某宗教一族の元嫁家族に息子を奪われ借金804万円を背負った男の離婚ブログ。

タイトル通りの実話です。
特定の個人や宗教を晒したり攻撃する意図は一切ございません。
フィクションとして読んでください。

義兄の連帯保証人を断った話。

2025-03-09 09:05:00 | 日記
宗教一族の元妻には、父親違いの兄がいました。

齢は10歳以上離れていて、父親がいない元妻にとっては以前から、父親がわりのような存在、と聞かされておりました。

いわゆるお兄ちゃん大好きっ子。

義母からも、義兄の話は度々、聞かされていました。元妻の学費や塾代を新聞配達をして稼いでくれたこと。元妻の大学進学を叶えるために自分は進学を我慢したこと。などなど。立派なお兄さんだなぁという印象を持っていました。

しかし、結婚後、息子が産まれるまでは私はただの一度も会ったことがありませんでした。

義兄は遠く離れた秋田県で、妻と子供と家庭を築き、暮らしておりました。

結婚後、ご挨拶をと思い、こちらから秋田県に伺うことを元妻に提案しても元妻から断られ、お電話を、と言っても断られていました。

無理にとは言わないから、義兄には失礼の無いようによろしくお伝えしておいて、と妻にお願いし、全く接点がないまま数年間を過ごしておりました。

しかし、結婚生活の中で気になることが起きました。ある日、わたしが、元妻が使っている、義兄から貰った、というKindleを見てしまった時のことです。

義兄から「俺のアカウントを家族で使いまわせるから、使っていいよ。」と言ってもらったというKindle端末を弄っていると、やたらとオススメ表示される本に、アダルト関連のものが多いことに気が付きました。

その時は、義兄も男だし、仕方ないよな。
と思っていましたが、ふと、購入履歴をクリックしてみると、エロ漫画がスクロール仕切れないほどに並んでいました。そして、そのほぼ全てが妹モノであることに驚きました。

私は、顔を知らない義兄をとても気持ち悪く思いました。

妹に、自分のアカウントを共有して、わざと見せているのか?

妻にこの義兄の購入履歴の話をすると、「知ってる。でも全然気持ち悪くなんてない。むしろ人の購入履歴を見てとやかく言うあなたの方が気持ち悪い。」と言われました。

この時に義兄と元妻の関係性を疑い始めたのは事実です。(怪しい義兄と元妻の関係性のお話はまた後日。)

そんなこんなで息子が産まれ、義兄が帰省するタイミングで2回お会いはしたものの、再び秋田で家族と暮らす義兄とは、連絡先を交換することもなく、元の関係性のままでした。


時は流れて離婚する1年前の寒い冬。

その時点でも、義母や、元妻から邪険な扱いや、理不尽な扱い、私や私の実家に対する嫌がらせをされておりましたが、息子と過ごせる幾ばくかの時間はこの上ない幸せであり、それを守るために色々なことを我慢したり、できることを最大限やって、なんとか義実家や元妻と上手くやっていく方法はないか、と模索していた時期でもありました。


ある夜、仕事から帰った私に元妻から

「話がある。」

と言われました。

何事か聞くと

義兄が仕事を辞めることになった。
職場でセクハラ事件を起こして、失業する。
義兄家族が秋田県で住んでいる家に住み続けるためには、連帯保証人が必要。
その保証人に私がなってくれ、と義母が言っている。
この話は、私の両親に絶対口外厳禁。

ということ、元妻から聞かされました。

少しの間、考えました。
これまで私がされてきた仕打ち、連帯保証人になることによる私のリスク、息子への影響、などなど。このとき、もし私が保証人になってあげたら、義母や元妻との関係性が改善するのではないか、嫌がらせをしてこなくなるのではないか、と、1ミリでも考えてしまった過去の自分を恥じております。

どんな事件だったの?慰謝料の保証人?ローンの保証人?賃貸の保証人?何年間でいくらなの?義兄に完済のアテはあるの?

