるのだろうか?ちょっと不安がよぎる。私のポジションからではT橋とS藤さんとしか目が合わない。いつもはS藤さんと目が合うと妙に安心するものがあったが、両人とも顔つきが違う。私だけだろうかそう思うのは。それとは別に今日のU山は絶好調である。演奏自体に問題はない。そう確信が出来たのはその1曲目が終わったときであった。観客のその拍手の大きさに戸惑う位であった。S谷の英語によるMCは今日も健在である。2曲3曲と続く。今日の本番持ち時間は1時間である。アメリカでの「うけ」方を把握しかけた我々は、バンドマスター、コンサートマスターの指示の基、当初の選曲からかなりの変更をした。私には少し物足りなさと共に心配が残った。「本当にこれでよいのか?」中盤に入りその思いは強まる。決して演奏は悪くない。客にもうけている。曲の途中で何故か観客にうけるフレーズがあると、拍手が湧く。日本では、東京でもない事で、名古屋のステージでは全く経験がない。その未経験の観客と曲の変化が落ちつかない。でも「うけてるよ」と思わず声が出る。佳境に迫ってきた。集大成である。
ボビーシューが登場した。昨日のそれと同じく万雷の拍手の嵐であった。曲が進む。我々には余力があった。トランペットが1時間吹いて、余力があるというのも余り今まで経験がない。最後の曲となる、リハーサルで完璧であったI本はそれに輪を掛けたようなプレイをした。我々も余力ありありの音量を放った。
われながらよく撮ったワンショット。ボービーとバトルをしたI本君と「立って」下さったお客様!
終わった。客席が総立ちである。スタンディングオベーションを受けている。「立ってる」誰とも無くそうつぶやいた。大成功なのだろう。たぶんこれは大成功なのだ。何か訳が分からないままステージをおりた。スタッフが拍手をしている。やっぱり大成功なのだ。しかし実感が湧かない!
楽器を片付けている間にも、客がそこに来ては賞賛の言葉を掛けてくれる。でも我々は何か「空」を感じていた。後にN川さんとも話をしていたがこれが完全燃焼って言うやつではないかな。と今思う。がその時は余りそう思わなかった。全て終わった感じの足どりは重い。取りあえずホテルに戻る道のりは、30分にも1時間にも感じた。後の予定はフェスティバルを聴いて帰るだけとなってしまった。ホテルに戻ってシャワーを浴びよう。
N川さんがシャワーを浴びて私が例によってバルコニーでタバコを吸っていると、部屋の電話が鳴った。聞き覚えのある温厚なその声はドクター飯島であった。「よかったよ。よかったよ」日本語の賞賛の声は又ありがたみが違う。聴いていて下さっていたことに感謝申し上げるとこんな有り難い誘いの電話であった。乾杯でもしないかね。良ければ私の知っている寿司屋を紹介してあげるよ。というのだ。急に元気が出てきた私は、これはN川さんの了解を得ずとも是非お願いしたいと、社長秘書は社長決裁を飛び越えて決断を下してしまった。が、社長は、いやバンマスも、全く同じ考えであった。全員の部屋との連絡を開始。社長秘書は忙しい。どうもみんなくたびれ果てていたところで寿司、ビール、日本酒である。ロビーに集合したときは、充足感と、はよ呑みたいと言わんばかりの顔であった。
タクシーは順次スシレストランへと到着した。ドクターの顔もある。嬉しい。キリンビールで乾杯。周りの人たちのビックリしていた顔が印象的である。ここに来て始めて「まあまあ」とビールを注ぎ合った。このツアー発の瓶ビールであった。日本酒も出てきた。何もここまで来て日本酒も無かろうとは思うが。それはそれである。満足が出来ればよいのである。本当に旨い。ドクターの寸評も頂いた。有り難い。本当に有り難い。
