自分が建築を志すようになったのはどうしてか。
何年もブログを書き続けてきた中で何度も何度も書いてきたけど、今、また書こうと思う。
そもそもモノ創りをするのが小さい頃から好きだった。
母方の、田舎に住んでた中1の時に死んだじいちゃん。農家をやってた。
一緒にいも掘りをしたり、ニンジンを引っこ抜いたり、汗かいたら美味しいスイカを食べさせてくれたり……
野菜も果物も絶品の味で、特にトウモロコシの味が大好きだった。
若い頃から耳を悪くして、戦争ではそれが原因で内地勤務だったと母から聞いている。
穏やかで優しくて、何処か気品があって、人に信頼されるじいちゃん。
葬式の時の参列者のと涙の数が、その人柄を表していた。
人に愛されるじいちゃん。すごく尊敬される人。
農作だけでなく、手の器用な所も大好きだった。
小屋の大量の木材でオリジナルの家具を創ったり、冬には犬ぞりを創って、母が子供の頃よく乗ったという。
馬から山羊から犬まで、沢山動物を飼っていた。
じいちゃん家に行く度に、集めておいてくれた段ボールやティッシュの空き箱を使って一緒に工作をして遊んでくれた。幼稚園の頃だったかな…
ミニカースケールでのトンネル状の車庫を創ってくれた記憶しかないけど、それがすごく魅力的だった。
何でも組み立ててしまうじいちゃんはヒーローでした。
小学校2年くらいのときに、大好きなレゴブロックの“城”を買ってもらった。
レゴ史上最も高いと思われる。
当時、自分達の間ではレゴブロックがすごく流行っていて、毎日のように小学校の友達が沢山、レゴブロックをしに家に遊びに来てた。
じいちゃんに買ってもらった“城”を皆が羨ましそうに見ながらw
毎日組んではバラして、組んではバラして…
毎日オリジナルの街や城…
ドラクエの世界観みたいな城下町を創るのが好きで、宿屋や武器屋や教会等をいつも創ってた。
誕生日プレゼントはレゴ。クリスマスもレゴ。お年玉でもレゴ。
建物を創って、そこにわずか3~4cmくらいしかない人間たちに剣や銃を持たせたりして、ジオラマ風に戦争ごっこさせるのが好きw
こんな風に、いつか本当の建物を創ってみたいな… と思った小学校高学年。
図工で“自分の家”をテーマにした授業がそのときあって、段ボールや紙を駆使して出来た作品…
皆はリカちゃんやシルバニアファミリーのような“ドールハウス風”が多くて、一部屋にインテリアや小物を創って、すごく芸が細かくて、皆の作品みてる時の自分のワクワクドキドキに気づいた。
自分はまさに“レゴブロック×ドラクエ風”の作品で、空から見上げた平面図のように、屋根を廃し、完全に間取りにこだわった広い広い家だった。
立体感は無いんだけど、間取りっぽい造りを正に今こうしてこの手で描けるようになってるとはw
絵を描くのも好きで、ポケモンとかキャラクターものを最らノートに模写(トレース)ばかりしてたが、図工の写生会ではいつも入賞・入選や通知表の表紙の常連だった。
細かい風景画を描くのが得意らしく、景色に彩る住宅や橋の方についつい力を入れすぎて、真っ直ぐな線の嵐w
細かいものを描く楽しさ、あの完成した時の密な集合体がたまらない!
そんな絵をじいちゃん達に見せると、いつも喜んで誉めてくれた。
工作や芸術が得意なのはK子(母)に似てるってww
小学生の頃は楽しかった!