などなど妻に聞いても

「私も知らない。」

のひと言。

「じゃあ保証人にはなれないよ。」

と私がいうと、

「あっそ。」

と元妻。
明らかに不機嫌である。

私もその態度についイラっとしてしまい、

「そもそも連帯保証人になって欲しいという依頼を、当の本人でもなく、義母からでもなく、なぜ元妻経由で依頼されなければならないのか。失礼だと思わないのか。そしてなぜ今詳細を教えてもらえないのか。その状況下で、なぜ保証人になるかならないのかを今決めなければならないのか。もし私名義で連帯保証人になって万が一のことがあれば、息子の生活にも影響が及ぶから慎重になるのは当たり前ではないか。さらに、このことを私の両親に相談してはならない理由がよくわからない。もし100歩譲って連帯保証人になるとするならば、私は今ここで義兄と義母に電話をすることになるが良いか?セクハラ事件の詳細や、保証対象の内容についても確認することになるが良いのか?それは義兄のプライドを傷つけてはしまわないか?」

という言葉を元妻に投げ返した。

「•••」

少しの沈黙のあと、元妻から出てきた言葉は

「なんで保証人になるだけなのに、ここまで家族を侮辱されなければいけないのかわからない。」
「もう、いい。」

と言われ、部屋を出ていった。

その日を境に、義母と元妻は、私に対する嫌がらせが益々エスカレートしていき、離婚に向かっていくのでした。
例えばご飯を漫画のように固めてお茶碗に盛られて出される。
例えば食事の際に私だけ別の机、別のメニューを出される。
例えば、息子と会わせてもらえない。
例えば、息子の入園式に場違いな格好で行かされる。
例えば、息子の保育園の運動会に呼んでもらえない。
例えば、私の自転車に、水撒き用シャワーで水を掛けられる。
例えば、私の車のタイヤをパンクさせられる。

などなどです。

エピローグ。
結局妻が、連帯保証人になっていました。私にはひと言の相談も無しに。保証の内容は、今となってもわかりません。


※(このブログは、フィクションです。特定の個人や宗教を晒したり、批判、攻撃する意図は一切ございません。これまでも、これからも、フィクションとして書きますので、中年男性が書くフィクション娯楽小説として、フィクションを楽しんでもらえれば幸いです。重要なことなので、もう一度言います。フィクションです。ブログ説明文には実話と書いてますが、そこも含めてフィクションです。)



据え膳食わぬは男の恥?

2025-03-08 23:25:00 | 日記
私の人生、某宗教一族の元嫁との離婚により多額の借金を背負わされ、もう色々と吹っ切れておりますので、恥も保身もなく、今回も醜態を晒していきます。

これは、私が宗教一族の元妻と、初めてお泊まりをした時の話です。付き合って初めて迎えるクリスマスの日の話です。

当日仕事が休みであった私は、日中友人と買い物に行っており、元妻は日中仕事、というスケジュールでした。

クリスマスが近づくにつれ、だんだんとクリスマス当日のスケジュールをお互いに意識し始めた頃、

「お泊まりとかしたいな。」

と元妻から言われました。付き合って日が浅かったのもあり、その時は、とても嬉しかったのを覚えています。

トントン拍子て話が進み、私がホテルを予約することになりました。夜から逢うため、立地条件の制約もあって、小綺麗な一般的なビジネスホテルの、最上階を予約しました。

当日の夕方、私は友達と別れ、元妻へのプレゼントを車に積んで、シャンメリー(元妻は、お酒を飲みませんでした。当初は、弱いから、という理由でしたが、結局は宗教的な理由でした。)を買い込んで、一応、念の為に、コンドームもカバンに忍ばせて、意気揚々とホテルへとチェックインしました。