ちょっと歳を感じた。宴会の後だ。当然今日土曜日の夜もフェスティバルはやっている。見に行くというメンバー、特に若い者が行くというのだ。時間はまだたっぷりと有った。ただ私はさすがにいく気にはなれず、宴会続行チームに入ることとした。勿論寿司屋で日本酒とつまみを買い込んでだ。S藤さんが宴会部屋の提供をしてくれた。確かによく呑む。旨いから仕方がない。しかし疲れ切った体は正直で、知らぬ間に寝てしまった。
最後まで天気は良かった。朝方ほんの少しもやが出たものの、みるみる青空が広がった。日曜日、全ての最終日である。フェスティバルも、デビットサンボーン、ソニーロリンズ等の大御所登場である。相変わらずバルコニーの向こうはのどかなゴルファーの姿である。その色にしっかりと自分が染まったようだ。
朝食後、フェスティバル最終日開催まで、近場の観光チームに参加した。アメリカでは屈指の水族館が近くにあるという。元気はちょっとだけ取り戻してきたようだ。しかし、水族館について海を眺めていたら妙に感傷的になってしまった。子供づれの親子がお弁当を広げてくつろいでいた。子供の顔が頭に浮かんだ。明日は帰れる。そんな気持ちになったのも始めてであった。
大御所の演奏はすごい。やはりすごい。相変わらずフェスティバル会場は人、人、人である。それと暑い。じりじりと汗が出てくる、夜の寒さはどこへいったである。皆最終日を楽しむと言うより、最終日をこなしていた。ここへ来て目標を達成した我々に、彼らのすごいプレーも、耳慣れた心地よいジャズとなっていた。初日にはあれほど感動的だったのに・・・。
最終のサンデーナイトステージまでの間、ホテルに戻る。明日は朝五時の出発であった。サンデーナイトを聴くと荷物をまとめる時間は夕方の今しかないからだ。買い込んだ土産物は、スーツケースの容量を確実にオーバーしていた。スーツケースの上に乗っても閉まらない。良くある話だが、荷物をまとめあげるのに一時間ほど費やした。荷物がまとまってしまうとやはり妙な寂しさがこみ上げてくる。
最後のコンサートへ出発。会場とホテルのこの道のりも最後かと思うとこれも又寂しい。会場で最後の食事をする。少々これらの食べ物もあきてきた。しかし皆と呑むビールは相変わらず旨い。今度は又寒くなってきた。良く身体がついていっていると我ながら感心をする。最後はプロのビッグバンド等の登場だ。やはり上手い。改めて感心する。時間の過ぎるのが速く感じられる。吸い込まれるように聞き入るうち、フィナーレは近ずく。
ファイナル、ソニーロリンズの熱狂プレイ。
いったい何歳なんだろうか、ソニーロリンズのプレーには驚嘆をした。勿論客席は立ち上がり、揺れ動く。ジャズの神髄なのだろう、観客としても堪能できた。これ以上のものは日本では見られない。最後の最後、ソニーロリンズの白熱したプレーは午前零時をまわった。
通い慣れた会場とホテルの道を歩いていた。最後だな。やはり寂しい。夜が明ける頃にはこのモンタレーにはもういない。そう思うとずっしりと寂しさがのしかかってきた。部屋に戻ると、整ったスーツケースが帰るばかりの姿になっている。N川さんが、一杯のみに行こうか。いい発案であると当然賛同をした。普通なかなか考えられない。明朝5時出発であって、今、朝の1時。出発まで4時間しか残っていない。だから私も呑みたかった。古株部屋のS藤、F込さんを誘うことと相成った。寝てるかな?そう言いながら部屋をノックして苦笑した。大きなビールジョッキをバーからテイクアウトして乾杯している。ごゆっくり・・・。ロビーの横にあるバーまで暫く歩く。このモンタレーの静けさも忘れはしない。バーでS藤さん達が呑んでいたと同じ大きさのビールを傾ける。全員参加できて良かった。というN川さんの言葉につくづくきてよかった!
