某宗教一族の元嫁家族に息子を奪われ借金804万円を背負った男の離婚ブログ。

タイトル通りの実話です。
特定の個人や宗教を晒したり攻撃する意図は一切ございません。
フィクションとして読んでください。

義母から受けた私の両親に対する嫌がらせ。

2025-03-07 22:49:00 | 日記
私の両親が孫に会えたのは8回です。

まずは出産直後。
私の両親にとっては初孫であり、当然早く会いたいのは至極当然だと思います。何度となく、私に対して私の両親から会えないかな?という話を受けました。産後ということで、元妻の体調もあるだろうし、産まれたばかりの息子の体調もあるだろうし、急かす両親を宥めて面会を我慢してもらっておりました。本当は、すぐにでも会わせてあげたい、抱かせてあげたい、と思っていましたが、出産し退院した元妻と、義母の許しがなければそれは叶いませんでした。

初めて私の両親に、息子に会わせてあげられたのは、産まれてから2週間が経過してからでした。

私は、私の母から孫へのプレゼントに加えて、元妻にも「出産お疲れ様。ありがとう。」の気持ちを込めて、何か記念となるプレゼントを贈りたい、という相談を受けました。

それとなく妻に聞くと、財布とキーケース、とのことでした。元々の予算は母から聞いていましたが、私からするとこの時すでに私の実家に対する嫌がらせはスタートしており、意図的に、私の両親に孫に会わせない、ということをしていたことが明白でしたので、「もっと予算は低くていいよ」と伝えて、元妻に相談しながら、2つ合わせて8万円程の財布とキーケースに決めて、私は母に付き添って一緒にプレゼントを買いにいきました。そのときには、私は母にスシローをご馳走様しました。お寿司を食べている間の、母の優しそうな幸せそうな笑顔は忘れられません。

ですが、私自身はその時点ですでに、私に対する息子との面会拒絶はスタートしておりましたので、素直に喜ぶことはできませんでした。今後の生活のことを考えると、不安な気持ちでいっぱいでした。私自身も産まれた息子にはまだ、ほとんど会えていなかったからです。

そしていよいよ迎えたお祝いの席。
そもそも、そのお祝いの席を予約する時も一悶着ありました。
元々私の実家への嫁入りという形式でしたので、私の両親がお祝いの席を予約する、という流れで話が進んでおりましたが、突如元嫁から、義母が気を遣うから私が予約して、私の支払いにして欲しい。そうでなければ行かない。ということを言われました。仕方なく、私から私の両親を上手いことを言って説得し、私が予約して、私が支払いを行う、ということで納得してもらいました。あとで私の両親にその時の話を聞くと、もうこのときすでに義実家が色々とおかしい、ということは深く感じていたようでした。ですが、私が両親には弱音を吐かずに、色々なことを我慢して、画策して、なんとか向こうの実家と上手くやれるように、と頑張っていたのを感じていたので、敢えて何も言わなかったそうです。本当に頭が下がります。

出産のお祝い金に関しても、元妻から私の両親が出産祝いの席で出さないようにして欲しい、と言われておりました。義母が気を遣うから、というのが理由でしたが、正しくは義母の逆鱗に触れるから、というのが正解だったのでしよう。

そのお祝いの席でも、私の両親が孫を抱っこして、涙を流しそうなくらいに幸せそうな顔をしてるさなか、宗ちゃん(私の息子)が泣き始めた途端に義母鬼の形相で宗ちゃんを取り上げ、自分の懐で宗ちゃんをあやしつけるのでした。
その時の、私の父の哀しそうな、寂しそうな顔は忘れられません。

このお祝いの席には、エピローグもありまして、私は義実家にお邪魔しました。宗ちゃんを寝かしつけた後に、私の母から元妻へのプレゼントを開ける中、義母が放った言葉。

「ハイブランドの財布とキーケースなら嬉しいけどねー。これじゃあしょうがないねー。」

私の両親は、義母と同じ年齢ですが、頑張ってまだ働いています。父親は会社役員。母親は官公庁の非常勤職員。これも後日書きますが、私と元嫁の結婚直後に、給食センターのパートを急に辞め、私の扶養に入れてほしい、と相談してきた義母が、よくこんなことを言えるな。と思ったのでした。