夏休みや冬休みの自由研究も大体は木材で工作か、絵画の嵐だ。
中1になってじいちゃんが亡くなって、自分はまだ若かった(?)からか死に対する実感ってのが沸かなかったけど、今思うと物凄く悲しくて、もっと話がしたかったし、もっと自分の作品を見て貰いたかったなぁ。
工作にレゴや絵画を通して色んな人を楽しませ、喜ばせてきた。
無我夢中になれるあの時間はどんなに難しく、考え事になっても楽しくて楽しくてたまらなかった。
そういうのを続けたい。建築。そしたら本当の建物だって。
それしかない。自然とそう、それしか出なかった。瞬時に、一瞬にして。
中学頃になると自分の将来像に問いかける時間が増える。
将来の夢…建築
高校普通科の理系クラスを渡り、建築関係の専門学校へ。
毎日の学校生活が初めて出会う小さな世界の連続。
小さな世界が集まって、建築になるんだし。
だから、どんな些細でも色んな世界を見ていけたら、建築にもっと近づける。
世界に広がる無数のインプット達を感じて、それら生き方を身に染み込ませる。
カメラで捉え、映画で見つけ、音楽で感じ、本で思う。
全部シャッフルしてもまた新しい視点で、世界観が広がる。
人を喜ばせる建築。一見建築とはそんな当たり前なことだけど、志す以上、普通の人より建築に一歩進んだプロになるのだから、その舞台に立てる喜びを今、感じている。
じいちゃんがいてくれたからだ。
じいちゃんに俺の建築を見てもらいたい。
「困ってる人がいたら助けてあげなさい。喜ばせてあげなさい。」
被災地の姿に絶望した。
家が流され全てを奪い、人々をもみくちゃにして、未来を壊した。
絶望と悲しみの生活空間に、時たま彩られる、世界からの優しさ。
その優しさを少しでも感じて貰える場……住環境という“器”を、じいちゃんに作品を見せた時みたいに喜んでもらいたい。
建築は人を助けるためにある。
時折地震や津波に負けてしまう時もあるけど、人々の強い強いでっかい味方。
普通の家でもいいかもしれない。幸せかもしれない。
でも、ちょっと頭を捻ればただ単純に、もっと素敵な家にさせてあげることができる。
それが俺達建築屋の務め。
まだ建築屋にはなれてないけどww
ここで諦めたら、じいちゃんに嘘をつくことになるし、人を助けることだって出来ない。
建築以外の分野でも出来るけれど、建築じゃないとそもそも頑固で理論ぶる本人が満足しないw
辛い道のりだけど、原点回帰したらいつもじいちゃんの優しい素顔が頭に浮かぶ。
専門学校通ってる頃にばあちゃんも亡くなって、あの田舎の家は今、母の姉が一人暮らししている。
サバッとしたばあちゃんもかっこいいじいちゃんのそばへ行けて、今も幸せなんだろうな。
祖父母の家、設計図あるだろうか。ここ数年行ってないけど、設計図借りて、あの家の模型創りたいなって思ってる。
じいちゃんに見せる建築。懐かしい家でしょ(^ω^)?
こないだばあちゃんと帰ってきてたみたいだけど、模型は部屋のインテリアとして最高だよな!!
いつになるかわからないけど、帰ってきた時さ、見てってな。持ってってなw
何年もブログを書き続けてきた中で何度も何度も書いてきたけど、今、また書こうと思う。
そもそもモノ創りをするのが小さい頃から好きだった。
母方の、田舎に住んでた中1の時に死んだじいちゃん。農家をやってた。
一緒にいも掘りをしたり、ニンジンを引っこ抜いたり、汗かいたら美味しいスイカを食べさせてくれたり……
野菜も果物も絶品の味で、特にトウモロコシの味が大好きだった。
若い頃から耳を悪くして、戦争ではそれが原因で内地勤務だったと母から聞いている。
穏やかで優しくて、何処か気品があって、人に信頼されるじいちゃん。
葬式の時の参列者のと涙の数が、その人柄を表していた。
人に愛されるじいちゃん。すごく尊敬される人。
農作だけでなく、手の器用な所も大好きだった。
小屋の大量の木材でオリジナルの家具を創ったり、冬には犬ぞりを創って、母が子供の頃よく乗ったという。
馬から山羊から犬まで、沢山動物を飼っていた。
じいちゃん家に行く度に、集めておいてくれた段ボールやティッシュの空き箱を使って一緒に工作をして遊んでくれた。幼稚園の頃だったかな…
ミニカースケールでのトンネル状の車庫を創ってくれた記憶しかないけど、それがすごく魅力的だった。
何でも組み立ててしまうじいちゃんはヒーローでした。
小学校2年くらいのときに、大好きなレゴブロックの“城”を買ってもらった。
レゴ史上最も高いと思われる。
当時、自分達の間ではレゴブロックがすごく流行っていて、毎日のように小学校の友達が沢山、レゴブロックをしに家に遊びに来てた。
じいちゃんに買ってもらった“城”を皆が羨ましそうに見ながらw
毎日組んではバラして、組んではバラして…
毎日オリジナルの街や城…
ドラクエの世界観みたいな城下町を創るのが好きで、宿屋や武器屋や教会等をいつも創ってた。
誕生日プレゼントはレゴ。クリスマスもレゴ。お年玉でもレゴ。
建物を創って、そこにわずか3~4cmくらいしかない人間たちに剣や銃を持たせたりして、ジオラマ風に戦争ごっこさせるのが好きw
こんな風に、いつか本当の建物を創ってみたいな… と思った小学校高学年。
図工で“自分の家”をテーマにした授業がそのときあって、段ボールや紙を駆使して出来た作品…
皆はリカちゃんやシルバニアファミリーのような“ドールハウス風”が多くて、一部屋にインテリアや小物を創って、すごく芸が細かくて、皆の作品みてる時の自分のワクワクドキドキに気づいた。
自分はまさに“レゴブロック×ドラクエ風”の作品で、空から見上げた平面図のように、屋根を廃し、完全に間取りにこだわった広い広い家だった。
立体感は無いんだけど、間取りっぽい造りを正に今こうしてこの手で描けるようになってるとはw
絵を描くのも好きで、ポケモンとかキャラクターものを最らノートに模写(トレース)ばかりしてたが、図工の写生会ではいつも入賞・入選や通知表の表紙の常連だった。
細かい風景画を描くのが得意らしく、景色に彩る住宅や橋の方についつい力を入れすぎて、真っ直ぐな線の嵐w
細かいものを描く楽しさ、あの完成した時の密な集合体がたまらない!