まだ暗い、まだ暗いというかさっきまで呑んでいたというか。早朝のチェックアウトは静かにバスを発車させた。3時間で「想いでのサンフランシスコ」だ。当然のように眠った。気が付いたのはサンフランシスコ国際空港の中であった。余程深い眠りであった。
アメリカとの別れがちかずいてきた。最後に空港で記念撮影。相変わらずである。でもそれも慣れてきた。11時発ソウル行き大韓航空は予定通りであった。ここから12時間の空の人となる。長い!免税ショップでドルを使い果たすかのように皆が買い物をしていた。とうとうその時は来てしまった。
来るときもそうであったが、案外客席には余裕があった。子供っぽいが窓際へ簡単に移動が出来た。感動的に着陸をしたそのサンフランシスコ国際空港から又長い空の旅が始まった。アメリカが、あんなに大きかったアメリカがみるみる小さくなっていく。いつまでも眺めていた。西海岸がどんどんと遠ざかる。いつしか、雲海と化していた。
ウエルカムドリンクを気取らずにビールをもらい一気に呑み干した。又こういう体験が出来るよう何事も頑張ろう。そう思った。皆それぞれの思いを胸に乗っているのだろう。 そして思った。
このツアーが出来たことは
この素晴らしきレアサウンズの仲間に感謝し
日頃お世話になっている、会社の人たちに感謝し
何よりも、この事を良く理解してくれている家族に感謝をする。 と。
数十時間後我々は無事名古屋空港に降り立った。バンマスの締めの言葉に感動をし、F込さんの一本締めでこの旅は終わった。
みんな、本当にありがとう!!!
最後までお読みいただき、本当に有難うございました。
又、このような経験が出来ますよう、仕事に、そして音楽にと
頑張っていきたいと思います。
最後に↓クリックしてやってください!
3曲目当たり、トランペットU山の高音にスピードがない。彼のこの場の存在は大きい。呼吸が聞こえる。彼のトランペットのベルがすっと上向く。アシスト要請である。阿吽の呼吸と言う奴である。それに応える余裕が有った。テュッテーをクリアしていく。これぞ長年共にしたメンバー同士の人間関係かなあ、と何時もこの当たりで思う。曲をこなして行くにつれU山の調子はいつものように戻っていった。スピードが出てきた。絶好調である。観客が異常にうけている。こんなにうけるとは思っていなかったが、うけている。のっている。日本ではとても味わったことのない、客に乗せられているという状況である。すごい。客がすごいと思った。
粋な計らいをして下さった「ビル・ベリー」氏
約40分の持ち時間は四半世紀待った自分には余りにも早かった。しかし待っただけ有った。人生記念すべき7度目のステージは大成功でなだれ込むまま最終曲には入った。我々の最終曲として定番としてきた「プリーチャー」というミディアム4ビートの乗れる曲だ。曲の後半、ビルベリーが徐々に我々の後ろから登場した。観客の反応は早い。言葉では表現できない。最後のハイGの音を吹いている自分が今でも忘れられない。
片づけが始まった。われわれは完全に上気している。よかったよかった。そこへ日本人の声。「最高だよ。最高!」明後日大変お世話になることとなった東京で医者をなされているドクター飯島(熱狂的なジャズファンであり、日本に来る海外ミュージシャンの健康管理をしている関係上、プロのプレーヤーとかなり親しい仲の人である)との出会いであった。ホテルへ戻る足どりは、極めて軽やかであった。こんなに疲れているはずなのに・・。そのまま寝る奴など一人もいなかった。時計は10時をまわっている。社長秘書は宴会場として我々の部屋を提供する旨、メンバーに伝えた。一人二人集まり始めた。皆各部屋の自分のグラスを持っての参加だ。早速今日とったばかりの演奏ビデオ上映である。持ち寄ったウィスキー2本。ルームサービスで頼んだウィスキー2本瞬く間になくなっていく。全員参加出来て本当に良かった。誰かがそんなことを言っていたが、その言葉は何度もチャンスを潰して来ただけに心にしみる言葉であった。酔った。さすがに酔った。
二日酔いは全くない。爽快である。朝の日差しは相変わらず映画のようだ。ただ一つだけ気ががかりがあった。昨夜深夜までさわいでいて周りに迷惑はなかったろうかという懸念である。広大なホテルではあるがその宿泊客の何割かはやはりジャズフェスティバル目当ての滞在宿泊客である。最初にダメージを与えては困る。そんな気持ちのままバルコニーで早朝ゴルフの客を眺めながらタバコを吸った。その時、隣のバルコニーの戸が開いた。「ドキッ」本当にドキッである。どうしよう。初老の婦人は私を見るなりニコッとほほえみ「グッドモーニング」。「グッ、グッドモニング」である。思わず、N川さんに、「隣の人笑っておはようだって!」。「そうか!」。N川さんも又同思いであった。ささやかな安堵である。
