これはアースランのセスタス「東雲 千尋(しののめ ちひろ)」のお話です。
アースランは仮の種族で、本当は地球からアトランディアに飛ばされて来た日本人という設定。
詳細のSSは今、執筆中ですが、長くなり収拾付かなくなって来たので、コメディの方を先に上げます。
世界樹の迷宮5の設定をそのまま使用していますので、ご存知ない方には優しくないと思います。
予めご了承頂けたらと思います。グラ絵は同じカテゴリ「世界樹の迷宮5」の中にありますので、
宜しければ参考にして頂けたらと思います。
大丈夫な方のみ、下へスクロールして↓↓↓↓↓御覧下さい。あ~楽しかった。
<それだけは譲れません>
ある朝。ジェネッタの宿の一階にある食堂はいつもと違う喧噪に包まれていた。
元々平均年齢が低いヴァランシェルドのメンバー達は、興味津々に軽口を叩きながら卓に着いた千尋に群がっている。
当の本人は皆から凝視され、耳まで真っ赤にして俯いていた。
やがて皆の熱い視線に耐え切れなくなったのか、顔を両腕で隠してテーブルに突っ伏してしまう。
咄嗟に不満な声が上がる。皆、頬を紅潮させ興奮しているようだ。
「ね~え~、もう一回ちゃんと見せてよ、ちひろ~~」
「そうよぉ、成人前にしか見えない可愛い顔、みんなに見せなさいよぉ」
「減るモンじゃあるまいし、さっさと見せるのじゃ、千尋」
顔を隠してしまった千尋に、抗議の声はほぼ女性陣からのモノだった。
遠巻きから見ていた男性陣も、ちゃっかり眼福しているのは同じようだった。
千尋は今朝も、朝が早い二人より少し遅く起きて、狭い洗面所で一人、顎鬚の手入れをしていた。
ヴィクターとジェラールが朝の鍛錬から戻って来れば、シャワーを浴び、洗面所で整容したいだろう。
だから自分は先に身なりを整えておくのが朝の仕事だと思っている。その後、入れ替わるように千尋も朝の鍛錬へ出て行くのだ。
元々顎鬚など、千尋の容姿からして不要だと家族に散々反対はされたし、姉妹達などそれ以上髭を増やしたら問答無用で剃るからねと半ば恐喝紛いの事まで言われていたが、千尋は髭を伸ばす事は止めなかった。
この世界にはT字剃刀などない。慣れない折り畳みの大振りな剃刀で整えるのに毎朝苦労する。
『髭が無いと……貫禄無いからイヤなんだよな……』
剃刀で髭を整えながら千尋は一人ぼやく。貫禄どころか、童顔で、寧ろ女顔なのである。
身長も高校生頃に少し伸びて177㎝にはなったものの、兄弟達は皆190㎝前後だし、姉妹達もヒールを履かれてしまうと身長を超されてしまう。
小柄ではないと自分では思っていたものの、顔はどうしようも無い。
せめて男らしくと髭を伸ばしてみたら、少しはマシになったと思い込んでいたのだ。それが何故こうなった。
「ちぃ、おはよう。洗面所にいるのかい」
少し考え事をしていたのか、ジェラール達が帰って来てしまったようだ。
返事をしようとしたのと、洗面所のドアが内側しか開かない為、開けられたら危ないと思い振り返ろうとしたのを、焦って同時に行おうとしてしまった。
その結果、剃られた感覚が顎に走り、千尋は声にならない悲鳴を上げた。
恐る恐る鏡を見返すと、卵型で男らしくないラインの顎には見事に何も無くなっていたのである。
返事のない千尋にジェラールは不審に思い、控えめに洗面所のドアを叩いた。
鎧や籠手を外しながらヴィクターも眉を潜めている。
暫くして洗面所のドアが開くと涙目になって顔半分を蒸しタオルで覆った千尋が出て来た。
焦ったのは二人だ。鍛錬に行っただけの小一時間の間に何が遭ったと言うのか、二人の目が剣呑に見開かれるのを見て、今度は千尋が焦る。
声も無く首を必死にぶんぶんと横に振ると、渋りながらも顔半分を覆っていたタオルを下ろして、子供のように唇を尖らせた。
「ヒゲ、間違い、剃った」
髪の毛もまだ結っていない状態で、顎鬚の無くなった千尋が不安そうに二人を見上げて来た。
因みにジェラールは182㎝、ヴィクターは191㎝の長身である。
その愛らしさに二人して「あぁ、もう世界樹滅べ」と思ってしまったのも仕方無い事だとギルドメンバーは皆思うだろう。
そして冒頭に戻るのである。