そんな絵をじいちゃん達に見せると、いつも喜んで誉めてくれた。
工作や芸術が得意なのはK子(母)に似てるってww
小学生の頃は楽しかった!
夏休みや冬休みの自由研究も大体は木材で工作か、絵画の嵐だ。
中1になってじいちゃんが亡くなって、自分はまだ若かった(?)からか死に対する実感ってのが沸かなかったけど、今思うと物凄く悲しくて、もっと話がしたかったし、もっと自分の作品を見て貰いたかったなぁ。
工作にレゴや絵画を通して色んな人を楽しませ、喜ばせてきた。
無我夢中になれるあの時間はどんなに難しく、考え事になっても楽しくて楽しくてたまらなかった。
そういうのを続けたい。建築。そしたら本当の建物だって。
それしかない。自然とそう、それしか出なかった。瞬時に、一瞬にして。
中学頃になると自分の将来像に問いかける時間が増える。
将来の夢…建築
高校普通科の理系クラスを渡り、建築関係の専門学校へ。
毎日の学校生活が初めて出会う小さな世界の連続。
小さな世界が集まって、建築になるんだし。
だから、どんな些細でも色んな世界を見ていけたら、建築にもっと近づける。
世界に広がる無数のインプット達を感じて、それら生き方を身に染み込ませる。
カメラで捉え、映画で見つけ、音楽で感じ、本で思う。
全部シャッフルしてもまた新しい視点で、世界観が広がる。
人を喜ばせる建築。一見建築とはそんな当たり前なことだけど、志す以上、普通の人より建築に一歩進んだプロになるのだから、その舞台に立てる喜びを今、感じている。
じいちゃんがいてくれたからだ。
じいちゃんに俺の建築を見てもらいたい。
「困ってる人がいたら助けてあげなさい。喜ばせてあげなさい。」
被災地の姿に絶望した。
家が流され全てを奪い、人々をもみくちゃにして、未来を壊した。
絶望と悲しみの生活空間に、時たま彩られる、世界からの優しさ。
その優しさを少しでも感じて貰える場……住環境という“器”を、じいちゃんに作品を見せた時みたいに喜んでもらいたい。
建築は人を助けるためにある。
時折地震や津波に負けてしまう時もあるけど、人々の強い強いでっかい味方。
普通の家でもいいかもしれない。幸せかもしれない。
でも、ちょっと頭を捻ればただ単純に、もっと素敵な家にさせてあげることができる。
それが俺達建築屋の務め。
まだ建築屋にはなれてないけどww
ここで諦めたら、じいちゃんに嘘をつくことになるし、人を助けることだって出来ない。
建築以外の分野でも出来るけれど、建築じゃないとそもそも頑固で理論ぶる本人が満足しないw
辛い道のりだけど、原点回帰したらいつもじいちゃんの優しい素顔が頭に浮かぶ。
専門学校通ってる頃にばあちゃんも亡くなって、あの田舎の家は今、母の姉が一人暮らししている。
サバッとしたばあちゃんもかっこいいじいちゃんのそばへ行けて、今も幸せなんだろうな。
祖父母の家、設計図あるだろうか。ここ数年行ってないけど、設計図借りて、あの家の模型創りたいなって思ってる。
じいちゃんに見せる建築。懐かしい家でしょ(^ω^)?
こないだばあちゃんと帰ってきてたみたいだけど、模型は部屋のインテリアとして最高だよな!!
いつになるかわからないけど、帰ってきた時さ、見てってな。持ってってなw