しげぼうのひとりごと

徒然なるままに日々の出来事を綴っていきます

原発再稼働について

2011-06-30 | 日記
九州電力玄海原子力発電所の再稼働問題で、海江田経済産業相と佐賀県知事古川康氏との話し合が 昨日もたれた、安全、安定の為に全ての責任は国が負うので再稼働に対し了解して欲しい旨を申し入 れがあり、その結果古川知事は「原発の安全性の問題はクリアされた」と述べ、再稼働を容認する 意向を示した。 国が責任を持つと言うこととはどう言う事なのか、財産を失い健康を損なわれ、さらに住み慣れた郷土を 追われ、いつ帰れ . . . 本文を読む

雨にぬれたあじさい

2011-06-27 | 日記
朝の公園でジョギングと鉄棒をはじめてから1ヶ月半、今では朝の運動をする事が習慣づいて 来たようで、余り苦にならなくなった。 今朝は公園の片隅で静かにさくガクあじさいの花をみつけた、いつも目にはいっていたんだろうと 思うが、今朝のあじさいは小雨にぬれていて自分を主張していたように見えた、やはりあじさいは 雨にぬれたあじさいがいい、  私のホームページ アートショップダダにもあじさいが咲いています是 . . . 本文を読む

一羽のこすずめ

2011-06-25 | 日記
今朝 公園でジョギングをしていたときのこと、すずめが一羽地面で鳴いていた。 そばへ近寄っても飛び立つけはいなく、巣から落ちたのか それとも巣立ちに失敗したのか。 子供の頃、子雀を育てた事があった、どんなエサを与えても、人間の厄介にはならないとでも 言うように絶対受け付けない。 ひばりも育てた事があったが、すずめより利口で生きるすべを知っていた。 何でもどん欲に食べ大きく育った こんな経験から今 . . . 本文を読む

平和の礎その2

2011-06-24 | 日記
この沖縄戦から約2ヶ月後私の住む町が米軍の空襲で焼かれた、 当時私は小学校4年生、1945年8月14日午後11時頃、突然父親に叩き起こされた「逃げるんだ」 ただならぬ気配、町の北を目指して妹は父に背負われ、私は母にてをひかれとにかく北に向かって逃げた、 田んぼや畑を突っ切り逃げた、そして桑畑の中に身を潜めて空襲が治まるのを待った、 その中夜明けあたりが明るくなった、気がつくと、あっちからもこっちか . . . 本文を読む

平和の礎

2011-06-23 | 日記
太平洋戦争末期、沖縄において民間人を巻き込んだ悲惨な地上戦が行われた、 そして1945年6月23日に日本軍は沖縄における組織的戦いを放棄した。 この戦いで民間人を含む約20万人以上の方々が戦死されその数は現在に至るも増えている 「平和の礎」に戦死者の名を刻み、亡くなられた方々を慰霊するとともに二度と戦争は おこしてはならないと誓いあう、 そして毎年6月23日はやってくる、戦争の悲惨さは誰もが知って . . . 本文を読む