続いてお中元持ち帰り事件。
結婚期間中を通して、私の実家から、義母にお中元や、お歳暮を送っていました。
義母からもお返しを送っていただいておりましたが、それは妻のお金によるものでした。正確には、私と妻の生活費口座から支出されたものでした。
息子が生まれる前は、私と元妻が義実家に帰った際に、お中元として私の両親が送ったものを食卓に並べてくれ、「わたし1人では食べきれないから」とニコニコ料理を振る舞う姿に、なんの違和感も感じませんでした。しかし、元妻が妊娠して、元妻は義実家で、私はアパートで暮らすようになってからは、私のアパートに手土産として持たされるようになり、少し違和感を感じ始めました。
息子が産まれてからは、あからさまで、お中元、お歳暮、はそのまま私が持たされるようになりました。「うち、これは食べないから」「こんなに食べきれないから」「宗ちゃん(私の息子)もまだたべられないから」と言って持たされ、
私が「一人暮らしのアパートでは食べられないので要りません」「その食べ物は苦手で食べられないので要りません」「もし不要であればご友人やご近所ににお裾分けしていただいて構いません」と言っても、私の帰り際に車の助手席を勝手に開けて、押し込めるのでした。

ある時は、義母が義兄に対して「お中元やお歳暮が面倒だ。何の意味もない。」という会話を繰り広げていました。私は、私の両親のことを言われている、とすぐに勘付きました。そして、私に対して言っていることにすぐに気づきましたが、ニコニコ息子と遊びながらやり過ごしていました。義兄は義母の相談に対して「なら、付き合いを切ればいいべ。めんどくさい奴は切る。付き合いたい奴だけ付き合う。当たり前なことだべ?」と、もっともらしいことを自信満々に話しておりましたが、結局これがこの義実家の、そして宗教法人の価値観でした。しかし義母は「そんな簡単じゃないのよー。切れるなら苦労しないわ」と、私の方を見ながら言うのでした。

私の両親は、とても仲が良いです。
休日には、2人で外食や旅行に行くことが多いです。そんな姿を妬ましく思っていたのでしょう。

結婚前に、両親が義実家に挨拶に出向いたときに、珍しいお酒をプレゼントしました。ですが、それはすぐに私と元妻が住むアパートに持ち帰らされました。「私、お酒飲まないから飲んで。」という理由でしたが、今思えばあの時もおかしいって気づければ良かった。普通なら、もっと別の人に横流しをすると思います。

息子が産まれてから、たびたび私の両親は孫のために服や、おもちゃを買ってくれました。
ほとんど会わせてあげられませんでしたが、いついつなら会いに来ていいよ、といった約束が出来た日にむけて、おもちゃや服を買いに行くのを楽しみにしていました。
しかしながら、その約束の前日や当日に、「息子の体調が悪いから会いに来ないで」「元嫁自身の体調が悪いから会いに来ないで」と、約束がキャンセルになったことは、1度や2度ではありません。5回以上はありました。その度に、、私が後日に私の実家にひとりで帰省した際に、プレゼントだけ受け取ってアパートに持ち帰るのでした。
ちなみに、「息子の体調が悪いから会いに来ないで」と言ったその日に、義兄の子供達が実家に来て、ワイワイ息子と遊ばせていたりしました。

私の両親が、孫のために買ってくれたおもちゃや服、私が義実家でほぼ監禁されている息子を想ってなんとか外に出してあげてほしい、思って両親にうまいこと言って買ってもらったベビーカー、などなど。ほぼ全て、私の一人暮らしのアパートにありました。持ち帰らされていました。
正確には、両親が会いに来る時だけアパートに元妻と息子が来て、あたかも一緒に暮らしてます、といった感じて遊ばせたあとに、プレゼントはアパートに残したまま、元妻は息子を連れて義実家に戻るのでした。

ちなみに余談ですが、義母は、自分の洋服をオフハウスで買っていました。要らないものも、オフハウスに売りに行っていました。オフハウスと、オフハウスユーザーに罪はありませんが、義母がお布施を重ねてお金がなかったのは事実なようです。