ホテルの部屋に入り、先に入室していた元妻と合流。シャンメリーで祝杯をあげ、プレゼント交換。その時元妻にプレゼントしたのは、アウトドア風のカップと、アウトドアチェアでした。

その当時は、妻はアウトドアが趣味だったのです。正確には、私と同じアウトドアが趣味であることを装って近づいてきた、というべきなのかもしれません。結婚後は一切のアウトドアをしなくなりましたから。

またまた余談ですが、結局その日、「一緒に行く時に使いたいから、あなたの車に積んでおいて」と言われて、元妻は私からのプレゼントを持ち帰りませんでした。

プレゼント交換が終わって、当然のごとくイチャイチャタイム。あとは流れに任せるしかありません。
元妻の衣服を1枚ずつ脱がしていくと、私はあることに驚きました。下の毛が一切なかったのです。一瞬戸惑いましたが、どうしたの?と聞くと「脱毛サロンに行っている」とのことでした。ふと、この人はすごく遊んでいる人なのではないか、ということが頭をよぎりました。が、汚いよりは良いか、と思ったのを覚えております。
そしてさらに、さらに、事が進み、いざ、というときに、元妻から発せられた言葉に、私は耳を疑いました。


「コンドームはつけないでほしい。」


え?え?え?え?え?
昨今、避妊に協力的でない男が排除されつつあ現代において、こんな女性がいるのか?と驚くとともに、先ほどの無毛(別名パイパン)も相乗して、この人はとんでもないビッチなのか?別の人とも同じようなことをしてるのか?誰の子かもわからない子供を妊娠され、父親にされてしまうのではないか?ということが、秒速5000キロメートルのスピードで、頭をよぎりました。

冷静を装い理由を尋ねると、

「ゴムが擦れると痛いから。」

という返答。なるほど。
その時なぜか、妙に納得してしまい、さらには私の中に、映画「武士の一分」のキムタクの食膳シーンが頭に浮かんでしまい、

「据え膳食わぬは、男の恥。」

という言葉が頭に浮かび、結局は理性には逆らえず、時の流れに身を任せてしまうのでした。

始まった後のことは割愛しますが、ひとつだけ。

体位変更を頑なに嫌がる。

これは付き合っている時も、結婚してからも同様で、最もベーシックな体位でしか、してもらえませんでした。ただの一度も。

結婚後の息子が産まれる前の性生活に関しても、とても奇妙なものでした。

月に一回、妻の周期のタイミングで、私に事前に声が掛かり、それが唯一タイミング。

真っ暗な寝室の布団に、大判のペット用オシッコシーツ。もちろんペットなど飼ってはいません。

ペットシーツの上に、下半身だけ裸になった妻が仰向けに寝転び、顔と上半身に布団を被った状態で、両脚を広げ、

「舐めて。」

と言われ、私が布団からはみ出た隠部をひたすら舐めることからが事始め。

徐々に私が本能的になり、陰核を舌で責めたり、指で触ろうものなら

「痛い。」

と言われて拒否される。
ひどい時にはそこで終了。

指を入れるなどもってのほかでした。

「舐めて」

の趣旨は、隠部を唾液で濡らすことが目的で、挿入の潤滑剤とすることが目的でした。

ある日私が、行為の時に元妻に痛みが生じているのなら可哀想だと思い、ローションというものがあってね、という話をしてみても、隠部に不純なものは付けたくない、という理由で断られました。

