アット言う間に3ヶ月が経ちました。
光陰矢の如くは歳を重ねればより一層感じます。
未曾有の大震災が起きてはや2週間経ちました。
此方は原発の放射能漏れの防止の作業が大変厳しい様です。
どうか被爆しないでと祈るだけです。
時間の経過と共に、東電の地震対策の甘さに腹立たしく感じています。
小説よりも・・・・・・奇なり。
東日本大震災の大津波にのまれ、仙台市宮城野区の古タイヤ再生会社
の契約社員、加藤豪(ごう)さん(37)は13時間半、電柱にしがみ
ついて、生きながらえた。
今、「テレビを見たくない」と言う。
地獄のような光景がよみがえってくる。
余震に跳び起き、フラッシュバックにおびえる夜。
職も失った。
だが「生き残ったからこそ踏ん張らなければ」と自身に言い聞かせる。
11日、仙台市若林区の海岸沿いの県道をワゴン車で走行中、左右に
激しくハンドルをとられた。
電線が波打ち、バチン、バチンと切れる。
「こいづは来る」。
津波を予期し、そのまま仙台新港のフェリーターミナルに近い事務所まで
突っ走った。
国道のバイパスに抜ける道は渋滞してしまうと考えたからだ。
事務所の外にいたのは先輩の男性社員(40)だけ。
「加藤君、津波だ!」。
叫び声と同時に地鳴りのようなごう音が背後に聞こえた。
真っ黒い濁流にのまれた瞬間、10メートル程先の電柱に先輩が
よじ登るのが見えた。
押し流されながら、それに必死でしがみついた。
高さ約7メートルの一番上に先輩。
そのすぐ下まで登ったが、濁流は足元まで迫っていた。
周囲の電柱はすべて倒れた。
しがみついた電柱は、もう1本が斜めに支える2本組みだったことが
幸いしたようだ。
家屋や大型トラックが流れてくるたびに「ぶつからないでくれ」と祈った。
暗闇の夜。ズーンという爆発音と衝撃が伝わってきた。
石油コンビナートの方角に火炎が上がり、足元がうっすら照らされる。
引き波で海に運ばれていく人の姿が目に入り、思わず目を背けた。
現実とは信じられなかった。
寒くて眠気に襲われたが、静寂の中に「寝んなよー」という声が
響いた。
手の感覚は失われていたが、「誰かが見てくれている」と気持ちを奮い
立たせた。
夜明け前、ようやくひざ上まで水が引き、先輩と2人で何とか生き延びた。
【途中割愛】
あの日、夜明け前の薄明かりを頼りに100メートルほど離れた立体駐
車場にたどり着き、車の中で暖をとらせてもらった。
十数キロ先の自宅まで泥だらけで歩く途中でたばこをくれた人もいる。
温かさが身にしみた。
「生きてりゃまた、いいことあるよね」
作業着の胸ポケットに入れていたオイルライターを乾かしている。
ともに生き延びたライターで一服つけたい。
大震災の悪夢も失業の苦難もきっと乗り越えてみせる。
【先日のヤフーのニュースから抜粋】
生きていれば、必ず良い事が有ります。多くの人たちが応援しています。
頑張って下さい。