元嫁は、私との結婚生活中も、毎月5万円を義母に渡していたのでした。

※(このブログは、フィクションです。特定の個人や宗教を晒したり、批判、攻撃する意図は一切ございません。これまでも、これからも、フィクションとして書きますので、中年男性が書くフィクション娯楽小説として、フィクションを楽しんでもらえれば幸いです。重要なことなので、もう一度言います。フィクションです。ブログ説明文には実話と書いてますが、そこも含めてフィクションです。)



宗教一族の元妻と結婚して、同棲を始めるまで。

2025-03-07 21:35:00 | 日記
私は3歳になる息子と一緒にお風呂に入ったことが、10回もありません。

同じアパートで一緒に暮らせた期間も6ヶ月程度でした。

話は遡ります。私は元妻と結婚後、元妻の実家から車で10分ほどの隣市のアパートで元妻との2人生活を始めました。

元妻は、結婚当初から「親の面倒を見なければならない」ということを言っていました。ちなみに、結婚前は、「実家を出たい」とも言っていました。結局結婚してから数ヶ月の間は、お互いがお互いの「実家に暮らし続ける」生活を続けていました。

しかし、私も「これでは結婚している意味がないだろう」と思い、話し合いの末、妻の実家から車で10分の距離のアパートを契約しました。妻の通勤時間は車で30分。私の通勤時間は、車で1時間半の場所で、新婚生活がスタートしました。

最初の数日はアパートに私1人で生活をしていましたが、元嫁は仕事の休日を使って元妻が、義母と一緒に荷物を運び込まれたわけですが、そこで私は絶句しました。

カビ臭いコタツ布団。シミだらけの座布団。薄汚れたクッション。聞くと、元妻が大学生時代に使っていたもので、物置に保管されていたものを持たされたようでした。部屋中に充満するカビの臭いに、吐き気を催しました。

そして何より驚いたのは、某宗教を象徴する植物が、観葉植物としてアパートに置かれていたのです。それも、義母が置いて行ったとのことでした。その時すでに、私の中では不穏な空気を感じていたことは、事実です。

ですが、これから迎える新婚生活に胸を高鳴らしていた自分には、「些細なこと」と自分に言い聞かせて目をつぶっておりました。

しかし、結婚前におこなった、私の実家と妻の実家(と言っても義母と元妻だけですが)の顔合わせのお寿司屋さんでの言葉が、今でも忘れられません。一般的にそういう場では、和やかにお互いのことを探り探り話しながら、お互いの子供の良いところを褒めたり、昔話をするのが普通かと思います。義母は、その会食の場で、「いつでも返品してください。私はいつでもウェルカムです。」「嫌になったらいつでも帰ってきていいからね。」ということを平然と言ってしまう義母だったのでした。

当初から義母は、結婚に反対だったのでしょう。娘を盗られた。とでも思っていたのでしょう。そんな義母がした、私の実家に対する嫌がらせは、また次回。


※(このブログは、フィクションです。特定の個人や宗教を晒したり、批判、攻撃する意図は一切ございません。これまでも、これからも、フィクションとして書きますので、中年男性が書くフィクション娯楽小説として、フィクションを楽しんでもらえれば幸いです。重要なことなので、もう一度言います。フィクションです。ブログ説明文には実話と書いてますが、そこも含めてフィクションです。)

男性側から見た離婚。

2025-03-07 07:03:00 | 日記
今回は、「離婚」について、男性側からの目線で書いてみようと思います。

もちろん、一般的には男性側に明らかな非があるケースもあると思います。例えば、浮気。不倫。暴力。お金を使い込む。など。

しかしながら、こちらには明らかに非がないにもかかわらず、妻側のポリシーとして「父親ってそもそもいらないよね」という考えがあった場合に、圧倒的に離婚が妻側有利に進められてしまいます。いわゆる、

「旦那は要らない。でも子供は欲しい」

という人をイメージしていただけるとわかりやすいと思います。その考えに至るケースは様々だと思います。もちろん男性側が悪いケースもあるとは思います。ですが、いずれの理由にせよ、