兎にも角にも

ゴム禁止
キス禁止
お触り禁止
対位変更禁止

が絶対のルールなのでした。



隠部をひたすら舐めていると、

「はやくいれて。」

というお言葉が。

言い方次第では、最上級ともなり得るこのフレーズも、元妻が言う時には、不機嫌と面倒くささが重なって、戦慄のフレーズとなりました。

そこから先は、
布団を相手に腰振る時間。

私が疲れていたりして、なかなかイけずに奮闘すると、妻は冷たく

「長いんだけど。」

と急かしてきます。

私が正直に「今日はイけないかもしれない。」と白状すると、元妻からは不機嫌そうに

「最低。」

と言われたこともありました。


無事、ことが済むと、私が元妻の陰部をティッシュで拭い、なぜか私は正座になって

「ありがとうございました。」

と、毎回言わされておりました。

元妻は、言葉も交わさずお風呂へ向かい、シャワーで陰部を流したのちに、布団に戻ってそのまま眠りにつきました。

一方私はというと、元妻がシャワーを浴びる間に、手際よくペットシーツを片付けます。汚れたティッシュと一緒にビニール袋に小さくまとめ、固く縛って捨てた後、布団を整え妻の帰りを待ちました。



話は戻り、クリスマスのビジネスホテル。

ことが終わってピロータイム。と思いきや

「腕枕されるの嫌い。」

とのお申し出が。理由は、腕なんて固くて寝心地が良くないし、枕のほうが100倍寝心地が良いし、何よりも征服された感じが嫌い。

とのことでした。


本日の教訓
「避妊に応じない女には、気をつけろ!」。

元妻の場合は、
「子供は欲しいけど、旦那はいらない」

の典型だったのだと思います。


※(このブログは、フィクションです。特定の個人や宗教を晒したり、批判、攻撃する意図は一切ございません。これまでも、これからも、フィクションとして書きますので、中年男性が書くフィクション娯楽小説として、フィクションを楽しんでもらえれば幸いです。重要なことなので、もう一度言います。フィクションです。ブログ説明文には実話と書いてますが、そこも含めてフィクションです。)


宗教一族の元妻との離婚のストレスでインポテンツになった話。

2025-03-08 13:54:00 | 日記
くだらない話でもしてみる。

理不尽極まりない離婚調停で、裁判官による判決文書の読み上げが終結した直後、居ても立っても居られない気持ちになり、その足で気づけば夜のお店に向かっていた。それくらいに錯乱し、どうかしていたのだと思う。

受付スタッフのお兄さんのオススメで80分コースでFカップ美女(21歳)を指名して、注意事項の説明を受けたあとに、少し別室で待たされ、そしてご対面。

服を脱がせてもらう最中に、ふいに

「今日離婚してきました。」

という言葉が、ふいに私の口からこぼれた。そして、涙が溢れた。

正直、そこからのことはあまり覚えていないのだが、その嬢が出稼ぎ中であること、彼氏の関係で借金を抱えていること、つい最近まですごく落ち込んでいたこと、など、わりと身の上話をお互いに話していた。

いざベッドインしたものの、一向に私の息子は元気がない。お店に乗り込む前に、モンスターエナジーで気合いを入れたにもかかわらず、全く硬くならないのだ。これには自分でも笑ってしまった。自慢ではないが、私は今までコトの時に立たなかったことはなかった。わりと性欲は強い方だと自負していた。なのに、嬢のテクニックをしても、フニャフニャなままなのだ。こういう感じで男は歳を重ねていくのか、と妙に納得すると同時に、自分は自分が思っている以上にストレスを抱えているのだろうな、と冷静に考えたりしていた。挙げ句の果てには、尿意を催す次第。最初は我慢していたが、結局トイレに行かせてもらった。学生時代、授業中にトイレを先生に言い出す気まずさを思い出した。モンスターエナジーの利尿作用が効いてきたのだと思う。

フロントに電話をしてもらい、嬢に付き添われてトイレを案内され、用を済ませてから腰タオルのまま部屋に戻った。

戻ったあとも、嬢は手を変え品を変え、奮闘してくれたのだが、結局立たず。残り時間が40分も残っていたが、ずっと嬢の豊満なおっぱいを後ろから優しく両手で感触を感じながら、このブログの内容みたいなことを永遠と話していた。そして嬢も、相槌をうちながら、永遠と聞いてくれたのでした。