金曜日、今日からいよいよジャズフェスティバルの開幕である。出演は明日なので今日は始まるまで、観光とショッピングだ。開幕一日目の今日だけは、夕方からステージが開幕する。午前中だけほんの少しウォーミングアップの為の練習時間を頂いた。昨日余りにも興奮したからか、練習に力がない。皆明日は完全燃焼が出来るという「自信」が有ったように思える。K坂氏の仕立てた観光バスがやってきた。昨夜の演奏で又結束を固めたかの様な仮のミュージシャンの一行は、再び観光客化した。17マイルドライブ。西海岸が手に取るように眺められるドライブコースだ。バスはサンフランシスコの時同様写真タイムをもらいながら進む。写真タイムでだんだん我々もエスカレートしていき、パート別写真だとかと言っては撮る。おい、やっぱりなんか違わないか?
観光客「レア・サウンズ」の図。何故か真中に陣取る私。団体から外れているのはMちゃんとしほ。
カーメルという綺麗な街にてショッピングタイム。この日で実はおみやげ物の8割程の買い物をすることとなった。もっともこのツアー、一般的なショッピングタイムが少ない。まあ当たり前の話ではあるが。汚い話で恐縮だが、実はこの日腹痛におそわれた。比較的慢性に胃腸の弱い私なので、たいして大変なことではなかったのですが、丁度医者になったばかりのH君も居ることだったので彼に相談をしました。日頃では、私が年長なので、H、H、と呼び捨て状態だったのだが、この場に及んではH先生等と妙にへりくだっている自分がそこにいました。彼曰く「どんな症状ですか?」「夜私の部屋に薬取りに来て下さい」・・なんか助かった気持ちでいっぱいでした。そんな彼もメンバーであってくれて嬉しいと思った一瞬であったりくました。でも立場変われば、又、H、H、ですが。
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会場に入り、余りの人の多さに圧倒されました。すごい。朝の通勤ラッシュの如く会場で人が入り乱れます。始まっています。周りの3会場、そうです、昨日熱演をしたそのステージでプロのミュージシャンが白熱のプレーをしているのです。その会場の間をところせましと並ぶ屋台、屋台、屋台の群であります。食べ物屋、飲み物屋は当然のこと、モンタレーグッズの山であります。事前にK坂氏より教わっていたことで、ジャケット類のサイズ物はすぐ完売となるので金曜日に購入した方がよいと言うことで音楽を聴きながら、ビールを呑みながら、ショッピング。正にお祭りです。夜8時、メインアリーナの開幕です。私が見たくて仕方の無かったA・サンバドルというスーパートランペッターの登場です。興奮状態のアリーナは、彼のハイノートにスタンディングオベーションの連続。CDでは聞き取ることの出来ない生のその迫力に酔いしれました。このフェスティバルを毎年のように見に来る客が絶えることなく、メインアリーナの切符は翌年の物は既に売りつくされているような状況だと言うのも理解できることでした。しかし寒い!革ジャンの上に今購入したばかりのジャケットを羽織っても震える。深夜0時頃興奮のステージは幕を閉じた。今日も長い一日が終わった。
今日も目覚めはさわやかである。相変わらずバルコニーの向こうでは優雅にゴルフを楽しむ人の姿があった。いよいよ本番の日である。ちょっと体が緊張している。飛行機の着陸以来だ。朝食後、本番でジョイントしていただくこととなっているボビーシュー氏とのリハーサルが待っていた。ボビーシューというトランペッターと私達は実は3度目の共演となる。実に異例のことではあるが、縁が深い。もっとも私が始めて海外に来ているのだから、以前2回は日本でのこととなる。こんな有名な人と3度も共演が実現するとは夢の又夢のようである。私のミュートには彼のサインが刻まれている。2回目の共演で頂いた物だ。リハーサルは本番を行うナイトクラブにて行われた。ボビーがにこやかに現れた。当然彼も私達とは「再会」と知っての登場であった。トランペットの者だけに握手を求めてきた。嬉しい!