「旦那は要らない。でも子供は欲しい」

という考えに至り、父親無しで子供を育てることに覚悟を持った母親に対して、日本の司法制度は激甘です。というのが今回の実感です。

余談ですが、付き合っている最中に元妻から、
「わたし、本当は男に産まれたかったんだよね」
という言葉をポロッと溢したことがありました。
理由を尋ねると、
・男の方が力が強いのが気に入らない。
・男にしかできないことがある。
・男の方が人生、有利であり生きやすい。
というのが主な理由でした。

今回の私の元妻の場合は
・結婚は世間体的に一度はしておきたい。
・義母のために、宗教のために、子供(できれば息子)は欲しい。
・男は要らない。男に産まれた人を妬んでいる。
・旦那の実家付き合いは嫌。親戚付き合いなどもっての外。
・生い立ちに由来する、父親不要論者。
・父親違いの義兄との子供が欲しいが、それは叶わない。
・母子家庭の母親って、カッコいい。

といったところでしょうか。

複雑な生い立ちから、母子家庭の母親であった義母をリスペクトする気持ちはわかります。
ですが、産まれて育つ過程で、様々な嫌な思いもしてきたのでしょう。元妻の場合は、

父親がいる、普通の一般的な家庭を持ちたい!

とはならずに、

母子家庭ってカッコいい!
父親ってそもそも要らないよね!

となってしまったタイプだったようです。

息子が産まれる半年前から、元妻は実家に帰りがちになりました。それは一般的によくあることだと思います。体調的な不安もあるでしょうし、普通のことだと思って、特に反対もしませんでした。むしろ妻の実家によろしくお願いします、とお金を入れて、お願いをしたくらいでした。

元妻は、

「旦那はいらない。子供は欲しい」

というポリシーが、結婚するだいぶ前から決まっていたタイプの人間でした。

出産前に実家へ帰省していた元妻の異変としては、

・元妻だけ、住民票を実家に移す。(必然的に、産まれてくる息子も実家の住民票となります。)
・「会いに来ないで」という回数が増える。
・連絡が極端に減る。
・邪険な扱いが始まる。

と、いったところでしょうか。
まず住民票に関してですが、実家の自治体(元妻の働く市)のほうが、子育ての手当てが手厚いやら、なんだかんだ理由をつけてのことでした。すぐに変えなくてもいいんじゃない?という意見を言おうとものなら、「妊娠中の私にストレスを掛けないで欲しい」と言われたり「住民票の場所でゴチャゴチャ言うなんて、小さい男だ。離婚する」と言われたりして渋々了承することになりました。私自身も子供が無事に産まれてくれるなら、それが1番だし、そのために元妻にストレスや不安をかけたくない、という気持ちもありました。

次に、妊娠帰省中の元妻から「会いにこないで」と言われていたことに関してです。もちろん、体調が優れない時には、会いたくない気持ちも分かります。風邪を持ち込まれたくない、というデリケートになる気持ちもわかります。妊娠中で、色々なホルモンバランスが崩れてイライラしやすくなったり、過度に心配性になったり、男性を寄せ付けなくなったり、といった話は周囲からも聞いてはいたので、それなのだろう、と安易に考えておりました。
ですが、元妻の場合は、これは息子が産まれたあとも同様でしたが、元妻から理由をつけられて「会いに来ないで」と言われ、私は我慢して会いに行かずにいると、義母には「勝手に出掛けていて、会いに来ない。」「遊びに出掛けてしまって、会いに来ない。」と伝えられていたようです。
時には、「義母の体調が悪いから会いに来ないで。」「義母が気を使うから会いに来ないで。」「実家に義母の友人が来る(今となれば、宗教関連の座談会でしたが)から会いに来ないで。」ということもありましたが、妊娠中から義母と元妻による私の排除は始まっていたようです。

話が逸れましたが、男側から見た離婚についてです。

離婚に当たっては、
・親権
・養育費
・面会交流
・婚姻費用
・財産分与
が主な争点となりますが、

全て女性有利です。
まず、親権に関しては、現状の養育現場が圧倒的に優先されます。よほどの育児放棄や、家庭内暴力、妻側の持病や精神疾患がなければ、現状の子育て環境が優先されてしまい、妻の義実家で息子を囲い込んでいた場合に親権を取るのは、無理なようです。