「髭なんてすぐ伸びるのだから、気にしなくていいと思いますよ」
「そうだそうだ。俺なんて髪がほぼ銀だから生えてても誰も気付かないんだぞ。それよかいいだろう」
ロビンとユキフサが取り繕うように慰めるが、涙目で顔を上げた千尋の顔を見て、一瞬呻いて硬直すると緩慢に目を逸らした。
何故か頬を染め、嫌な汗を掻いている。千尋は益々剥れてしまった。
今の千尋の容姿は目の毒だった。老若男女問わず魅了されてしまう悪魔的な何かのようだ。
非常に不味い。ヴィクターも頭を抱えている。
シェラザードが仕方無いなぁと言いながらリズベットとピアニーに予備のゴスロリの服が無いか聴いているのは聴かなかった事にして、ココアロッカが上半身裸だと不味いよねぇと自分の服の予備を探してくれているようだ。
確かに千尋はセスタスなので、世界樹の迷宮に探索に入れば、セスタスの服を着る事になる。
男性用のセスタスの防具は皆下半身のみなのだ。籠手やグローブはあるが、上半身はつまり裸なのだ。
これは流石にギルド壊滅の危機だなとヴィクターは冷静に判断していた。
男性ホルモンの関係で体毛の生える速さは違うと聴くが、体毛の薄い千尋は、髭が生えるのも恐らく遅いだろう。嘆かわしい事だ。
「ちぃ、私のタンクトップ貸してあげるから戦闘の時はこれ、着るのよ」
ココアロッカが自分のスペアの服を千尋に渡すと、千尋は訳が分からずきょとんとして取り敢えずお礼を言っているようだった。
他ギルドメンバーは生暖かい眼差しで(確かに戦闘中に、あれは無いな…)(全然集中出来ないな、確かに無いな…)と視線だけで会話をしていた。
受け取る際に顔を上げた千尋を取り囲んでリズベットとピアニー、ハナミカヅキが喜んで手を繋いで周囲を回り、かごめかごめのように周りを回り遊び始めた。
千尋は訳も分からず半泣きで頭の上に大きな疑問符を浮かべながら、その場で動けず硬直している。
そんなに虐めてやるなとヴィクターが助け船を出す頃、ジェネッタが朝食が出来たと皆に声を掛けて来たのは、ほぼ同時だった。
世界樹の迷宮の探索中。ヴィクター達第一線パーティは無事戦闘を終え、休憩が出来る焚火の場所まで戻って来ていたが、各々食事を摂りながら、大きく溜息を吐いた。
(あれは無い)
(あれは無いな…)
(でも普通のちぃの服じゃ戦闘中必ず破れちゃうもん、仕方無いよ)
(あのチラ見せよかマシじゃないのか、俺が金を出すから普通の服にしてくれって言ってくれよ)
(誰が言うんですか。胸や腹のチラ見せが性的だから着替えてくれって千尋さんに言うんですか)
(言えねえな)
(泣くな)
(確実に泣いちゃうじゃない)
ヴァランシェルドの第一線パーティは視線だけで会話が可能な程、鍛錬されていた。
今回は、ユキフサ、ココアロッカ、千尋、ヴィクター、ロビンの5人パーティだ。
ジェネッタの宿にはヴァランシェルド以外にも沢山のギルドが宿泊している。
弱小ギルドは、ほぼ皆が2~3人、多くて4人で一室の宿泊をしているので、その分宿泊客が多い。
それを三姉妹と少数の手伝いだけで賄っているのだから、ジェネッタはあれはあれで有能なのかもしれない。
そんな宿なので、朝食を摂っている際、案の定問題が発生した。
「おぉ、お前、ヴァランシェルドのちひろなのか。へぇ。髭無いとエライ美人になるんだな」
「え。マジか、ちょっ、元々可愛い顔なのに凄さが増すなちひろ~」
食堂で顔を合わす程度の他ギルドのメンバーが同じく朝食を摂りに、階下に降りて来て早々、顎鬚が無い千尋を発見してしまった。
人見知りが激しいが、元々優しい性格の千尋である。
簡単な挨拶くらいは交わしていた為、向こうはすっかり千尋を仲のいい知り合いだと思い込んでいたので容赦がない。
「どんな心境の変化だよ、何だ、好きな奴でも出来たのか」
「そんな幸運な奴はどいつなんだ。俺にも紹介してくれよ」
その場にいた冒険者達に悪気は無いのは分かっているし、他意も無い。軽い冗談なのだ。
それを簡単に流さなければならないのに、千尋は今、そんな心境では無かった。
両親も家族も、男っぽくしろとか、女性蔑視の発言をする者など一人も居なかったが、兄弟の中でも小さい方だった千尋は、常に男らしさを意識する羽目になった。