相変わらず彼のトランペットはすごい音をしている。インプロバイズする音が、とめどもなく速い。先から音が速い言う表現をしているが、そう思うのだ。特にここでそう思う。いわゆるスピード感があって完全にジャストフィットしている感じだ。2曲共演することとなっていた。1曲目のリハーサルが終わった。にこやかなボビーの顔にホッとメンバーは安堵する。ハイテンポな2曲目に入る。アルトサックス、I本とボビーのバトルが聴物の曲となる。感心をした。I本が完璧なアドリブをする。彼も又音楽に対する熱意はすごい。2日前、我が部屋での宴会で呑んだくれていたI本とは別人である。こんな奴と一緒にプレイできて良かったと改めて思った。ボビーも又この曲に対してもにこやかに「OK」である。リハーサルは再会を喜ぶかのように見事に終わった。
当日の看板。プロと文字の大きさが一緒!それだけで嬉しい。
本番が刻一刻と迫る。私だけであろうか今度は緊張してきた。何故だろう。悩む方がおかしい。他のプレーが聴き渡る会場の一角で静かにたたずんでいた。ドクター飯島がそこに現れ日本語で激励下さる。すごく嬉しい。安心する。しかしここらあたりの記憶が残念ながら少ない。やはり緊張していたのだろうか。ただただマウスピースを握りしめていたことだけは覚えている。
本番が始まる。ステージに立った。とうとう緊張している自分が現れた。お客さんが見える。どんな演奏をこいつらはするんだろうかと言うような顔をしているように見える。本場のMCによる紹介が始まった。何言っているのか分から無い。この場合はヒヤリングが出来ていない。但し聴こうとする姿勢が私にはない。只、今から始まろうとするこのステージに熱い煮えたぎる物を感じていただけであった。「レアサウンズジャズオーケストラ!」始まった!
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ボビーシューが登場した。昨日のそれと同じく万雷の拍手の嵐であった。曲が進む。我々には余力があった。トランペットが1時間吹いて、余力があるというのも余り今まで経験がない。最後の曲となる、リハーサルで完璧であったI本はそれに輪を掛けたようなプレイをした。我々も余力ありありの音量を放った。
われながらよく撮ったワンショット。ボービーとバトルをしたI本君と「立って」下さったお客様!
終わった。客席が総立ちである。スタンディングオベーションを受けている。「立ってる」誰とも無くそうつぶやいた。大成功なのだろう。たぶんこれは大成功なのだ。何か訳が分からないままステージをおりた。スタッフが拍手をしている。やっぱり大成功なのだ。しかし実感が湧かない!