続いて養育費です。
数年前に法律が改正され、養育費の未払い、滞納に対する給与差し押さえが可能となりました。そして、離婚において、養育費が子供の権利であるということを盾に、裁判所は基本的に「支払いなさい」という判決を下します。相手側がどんなに酷いことをしてきていても、それとこれとは話が別。養育費は子供が健全に育つために必要なのだから、きっちり支払いなさい、と言った判決を下してきます。それに対抗するためには、徹底的に証拠を集めておくほかありません。その一方で、面会交流がなされないことを盾に、養育費を「支払いません」といったことは一切許されないそうです。その場合には、面会交流がなされないことに対する調停を起こす必要があります。

次に、面会交流です。
離婚後、まだ子供が幼い場合は子供は親の従属となります。母親が意図的に面会交流の日に「子供が体調不良で会えない」「子供が会いたくないと言っている」「面会交流の後は、子供の様子がおかしい」などと言われてしまえば、こちら側はなす術がありません。そのため、面会交流においては、
・まず、なるべく日々の日記をつけること。(当然、面会交流日も日記を書くこと)
・面会交流中の写真や、動画をたくさん撮っておくこと。
が、男にできる保身手段となります。

「旦那はいらない。子供は欲しい」

という人にとって、日本はこの上なく恵まれた司法環境にあるようです。
それと戦うためには、徹底的に証拠集めと日々の継続的な日記の記入が必要です。証拠と日記です。


※(このブログは、フィクションです。特定の個人や宗教を晒したり、批判、攻撃する意図は一切ございません。これまでも、これからも、フィクションとして書きますので、中年男性が書くフィクション娯楽小説として、フィクションを楽しんでもらえれば幸いです。重要なことなので、もう一度言います。フィクションです。ブログ説明文には実話と書いてますが、そこも含めてフィクションです。)





宗教一族の義実家の人々。

2025-03-07 02:30:00 | 日記
登場人物は主に4人。
元嫁
義母
義兄
そして最愛の息子です。

彼らは北関東で暮らしています。
国道近くのわりと賑わいのある地域です。

元妻は私より2歳年上。

義実家のある地元の市役所勤務

家庭環境が複雑で、父親が3名いる。(いた。) 

1人目の父親は、10歳離れた義兄が産まれる前に逝去。
2人目の父親は、義兄が産まれて間も無く逝去。
3人目の父親は、元妻が産まれて3年後に逝去。

父親3人とも同じ病気で亡くなった。
父親3人は、3人ともが親族に当たる血縁関係。
今思えば色々とやばい。

義兄は実家から遠く離れた県で、家庭を持って暮らしていたが、職場でとある事件を起こし、失職して実家に帰省。(その事件関連で、私に保証人になることを義母から元嫁を経由して依頼されたが、断ったことにより、私への嫌がらせがエスカレートした話はまた後ほど。)

義母の両親も、義母が中学校に上がる前に逝去しており、祖父母の家で育てられ、とても苦労したようだ。
話だけ聞くと、苦労し過ぎて、宗教にハマる典型的な生い立ち。元々は亡くなった父親たちが宗教をやっていて義母も入信したらしいが、どっちが先かは真偽不明。

元妻から、3人目の父親と住んでいた、というアパートを通りがかりに教えてもらったことがあるが、目を見張るような市営の古い平屋アパートだった。

3人目の父親が亡くなった保険金で、現在の小さな一軒家を購入したそうな。

3人の父親を亡くした後も、義母は1人で子供2人を育てたそうな。ただし、パート労働を働いては辞め、失業給付を受け取り、働いては辞め、失業給付を受け取り、を繰り返していた。義実家近くのミスドも、モスも、ケンタッキーも、TSUTAYAも、スーパーも、マクドもパート経験ありで、逆に働いたことないお店の方が少ない。父親たちの死亡保険金と母子家庭手当により、正社員として一度も働いたことはない。全てパート。