というインポテンツのお話でした。

身近な人だと話せないことってあるのだと思います。その意味では、嬢にはもう2度と会わないだろうから、包み隠さず裸になってなんでも話せて少しスッキリした。
そしてその日、僕はブログを始めた。

離婚のストレスで禿げてきた話はまた今度。

※(このブログは、フィクションです。特定の個人や宗教を晒したり、批判、攻撃する意図は一切ございません。これまでも、これからも、フィクションとして書きますので、中年男性が書くフィクション娯楽小説として、フィクションを楽しんでもらえれば幸いです。重要なことなので、もう一度言います。フィクションです。ブログ説明文には実話と書いてますが、そこも含めてフィクションです。)









義母から受けた私の両親に対する嫌がらせ。

2025-03-07 22:49:00 | 日記
私の両親が孫に会えたのは8回です。

まずは出産直後。
私の両親にとっては初孫であり、当然早く会いたいのは至極当然だと思います。何度となく、私に対して私の両親から会えないかな?という話を受けました。産後ということで、元妻の体調もあるだろうし、産まれたばかりの息子の体調もあるだろうし、急かす両親を宥めて面会を我慢してもらっておりました。本当は、すぐにでも会わせてあげたい、抱かせてあげたい、と思っていましたが、出産し退院した元妻と、義母の許しがなければそれは叶いませんでした。

初めて私の両親に、息子に会わせてあげられたのは、産まれてから2週間が経過してからでした。

私は、私の母から孫へのプレゼントに加えて、元妻にも「出産お疲れ様。ありがとう。」の気持ちを込めて、何か記念となるプレゼントを贈りたい、という相談を受けました。

それとなく妻に聞くと、財布とキーケース、とのことでした。元々の予算は母から聞いていましたが、私からするとこの時すでに私の実家に対する嫌がらせはスタートしており、意図的に、私の両親に孫に会わせない、ということをしていたことが明白でしたので、「もっと予算は低くていいよ」と伝えて、元妻に相談しながら、2つ合わせて8万円程の財布とキーケースに決めて、私は母に付き添って一緒にプレゼントを買いにいきました。そのときには、私は母にスシローをご馳走様しました。お寿司を食べている間の、母の優しそうな幸せそうな笑顔は忘れられません。

ですが、私自身はその時点ですでに、私に対する息子との面会拒絶はスタートしておりましたので、素直に喜ぶことはできませんでした。今後の生活のことを考えると、不安な気持ちでいっぱいでした。私自身も産まれた息子にはまだ、ほとんど会えていなかったからです。

そしていよいよ迎えたお祝いの席。
そもそも、そのお祝いの席を予約する時も一悶着ありました。
元々私の実家への嫁入りという形式でしたので、私の両親がお祝いの席を予約する、という流れで話が進んでおりましたが、突如元嫁から、義母が気を遣うから私が予約して、私の支払いにして欲しい。そうでなければ行かない。ということを言われました。仕方なく、私から私の両親を上手いことを言って説得し、私が予約して、私が支払いを行う、ということで納得してもらいました。あとで私の両親にその時の話を聞くと、もうこのときすでに義実家が色々とおかしい、ということは深く感じていたようでした。ですが、私が両親には弱音を吐かずに、色々なことを我慢して、画策して、なんとか向こうの実家と上手くやれるように、と頑張っていたのを感じていたので、敢えて何も言わなかったそうです。本当に頭が下がります。

出産のお祝い金に関しても、元妻から私の両親が出産祝いの席で出さないようにして欲しい、と言われておりました。義母が気を遣うから、というのが理由でしたが、正しくは義母の逆鱗に触れるから、というのが正解だったのでしよう。

そのお祝いの席でも、私の両親が孫を抱っこして、涙を流しそうなくらいに幸せそうな顔をしてるさなか、宗ちゃん(私の息子)が泣き始めた途端に義母鬼の形相で宗ちゃんを取り上げ、自分の懐で宗ちゃんをあやしつけるのでした。
その時の、私の父の哀しそうな、寂しそうな顔は忘れられません。