楽器を片付けている間にも、客がそこに来ては賞賛の言葉を掛けてくれる。でも我々は何か「空」を感じていた。後にN川さんとも話をしていたがこれが完全燃焼って言うやつではないかな。と今思う。がその時は余りそう思わなかった。全て終わった感じの足どりは重い。取りあえずホテルに戻る道のりは、30分にも1時間にも感じた。後の予定はフェスティバルを聴いて帰るだけとなってしまった。ホテルに戻ってシャワーを浴びよう。
N川さんがシャワーを浴びて私が例によってバルコニーでタバコを吸っていると、部屋の電話が鳴った。聞き覚えのある温厚なその声はドクター飯島であった。「よかったよ。よかったよ」日本語の賞賛の声は又ありがたみが違う。聴いていて下さっていたことに感謝申し上げるとこんな有り難い誘いの電話であった。乾杯でもしないかね。良ければ私の知っている寿司屋を紹介してあげるよ。というのだ。急に元気が出てきた私は、これはN川さんの了解を得ずとも是非お願いしたいと、社長秘書は社長決裁を飛び越えて決断を下してしまった。が、社長は、いやバンマスも、全く同じ考えであった。全員の部屋との連絡を開始。社長秘書は忙しい。どうもみんなくたびれ果てていたところで寿司、ビール、日本酒である。ロビーに集合したときは、充足感と、はよ呑みたいと言わんばかりの顔であった。
タクシーは順次スシレストランへと到着した。ドクターの顔もある。嬉しい。キリンビールで乾杯。周りの人たちのビックリしていた顔が印象的である。ここに来て始めて「まあまあ」とビールを注ぎ合った。このツアー発の瓶ビールであった。日本酒も出てきた。何もここまで来て日本酒も無かろうとは思うが。それはそれである。満足が出来ればよいのである。本当に旨い。ドクターの寸評も頂いた。有り難い。本当に有り難い。
ちょっと歳を感じた。宴会の後だ。当然今日土曜日の夜もフェスティバルはやっている。見に行くというメンバー、特に若い者が行くというのだ。時間はまだたっぷりと有った。ただ私はさすがにいく気にはなれず、宴会続行チームに入ることとした。勿論寿司屋で日本酒とつまみを買い込んでだ。S藤さんが宴会部屋の提供をしてくれた。確かによく呑む。旨いから仕方がない。しかし疲れ切った体は正直で、知らぬ間に寝てしまった。
最後まで天気は良かった。朝方ほんの少しもやが出たものの、みるみる青空が広がった。日曜日、全ての最終日である。フェスティバルも、デビットサンボーン、ソニーロリンズ等の大御所登場である。相変わらずバルコニーの向こうはのどかなゴルファーの姿である。その色にしっかりと自分が染まったようだ。
朝食後、フェスティバル最終日開催まで、近場の観光チームに参加した。アメリカでは屈指の水族館が近くにあるという。元気はちょっとだけ取り戻してきたようだ。しかし、水族館について海を眺めていたら妙に感傷的になってしまった。子供づれの親子がお弁当を広げてくつろいでいた。子供の顔が頭に浮かんだ。明日は帰れる。そんな気持ちになったのも始めてであった。
大御所の演奏はすごい。やはりすごい。相変わらずフェスティバル会場は人、人、人である。それと暑い。じりじりと汗が出てくる、夜の寒さはどこへいったである。皆最終日を楽しむと言うより、最終日をこなしていた。ここへ来て目標を達成した我々に、彼らのすごいプレーも、耳慣れた心地よいジャズとなっていた。初日にはあれほど感動的だったのに・・・。
最終のサンデーナイトステージまでの間、ホテルに戻る。明日は朝五時の出発であった。サンデーナイトを聴くと荷物をまとめる時間は夕方の今しかないからだ。買い込んだ土産物は、スーツケースの容量を確実にオーバーしていた。スーツケースの上に乗っても閉まらない。良くある話だが、荷物をまとめあげるのに一時間ほど費やした。荷物がまとまってしまうとやはり妙な寂しさがこみ上げてくる。
最後のコンサートへ出発。会場とホテルのこの道のりも最後かと思うとこれも又寂しい。会場で最後の食事をする。少々これらの食べ物もあきてきた。しかし皆と呑むビールは相変わらず旨い。今度は又寒くなってきた。良く身体がついていっていると我ながら感心をする。最後はプロのビッグバンド等の登場だ。やはり上手い。改めて感心する。時間の過ぎるのが速く感じられる。吸い込まれるように聞き入るうち、フィナーレは近ずく。
ファイナル、ソニーロリンズの熱狂プレイ。
いったい何歳なんだろうか、ソニーロリンズのプレーには驚嘆をした。勿論客席は立ち上がり、揺れ動く。ジャズの神髄なのだろう、観客としても堪能できた。これ以上のものは日本では見られない。最後の最後、ソニーロリンズの白熱したプレーは午前零時をまわった。
通い慣れた会場とホテルの道を歩いていた。最後だな。やはり寂しい。夜が明ける頃にはこのモンタレーにはもういない。そう思うとずっしりと寂しさがのしかかってきた。部屋に戻ると、整ったスーツケースが帰るばかりの姿になっている。N川さんが、一杯のみに行こうか。いい発案であると当然賛同をした。普通なかなか考えられない。明朝5時出発であって、今、朝の1時。出発まで4時間しか残っていない。だから私も呑みたかった。古株部屋のS藤、F込さんを誘うことと相成った。寝てるかな?そう言いながら部屋をノックして苦笑した。大きなビールジョッキをバーからテイクアウトして乾杯している。ごゆっくり・・・。ロビーの横にあるバーまで暫く歩く。このモンタレーの静けさも忘れはしない。バーでS藤さん達が呑んでいたと同じ大きさのビールを傾ける。全員参加できて良かった。というN川さんの言葉につくづくきてよかった!
