重要文化財『札幌農学校第2農場』は北海道大学構内にあります。
明治9年(1876)にあの「少年よ、大志を抱け」の名言で有名なW.S.クラーク博士が提唱した、北海道開拓の模範農場として発足。
「模範的畜舎」を意味する『モデルバーン』とも呼称されるこの施設。
1.北海道畜産発祥の地であり、洋式農場普及の原点になった事
2.明治初期、日本最古の洋式農業建築である事
北海道だけではなく日本全国の農業の新たな礎として切り開いた大変貴重な施設であり、国の重要文化財として指定されました。
当時、ここでは主に沢山のホルスタイン種(牛)を飼育し、長らく続いた血統種の存在により北海道の酪農を支えたという、極めて優秀な牛さん達が活躍していたみたいです。
[牧牛舎]
旧名称:東北帝国大学農科大学第2農場 牧牛舎
建築年:明治42(1909)
構造:木造平屋
その牛さん達の家。こんな牧歌的な風景が札幌にはあるんです。当時の面影が綺麗に残ってる。
45度はありそうな急勾配の赤い切妻屋根の迫力、シンメトリー(左右対称)なシンプルな形態。
旧い建築って素材が密に連なるように構成されているのがファサード(外観)から伺えるから、遠くから見てもその密な陰影や色合いで味に変わる。
[北大第二農場産室・追込所及び耕馬舎]
旧名称:札幌農学校農校園模範家畜房
建築年:明治10(1877)
構造:木造2階建
設計:W.ホイーラー・開拓使工業局営繕課(安達喜幸)
こちらは牛に変わって耕馬の家。内部は牛舎とは違って、馬1頭1頭のために仕切りが設けられている事。
農耕の知識は無いのでわからないけど、素人でもそういう違いを発見出来る事でなんだか向き合えている気がする。
ちょっと、写真がこれしかなくてすいません・・
[穀物庫(右)]
旧名称:札幌農学校玉蜀黍庫
建築年:明治12(1879)
構造:木造2階建
設計W.ブルックス・開拓使工業局営繕課
[収穫室及び脱ぷ室]
旧名称:東北帝国大学農科大学第二農場収穫室及び脱ぷ室
建築年:明治44(1911)
構造:木造平屋一部二階建
建築年からわかるように、[収穫室及び脱ぷ室]は増築されたもの。
しかし構造や意匠にもほぼ違いが見られず、統一した造りであり、中央の小さな渡り廊下のようなモノで連結されています。
ちなみに[収穫室及び脱ぷ室]は高床式であり‘鼠返し’も装備!歴史の教科書に出てくる弥生時代の高床式倉庫を思わせる、木造食料倉庫建築の基本が施されています。
アメリカ建築から伝来したバルーンフレーム構造やツーバイフォーが取り入れられた、当時北海道で流行した造りがよく見受けられます。
札幌では観光地でいえば[札幌時計台]や[北大植物園内の建築群]なんかで見られる構造です。
是非とも見て、記憶してみてください!
近くに寄って手で見て触れて、色んな建築を色んな視点で見て、発見していこう。
やがて北大のこの模範農場は大学の拡大と都市化の影響によって縮小を余儀なくされ、昭和42年(1967)年に隣接地に移転し、畜産研究の役目を終えたらしい。
文明化の連続で何かを失う。東京タワーが完成したのが1960年だから、あの某三丁目の映画を観たあなたならそれがどんな時代だったかわかるはず。
アナログからデジタルへと変わっていく時代の最中、このような農業がどんどん失われつつあり、札幌は今は日本を代表する都市。
当時開拓期の人々は札幌の発展に尽力したけれど、2012年のこの札幌を見たとしたら一体何を思うのだろう。
■モデルバーン-札幌農学校第二農場-
所在地:札幌市北18条西8丁目北海道大学第二農場内
※参考「札幌の建築探訪」「北海道大学総合博物館パンフレット」
明治9年(1876)にあの「少年よ、大志を抱け」の名言で有名なW.S.クラーク博士が提唱した、北海道開拓の模範農場として発足。
「模範的畜舎」を意味する『モデルバーン』とも呼称されるこの施設。
1.北海道畜産発祥の地であり、洋式農場普及の原点になった事
2.明治初期、日本最古の洋式農業建築である事
北海道だけではなく日本全国の農業の新たな礎として切り開いた大変貴重な施設であり、国の重要文化財として指定されました。
当時、ここでは主に沢山のホルスタイン種(牛)を飼育し、長らく続いた血統種の存在により北海道の酪農を支えたという、極めて優秀な牛さん達が活躍していたみたいです。
[牧牛舎]
旧名称:東北帝国大学農科大学第2農場 牧牛舎
建築年:明治42(1909)
構造:木造平屋
その牛さん達の家。こんな牧歌的な風景が札幌にはあるんです。当時の面影が綺麗に残ってる。
45度はありそうな急勾配の赤い切妻屋根の迫力、シンメトリー(左右対称)なシンプルな形態。
旧い建築って素材が密に連なるように構成されているのがファサード(外観)から伺えるから、遠くから見てもその密な陰影や色合いで味に変わる。
[北大第二農場産室・追込所及び耕馬舎]
旧名称:札幌農学校農校園模範家畜房
建築年:明治10(1877)
構造:木造2階建
設計:W.ホイーラー・開拓使工業局営繕課(安達喜幸)
こちらは牛に変わって耕馬の家。内部は牛舎とは違って、馬1頭1頭のために仕切りが設けられている事。
農耕の知識は無いのでわからないけど、素人でもそういう違いを発見出来る事でなんだか向き合えている気がする。
ちょっと、写真がこれしかなくてすいません・・
[穀物庫(右)]
旧名称:札幌農学校玉蜀黍庫
建築年:明治12(1879)
構造:木造2階建
設計W.ブルックス・開拓使工業局営繕課
[収穫室及び脱ぷ室]
旧名称:東北帝国大学農科大学第二農場収穫室及び脱ぷ室
建築年:明治44(1911)
構造:木造平屋一部二階建
建築年からわかるように、[収穫室及び脱ぷ室]は増築されたもの。
しかし構造や意匠にもほぼ違いが見られず、統一した造りであり、中央の小さな渡り廊下のようなモノで連結されています。
ちなみに[収穫室及び脱ぷ室]は高床式であり‘鼠返し’も装備!歴史の教科書に出てくる弥生時代の高床式倉庫を思わせる、木造食料倉庫建築の基本が施されています。
アメリカ建築から伝来したバルーンフレーム構造やツーバイフォーが取り入れられた、当時北海道で流行した造りがよく見受けられます。
札幌では観光地でいえば[札幌時計台]や[北大植物園内の建築群]なんかで見られる構造です。
是非とも見て、記憶してみてください!
近くに寄って手で見て触れて、色んな建築を色んな視点で見て、発見していこう。
やがて北大のこの模範農場は大学の拡大と都市化の影響によって縮小を余儀なくされ、昭和42年(1967)年に隣接地に移転し、畜産研究の役目を終えたらしい。
文明化の連続で何かを失う。東京タワーが完成したのが1960年だから、あの某三丁目の映画を観たあなたならそれがどんな時代だったかわかるはず。
アナログからデジタルへと変わっていく時代の最中、このような農業がどんどん失われつつあり、札幌は今は日本を代表する都市。
当時開拓期の人々は札幌の発展に尽力したけれど、2012年のこの札幌を見たとしたら一体何を思うのだろう。
■モデルバーン-札幌農学校第二農場-
所在地:札幌市北18条西8丁目北海道大学第二農場内
※参考「札幌の建築探訪」「北海道大学総合博物館パンフレット」