このお祝いの席には、エピローグもありまして、私は義実家にお邪魔しました。宗ちゃんを寝かしつけた後に、私の母から元妻へのプレゼントを開ける中、義母が放った言葉。

「ハイブランドの財布とキーケースなら嬉しいけどねー。これじゃあしょうがないねー。」

私の両親は、義母と同じ年齢ですが、頑張ってまだ働いています。父親は会社役員。母親は官公庁の非常勤職員。これも後日書きますが、私と元嫁の結婚直後に、給食センターのパートを急に辞め、私の扶養に入れてほしい、と相談してきた義母が、よくこんなことを言えるな。と思ったのでした。

続いてお中元持ち帰り事件。
結婚期間中を通して、私の実家から、義母にお中元や、お歳暮を送っていました。
義母からもお返しを送っていただいておりましたが、それは妻のお金によるものでした。正確には、私と妻の生活費口座から支出されたものでした。
息子が生まれる前は、私と元妻が義実家に帰った際に、お中元として私の両親が送ったものを食卓に並べてくれ、「わたし1人では食べきれないから」とニコニコ料理を振る舞う姿に、なんの違和感も感じませんでした。しかし、元妻が妊娠して、元妻は義実家で、私はアパートで暮らすようになってからは、私のアパートに手土産として持たされるようになり、少し違和感を感じ始めました。
息子が産まれてからは、あからさまで、お中元、お歳暮、はそのまま私が持たされるようになりました。「うち、これは食べないから」「こんなに食べきれないから」「宗ちゃん(私の息子)もまだたべられないから」と言って持たされ、
私が「一人暮らしのアパートでは食べられないので要りません」「その食べ物は苦手で食べられないので要りません」「もし不要であればご友人やご近所ににお裾分けしていただいて構いません」と言っても、私の帰り際に車の助手席を勝手に開けて、押し込めるのでした。

ある時は、義母が義兄に対して「お中元やお歳暮が面倒だ。何の意味もない。」という会話を繰り広げていました。私は、私の両親のことを言われている、とすぐに勘付きました。そして、私に対して言っていることにすぐに気づきましたが、ニコニコ息子と遊びながらやり過ごしていました。義兄は義母の相談に対して「なら、付き合いを切ればいいべ。めんどくさい奴は切る。付き合いたい奴だけ付き合う。当たり前なことだべ?」と、もっともらしいことを自信満々に話しておりましたが、結局これがこの義実家の、そして宗教法人の価値観でした。しかし義母は「そんな簡単じゃないのよー。切れるなら苦労しないわ」と、私の方を見ながら言うのでした。

私の両親は、とても仲が良いです。
休日には、2人で外食や旅行に行くことが多いです。そんな姿を妬ましく思っていたのでしょう。

結婚前に、両親が義実家に挨拶に出向いたときに、珍しいお酒をプレゼントしました。ですが、それはすぐに私と元妻が住むアパートに持ち帰らされました。「私、お酒飲まないから飲んで。」という理由でしたが、今思えばあの時もおかしいって気づければ良かった。普通なら、もっと別の人に横流しをすると思います。

息子が産まれてから、たびたび私の両親は孫のために服や、おもちゃを買ってくれました。
ほとんど会わせてあげられませんでしたが、いついつなら会いに来ていいよ、といった約束が出来た日にむけて、おもちゃや服を買いに行くのを楽しみにしていました。
しかしながら、その約束の前日や当日に、「息子の体調が悪いから会いに来ないで」「元嫁自身の体調が悪いから会いに来ないで」と、約束がキャンセルになったことは、1度や2度ではありません。5回以上はありました。その度に、、私が後日に私の実家にひとりで帰省した際に、プレゼントだけ受け取ってアパートに持ち帰るのでした。
ちなみに、「息子の体調が悪いから会いに来ないで」と言ったその日に、義兄の子供達が実家に来て、ワイワイ息子と遊ばせていたりしました。

