私の両親が孫に会えたのは8回です。
まずは出産直後。
私の両親にとっては初孫であり、当然早く会いたいのは至極当然だと思います。何度となく、私に対して私の両親から会えないかな?という話を受けました。産後ということで、元妻の体調もあるだろうし、産まれたばかりの息子の体調もあるだろうし、急かす両親を宥めて面会を我慢してもらっておりました。本当は、すぐにでも会わせてあげたい、抱かせてあげたい、と思っていましたが、出産し退院した元妻と、義母の許しがなければそれは叶いませんでした。
初めて私の両親に、息子に会わせてあげられたのは、産まれてから2週間が経過してからでした。
私は、私の母から孫へのプレゼントに加えて、元妻にも「出産お疲れ様。ありがとう。」の気持ちを込めて、何か記念となるプレゼントを贈りたい、という相談を受けました。
それとなく妻に聞くと、財布とキーケース、とのことでした。元々の予算は母から聞いていましたが、私からするとこの時すでに私の実家に対する嫌がらせはスタートしており、意図的に、私の両親に孫に会わせない、ということをしていたことが明白でしたので、「もっと予算は低くていいよ」と伝えて、元妻に相談しながら、2つ合わせて8万円程の財布とキーケースに決めて、私は母に付き添って一緒にプレゼントを買いにいきました。そのときには、私は母にスシローをご馳走様しました。お寿司を食べている間の、母の優しそうな幸せそうな笑顔は忘れられません。
ですが、私自身はその時点ですでに、私に対する息子との面会拒絶はスタートしておりましたので、素直に喜ぶことはできませんでした。今後の生活のことを考えると、不安な気持ちでいっぱいでした。私自身も産まれた息子にはまだ、ほとんど会えていなかったからです。
そしていよいよ迎えたお祝いの席。
そもそも、そのお祝いの席を予約する時も一悶着ありました。
元々私の実家への嫁入りという形式でしたので、私の両親がお祝いの席を予約する、という流れで話が進んでおりましたが、突如元嫁から、義母が気を遣うから私が予約して、私の支払いにして欲しい。そうでなければ行かない。ということを言われました。仕方なく、私から私の両親を上手いことを言って説得し、私が予約して、私が支払いを行う、ということで納得してもらいました。あとで私の両親にその時の話を聞くと、もうこのときすでに義実家が色々とおかしい、ということは深く感じていたようでした。ですが、私が両親には弱音を吐かずに、色々なことを我慢して、画策して、なんとか向こうの実家と上手くやれるように、と頑張っていたのを感じていたので、敢えて何も言わなかったそうです。本当に頭が下がります。
出産のお祝い金に関しても、元妻から私の両親が出産祝いの席で出さないようにして欲しい、と言われておりました。義母が気を遣うから、というのが理由でしたが、正しくは義母の逆鱗に触れるから、というのが正解だったのでしよう。
そのお祝いの席でも、私の両親が孫を抱っこして、涙を流しそうなくらいに幸せそうな顔をしてるさなか、宗ちゃん(私の息子)が泣き始めた途端に義母鬼の形相で宗ちゃんを取り上げ、自分の懐で宗ちゃんをあやしつけるのでした。
その時の、私の父の哀しそうな、寂しそうな顔は忘れられません。
このお祝いの席には、エピローグもありまして、私は義実家にお邪魔しました。宗ちゃんを寝かしつけた後に、私の母から元妻へのプレゼントを開ける中、義母が放った言葉。
「ハイブランドの財布とキーケースなら嬉しいけどねー。これじゃあしょうがないねー。」
私の両親は、義母と同じ年齢ですが、頑張ってまだ働いています。父親は会社役員。母親は官公庁の非常勤職員。これも後日書きますが、私と元嫁の結婚直後に、給食センターのパートを急に辞め、私の扶養に入れてほしい、と相談してきた義母が、よくこんなことを言えるな。と思ったのでした。
続いてお中元持ち帰り事件。
結婚期間中を通して、私の実家から、義母にお中元や、お歳暮を送っていました。
義母からもお返しを送っていただいておりましたが、それは妻のお金によるものでした。正確には、私と妻の生活費口座から支出されたものでした。