まだ暗い、まだ暗いというかさっきまで呑んでいたというか。早朝のチェックアウトは静かにバスを発車させた。3時間で「想いでのサンフランシスコ」だ。当然のように眠った。気が付いたのはサンフランシスコ国際空港の中であった。余程深い眠りであった。
アメリカとの別れがちかずいてきた。最後に空港で記念撮影。相変わらずである。でもそれも慣れてきた。11時発ソウル行き大韓航空は予定通りであった。ここから12時間の空の人となる。長い!免税ショップでドルを使い果たすかのように皆が買い物をしていた。とうとうその時は来てしまった。
来るときもそうであったが、案外客席には余裕があった。子供っぽいが窓際へ簡単に移動が出来た。感動的に着陸をしたそのサンフランシスコ国際空港から又長い空の旅が始まった。アメリカが、あんなに大きかったアメリカがみるみる小さくなっていく。いつまでも眺めていた。西海岸がどんどんと遠ざかる。いつしか、雲海と化していた。
ウエルカムドリンクを気取らずにビールをもらい一気に呑み干した。又こういう体験が出来るよう何事も頑張ろう。そう思った。皆それぞれの思いを胸に乗っているのだろう。 そして思った。
このツアーが出来たことは
この素晴らしきレアサウンズの仲間に感謝し
日頃お世話になっている、会社の人たちに感謝し
何よりも、この事を良く理解してくれている家族に感謝をする。 と。
数十時間後我々は無事名古屋空港に降り立った。バンマスの締めの言葉に感動をし、F込さんの一本締めでこの旅は終わった。
みんな、本当にありがとう!!!
最後までお読みいただき、本当に有難うございました。
又、このような経験が出来ますよう、仕事に、そして音楽にと
頑張っていきたいと思います。
最後に↓クリックしてやってください!
明日読みます。
おやすみなさい。
案外、まじめに書いてますね。感心感心。
また行こうね。
そういえば、私はO地さんと一緒の部屋でしたね。
思いました。臨場感もあるとてもすばらしいレポ
ありがとうございます。
なにもかも忘れて、どーん!と、こういった
すばらしい仲間とすばらしい演奏旅行に行って
みたいなあと思いました。
現実は厳しいですが。。。
お忙しい中、恐縮です。
そのうち読んでやってください。
デビルさま
読破いただき恐縮です。
ネットでこれだけ文字が並ぶと、
多分うんざりでしょうね・・・。
しかし、O地さんと同室でしたか!
彼は当時喫煙者では?・・
・・・もっとも私も喫煙者でしたが。。。
10年という月日は、明らかに時代が変わっていますね。
ジャイアンくん
よくぞこのな文章を読破くださいました。
「ごくろうさまでした!」
2007年版が書きたかったんだけどね・・。
近いうちに実現したいですね。
今のメンバーで!
時代は本当に様変わりですね。自分の心の中は、時代と共にほとんど変わっていないのですが、周り(他人)から見た自分への見方、自分から見た周り(他人)への見方は色々な(良い・悪い)体験を通じて変化しているように思います。
明らかに人を変化させています。
現にレアサウンズだけ眺めてみても、
結構な変貌ですよ。
だからこそ、今の一時一時、
ワンステージ・ワンステージを大切に
していかないといけませんね。