天候よし、海況よし・・のサイパン♪
・・・まもなく・・・(閑散期)「辛い10月」終了♪
そんな今週末は、サイパンのあちこちで様々なイベントが開催されているようで。
「サイパン・日本人会」主催の「秋祭り・香取神社100周年」お祭り♪
・・・私の家族も中心メンバーで参加している模様。
・・・帰宅してみれば、自宅マンション前のビーチでローカルがイベント。
「スピーカーを並べコンサートしつつ、ビーチで激しく巨大な焚き火」。
「サウンド・システム」
・・・のつもりなのか
・・・でも、恐ろしいくらいにショボイ♪・・・火の勢いは凄いけど。
小規模で・・なんか・・歌って盛り上がってます♪
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「大日本帝国 海軍戦艦・香取」
第一次世界大戦中の大正3年(1914年)10月14日、
大日本帝国海軍の戦艦「香取」はドイツ領であったサイパンを占領した。
その際、ドイツ軍の望楼があった小山に小祠を建てて、
軍艦香取内に祀られていた香取神宮の分霊(祭神 経津主神)を分祀して「香取神社」とし、
その山を香取山と命名した。大正5年、台風により小祠が破壊されたため、香取山中腹に社殿を造営し遷座した。
その後、サイパン島での製糖事業が軌道に乗り、在留日本人の数も増えてきた。
そこで、サイパンの開発を行った南洋興発の社長で「砂糖王」と呼ばれた松江春次は、
香取神社では規模が小さいので新たに大規模な社殿を造営することとした。
さらに、この神社をサイパン島だけでなく南洋群島全体の守護神とすることを南洋庁に提案したが、
南洋庁では本庁所在地のパラオに南洋群島総鎮守(後の南洋神社)を創建することを考えていたので
これは許可されなかった。昭和6年(1931年)10月24日、現在地に新社殿が竣工して、香取神社を遷座し、
さらに天照大神・大国主命を合祀、社名を「彩帆神社」(サイパン神社)とした。
第二次世界大戦の際、サイパンは激戦地となり、1944年に社殿を焼失し、そのまま終戦を迎えた。
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