息子が生まれる前は、私と元妻が義実家に帰った際に、お中元として私の両親が送ったものを食卓に並べてくれ、「わたし1人では食べきれないから」とニコニコ料理を振る舞う姿に、なんの違和感も感じませんでした。しかし、元妻が妊娠して、元妻は義実家で、私はアパートで暮らすようになってからは、私のアパートに手土産として持たされるようになり、少し違和感を感じ始めました。
息子が産まれてからは、あからさまで、お中元、お歳暮、はそのまま私が持たされるようになりました。「うち、これは食べないから」「こんなに食べきれないから」「宗ちゃん(私の息子)もまだたべられないから」と言って持たされ、
私が「一人暮らしのアパートでは食べられないので要りません」「その食べ物は苦手で食べられないので要りません」「もし不要であればご友人やご近所ににお裾分けしていただいて構いません」と言っても、私の帰り際に車の助手席を勝手に開けて、押し込めるのでした。
ある時は、義母が義兄に対して「お中元やお歳暮が面倒だ。何の意味もない。」という会話を繰り広げていました。私は、私の両親のことを言われている、とすぐに勘付きました。そして、私に対して言っていることにすぐに気づきましたが、ニコニコ息子と遊びながらやり過ごしていました。義兄は義母の相談に対して「なら、付き合いを切ればいいべ。めんどくさい奴は切る。付き合いたい奴だけ付き合う。当たり前なことだべ?」と、もっともらしいことを自信満々に話しておりましたが、結局これがこの義実家の、そして宗教法人の価値観でした。しかし義母は「そんな簡単じゃないのよー。切れるなら苦労しないわ」と、私の方を見ながら言うのでした。
私の両親は、とても仲が良いです。
休日には、2人で外食や旅行に行くことが多いです。そんな姿を妬ましく思っていたのでしょう。
結婚前に、両親が義実家に挨拶に出向いたときに、珍しいお酒をプレゼントしました。ですが、それはすぐに私と元妻が住むアパートに持ち帰らされました。「私、お酒飲まないから飲んで。」という理由でしたが、今思えばあの時もおかしいって気づければ良かった。普通なら、もっと別の人に横流しをすると思います。
息子が産まれてから、たびたび私の両親は孫のために服や、おもちゃを買ってくれました。
ほとんど会わせてあげられませんでしたが、いついつなら会いに来ていいよ、といった約束が出来た日にむけて、おもちゃや服を買いに行くのを楽しみにしていました。
しかしながら、その約束の前日や当日に、「息子の体調が悪いから会いに来ないで」「元嫁自身の体調が悪いから会いに来ないで」と、約束がキャンセルになったことは、1度や2度ではありません。5回以上はありました。その度に、、私が後日に私の実家にひとりで帰省した際に、プレゼントだけ受け取ってアパートに持ち帰るのでした。
ちなみに、「息子の体調が悪いから会いに来ないで」と言ったその日に、義兄の子供達が実家に来て、ワイワイ息子と遊ばせていたりしました。
私の両親が、孫のために買ってくれたおもちゃや服、私が義実家でほぼ監禁されている息子を想ってなんとか外に出してあげてほしい、思って両親にうまいこと言って買ってもらったベビーカー、などなど。ほぼ全て、私の一人暮らしのアパートにありました。持ち帰らされていました。
正確には、両親が会いに来る時だけアパートに元妻と息子が来て、あたかも一緒に暮らしてます、といった感じて遊ばせたあとに、プレゼントはアパートに残したまま、元妻は息子を連れて義実家に戻るのでした。
ちなみに余談ですが、義母は、自分の洋服をオフハウスで買っていました。要らないものも、オフハウスに売りに行っていました。オフハウスと、オフハウスユーザーに罪はありませんが、義母がお布施を重ねてお金がなかったのは事実なようです。
元嫁は、私との結婚生活中も、毎月5万円を義母に渡していたのでした。
※(このブログは、フィクションです。特定の個人や宗教を晒したり、批判、攻撃する意図は一切ございません。これまでも、これからも、フィクションとして書きますので、中年男性が書くフィクション娯楽小説として、フィクションを楽しんでもらえれば幸いです。重要なことなので、もう一度言います。フィクションです。ブログ説明文には実話と書いてますが、そこも含めてフィクションです。)