未だこのシリーズは残っていたという事で、
学生時代の演奏の思い出その17。
昨日のザ・ピーナッツさんのコメントでも有った
高橋達也さん率いる東京ユニオンさんとの話。
高橋達也さんと言えば、
我が愛知県社会人ビッグバンドの顧問的存在として
大変お世話になったジャズ界の重鎮でいらしたが、
彼が率いていた東京ユニオンさんとの共演の実績が
なんとこんな私には有るという贅沢なお話なのだ。
当時、プロのビッグバンドが全盛の頃、
その中でも我々の憧れであった東京ユニオンさん。
高橋さんには以前酒の場でバンド運営のお話や
ここのリードラッパの方の話を伺った記録が残るが、
なんせ私にとって初めての対面は学生時代に遡る。
今は無い愛知厚生年金会館の大ホールであったが、
ステージ上手と下手に二つのビックバンドが乗って、
それぞれが演奏をした後同時に演奏を数曲した記憶。
細かな選曲までは覚えていないし、
なんせ、必死以外の何物でもなかった覚えだが、
当然ユニオンさんが演奏をされるとの事で客席満員。
今の世では考えられない熱気に包まれていた記憶だ。
本当に学生時代は色々辛い事も多かったが、
こんな経験をさせて頂き幸せな時だったと実感する。
写真は2006年レアサウンズが高橋さんと共演した際の物。
二つのビッグバンド共演と言うと、
実は人生でもう一度だけそんなステージを経験した。
それは、32年前の自分の結婚式二次会の事である。
レアサウンズジャズオーケストラと、
大阪、グローバルジャズオーケストラさんの共演。
今思うとそれもとてつもなく贅沢な話。
まさにバブル真っ盛りの出来事でもあった。
その節は皆さまお世話になりました。
このシリーズ、
コロナ禍で話題が少ないので始めたけれども、
17回も数えてもまだまだ落ち着かないもどかしさ。
ただ、この今が日常になってしまっているのか。
何となく複雑な気持ちが晴れないのである。
学生時代の演奏の思い出その17。
昨日のザ・ピーナッツさんのコメントでも有った
高橋達也さん率いる東京ユニオンさんとの話。
高橋達也さんと言えば、
我が愛知県社会人ビッグバンドの顧問的存在として
大変お世話になったジャズ界の重鎮でいらしたが、
彼が率いていた東京ユニオンさんとの共演の実績が
なんとこんな私には有るという贅沢なお話なのだ。
当時、プロのビッグバンドが全盛の頃、
その中でも我々の憧れであった東京ユニオンさん。
高橋さんには以前酒の場でバンド運営のお話や
ここのリードラッパの方の話を伺った記録が残るが、
なんせ私にとって初めての対面は学生時代に遡る。
今は無い愛知厚生年金会館の大ホールであったが、
ステージ上手と下手に二つのビックバンドが乗って、
それぞれが演奏をした後同時に演奏を数曲した記憶。
細かな選曲までは覚えていないし、
なんせ、必死以外の何物でもなかった覚えだが、
当然ユニオンさんが演奏をされるとの事で客席満員。
今の世では考えられない熱気に包まれていた記憶だ。
本当に学生時代は色々辛い事も多かったが、
こんな経験をさせて頂き幸せな時だったと実感する。
写真は2006年レアサウンズが高橋さんと共演した際の物。
二つのビッグバンド共演と言うと、
実は人生でもう一度だけそんなステージを経験した。
それは、32年前の自分の結婚式二次会の事である。
レアサウンズジャズオーケストラと、
大阪、グローバルジャズオーケストラさんの共演。
今思うとそれもとてつもなく贅沢な話。
まさにバブル真っ盛りの出来事でもあった。
その節は皆さまお世話になりました。
このシリーズ、
コロナ禍で話題が少ないので始めたけれども、
17回も数えてもまだまだ落ち着かないもどかしさ。
ただ、この今が日常になってしまっているのか。
何となく複雑な気持ちが晴れないのである。
高橋さんが、負けたよ!ってFさんに、言ったとか、言わなかったとか…
そんな話が伝わっています。
もっとも私はC年3番ラッパの時代。
凄腕の先輩たちが頑張っておられた評価ですね。