武道をやったのも顎髭を伸ばすようになったのも、男らしい、年相応の貫禄が欲しかったからだ。
それなのに、髭が無くなっただけで、こんなにも可愛いを連呼される程、自分は女々しいのか。
否、こんな事を考えている時点で男らしくないのかもしれないと考えるが、無理だった。
「早くオーダーしないと朝の卵が無くなってしまうぞ」
ヴィクターがさり気無く会話を遮った。千尋がはっと顔を上げヴィクターを見る。
冒険者達は朝食を摂り損ねる訳には行かず、急いでジェネッタ達の居るカウンターに押し寄せて行った。
それを見遣り安堵した千尋はヴィクターに顔を引き寄せられた。逞しい肩に凭れ掛かるがびくともしない。
「お前、今日から髭が伸びるまで常に第一線な。此処よりマシだろう」
そういう訳で千尋は第一線で戦闘に参加し続けている訳だが、今度はパーティに参加しているメンバーが疲労の一途を辿っていた。
精神的に限界が近い。色んな意味で死にそうである。
唯一の女性メンバーのココアロッカが気の毒そうに男性陣を見下ろしながら食材でデザートを作っている。
食べなきゃ遣って居られない気もするので、食材全部使い切って宴会でもしようかとヴィクターさえ自暴自棄になる。
宿に残せば心配で探索どころじゃない、共に探索に出れば心身共に気が気じゃない。
上着が捲れる度に、戦闘そっちのけで直しに行きたい衝動に駆られ、敵に攻撃されるを繰り返す。パーティは疲労困憊していた。
「あ、そだそだ。私、この前、街で面白いもの見付けたから、これを付けて貰えばいいんじゃない」
ココアロッカが調理を終え、パンケーキなどのデザートを人数分皿に盛り付けた後、腰に取り付けたポーチの中から油紙の包みを取り出した。
壊れ易いのか慎重にそれを拡げる。しかし、中にあったのは、予想もしない代物。
三人の男性陣は飲んでいたハーブティーを盛大に吹いた。汚い。
冒険者としての瞬発力で辛うじて食材には掛けなかったようだ。其処等辺だけ熟練はしている。
「ちひろ~これ、付けてみなよ。男っぷりが上がるわよ、きっと」
伸びやかなココアロッカの声に、一人肉を焼く準備をしていた千尋は、嬉しそうに顔を上げた。
火の管理をロビンが代わり、いそいそとココアロッカの許にやって来る。
渡された代物に、笑いが込み上げて来たようだったが、嬉しかったのか礼を言い、早速着けて皆を多いに笑わせたのだが、ヴィクターはそんな千尋を無表情のまま凝視していた。
ココアロッカが渡したのは、口の周りを覆うサンタのような口髭だった。
耳の下のもみ上げから顎にまで掛かる千尋の髪色に似た薄茶の口髭。
少し紫がかっているのは、手先が器用な誰かが細工してやったのかもしれない。
少し無骨になり過ぎる気もするが、結構似合っていた。
これで戦闘に集中出来るとユキフサもロビンも安心して笑い観ていたが、ヴィクターが徐に千尋の顔を両手で挟み込むと、無理矢理薄い糊でくっ付いていた付け髭を勢い良く剥がしてしまう。
『あにふんだよぉ、びっふ~』
口周りの痛みでつい涙目のまま、日本語で抗議する千尋だったが、ヴィクターの身体から真っ黒な憤怒が立ち上っているのを見て硬直してしまう。
ユキフサもロビンも、付け髭を渡したココアロッカも「あ~あ」と目を細め天を仰いだ。
どうやら、千尋の堅物の保護者の怒りを買ってしまったらしい。
「そんな髭なんぞ駄目だ!顎に少し生やすだけ!それだけは絶対に譲れないからな!」
アトランディアの精鋭、期待のルーキー、冒険者ギルド期待の星、ヴァランシェルドのギルドマスターは、若くて強くて逞しく、冷静沈着で美しい。
マスターの中のマスターと街ではかなり有名ではあるが、メンバーは知っている。
そんなヴィクターも、彼の愛する弟と年上の外来者にだけは砂糖漬けの果実よりも盲目な程に甘い事を。
そして千尋は顎鬚が生え揃うまで、ヴィクターの監視下へ置かれる羽目になったのだった。
<了>
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そう言えば千尋のグラ絵は顎鬚付だったと気付き。
お父さんは気が気ではありません。