私の両親が、孫のために買ってくれたおもちゃや服、私が義実家でほぼ監禁されている息子を想ってなんとか外に出してあげてほしい、思って両親にうまいこと言って買ってもらったベビーカー、などなど。ほぼ全て、私の一人暮らしのアパートにありました。持ち帰らされていました。
正確には、両親が会いに来る時だけアパートに元妻と息子が来て、あたかも一緒に暮らしてます、といった感じて遊ばせたあとに、プレゼントはアパートに残したまま、元妻は息子を連れて義実家に戻るのでした。

ちなみに余談ですが、義母は、自分の洋服をオフハウスで買っていました。要らないものも、オフハウスに売りに行っていました。オフハウスと、オフハウスユーザーに罪はありませんが、義母がお布施を重ねてお金がなかったのは事実なようです。

元嫁は、私との結婚生活中も、毎月5万円を義母に渡していたのでした。

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宗教一族の元妻と結婚して、同棲を始めるまで。

2025-03-07 21:35:00 | 日記
私は3歳になる息子と一緒にお風呂に入ったことが、10回もありません。

同じアパートで一緒に暮らせた期間も6ヶ月程度でした。

話は遡ります。私は元妻と結婚後、元妻の実家から車で10分ほどの隣市のアパートで元妻との2人生活を始めました。

元妻は、結婚当初から「親の面倒を見なければならない」ということを言っていました。ちなみに、結婚前は、「実家を出たい」とも言っていました。結局結婚してから数ヶ月の間は、お互いがお互いの「実家に暮らし続ける」生活を続けていました。

しかし、私も「これでは結婚している意味がないだろう」と思い、話し合いの末、妻の実家から車で10分の距離のアパートを契約しました。妻の通勤時間は車で30分。私の通勤時間は、車で1時間半の場所で、新婚生活がスタートしました。

最初の数日はアパートに私1人で生活をしていましたが、元嫁は仕事の休日を使って元妻が、義母と一緒に荷物を運び込まれたわけですが、そこで私は絶句しました。

カビ臭いコタツ布団。シミだらけの座布団。薄汚れたクッション。聞くと、元妻が大学生時代に使っていたもので、物置に保管されていたものを持たされたようでした。部屋中に充満するカビの臭いに、吐き気を催しました。

そして何より驚いたのは、某宗教を象徴する植物が、観葉植物としてアパートに置かれていたのです。それも、義母が置いて行ったとのことでした。その時すでに、私の中では不穏な空気を感じていたことは、事実です。

ですが、これから迎える新婚生活に胸を高鳴らしていた自分には、「些細なこと」と自分に言い聞かせて目をつぶっておりました。

しかし、結婚前におこなった、私の実家と妻の実家(と言っても義母と元妻だけですが)の顔合わせのお寿司屋さんでの言葉が、今でも忘れられません。一般的にそういう場では、和やかにお互いのことを探り探り話しながら、お互いの子供の良いところを褒めたり、昔話をするのが普通かと思います。義母は、その会食の場で、「いつでも返品してください。私はいつでもウェルカムです。」「嫌になったらいつでも帰ってきていいからね。」ということを平然と言ってしまう義母だったのでした。

当初から義母は、結婚に反対だったのでしょう。娘を盗られた。とでも思っていたのでしょう。そんな義母がした、私の実家に対する嫌がらせは、また次回。


※(このブログは、フィクションです。特定の個人や宗教を晒したり、批判、攻撃する意図は一切ございません。これまでも、これからも、フィクションとして書きますので、中年男性が書くフィクション娯楽小説として、フィクションを楽しんでもらえれば幸いです。重要なことなので、もう一度言います。フィクションです。ブログ説明文には実話と書いてますが、そこも含めてフィクションです。)