「貰えるものは、貰っとかなきゃねぇ〜」が義母の口癖。そのカルチャーは、元嫁、義兄にも確実に浸透しており、スマホ転売で利鞘を稼いだり、コンビニのクーポンアプリを不正に利用して無料配布品を大量に貰ってきたり、スマホ契約の際に私の実家の家族割を悪用するために私に代理で私の父親の名前を書かせたり(この話も後ほど詳しく。)とにかくガメツい。
一度、靴下のプレゼントを義兄に送ったことがあったが、お返しにどこかの株主優待の古いQUOカードを貰ったときには内心、失笑した。
家族を遠方の県に残したまま失業し、実家帰省中の義兄は、必要最低限の職業訓練と、形だけの面接を受けて、失業給付を最大期間で最大額貰うことに労力を費やしていた。公務員の元嫁は、そのあたりとても詳しい。日中フラフラ散歩に出掛け、ドンキホーテでスナック菓子を大量に買い込んできては1歳前後の息子に一袋食べさせる強者っぷり。それを注意しない元嫁も元嫁だが。GLAYが好きで、ややナルシスト気味。低身長。
娘が4人いる。
義母が放った言葉で、私の息子を見ながら「○○ちゃん(義兄)は、男の子、欲しかったんでしょ?良かったじゃない。」はマジでトラウマ。

元妻は、10歳歳上の義兄を父親代わりだった、と言って慕っていた。私が初めて義兄に会ったのは息子が産まれてからが初めて。結婚当初、義兄にご挨拶をしたい、と元嫁に言っても、元嫁から断られ続けていた。「お兄ちゃんはね、家族のためなら人殺しでもするんだよ」は元嫁の名言。


※(このブログは、フィクションです。特定の個人や宗教を晒したり、批判、攻撃する意図は一切ございません。これまでも、これからも、フィクションとして書きますので、中年男性が書くフィクション娯楽小説として、フィクションを楽しんでもらえれば幸いです。重要なことなので、もう一度言います。フィクションです。ブログ説明文には実話と書いてますが、そこも含めてフィクションです。)


宗教一族の元妻との出会い。

2025-03-07 01:15:00 | 日記
出会いは私の職場です。

元妻が、私の職場に顧客としてやってきました。
趣味が同じだったこともあり、意気投合。と、私はその時は思っていましたが、妻からするとそうではなかったようです。いい鴨が見つかった、とでも思ったのだと思います。

LINEのやりとりを繰り返す中で、一緒に食事に行くことが多くなりました。
私が仕事で元妻がお休みの日には、職場までお弁当を毎回作って持ってきてくれました。お弁当は、元妻が義母と一緒に作ったもの、と聞かされていました。味も美味しく、毎回違うおかずを入れてくれて、とても手の込んだお弁当でした。
職場にもお菓子の差し入れをしてくれたり、とても気が利く人だな、という印象でした。

私自身、そろそろ彼女でも作ろうかな、と思っていた矢先の出会だったので、不覚にも運命のようなものを感じたりしていました。

社会人サークルのテニスサークルに入ったり、登山サークルに入ったり、書道教室に入ったり、料理教室に入ったり、パーソナルジムに通ったりと、とても行動的で、アクティブで、好印象を持っていました。

が、結局は、全て宗教関連のサークルや、習い事でした。

習い事がやたらめったらに多い、という人には注意してもいいかもしれません。
結婚後にわかったことですが、通っている美容室までもが宗教関連のつながりで通い始めた美容院でした。

今思えば、そんなにアクティブなのに、なぜか友人はゼロ。本当にゼロ。元妻の友人に一度も会ったことがありません。結婚式も断固として挙げませんでした。結婚写真すら撮ってません。余談ですが、結婚の祝い金を私の両親から貰った直後、元妻は理由をこじつけて、歯列矯正を始めました。

閑話休題。しかしながら、私自身も友人はそんなに多い方ではありませんので、まあこんなものかな、くらいに思っていました。結局、離婚までの間で妻に会わせてもらえたのは、職場の人2名のみでした。
私が私の友人に元妻を会わせたい、と言っても、全く会おうとはしませんでした。息子が産まれてからも、私が友人に息子を会わせたい、と言っても、全く叶いませんでした。

友人が、極度に少ない人も、注意したほうがいいと思います。


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