山鹿市瘡塩井神社・日向のクニ探訪
2019/6/19(水) 晴
曇り天気予報に期待し、30°超えの真夏日にポタリングに出る。
目的地は、鵜葺草葺不合尊(ウガヤフキアエズミコト)の陵と言われる吾平山陵(過去記事をご参照ください)の西側の谷間にある「日向(ひむき)」集落とする。
鵜葺草葺不合尊の子神武天皇が大和に向けて出発した国が日向。それがこの地という伝承があるので探訪することにした。
神武天皇は、日向国(宮崎県)を出発して・・・というのが定説ではあるが、当時のクニは広くても今の町村ほどの地域と思うので、こちらの伝承もそれなりの信憑性がありはしないかと思い訪ねる。
県道9を上内田に向かって走り、鹿北町岳間方向へ県道18を左折する。
山内川に沿って北上すると、右手に瘡塩井神社(写真2参照)がある。
塩井というので、神社裏手に廻ると岩清水が湧いている(写真3参照)
益城町の潮井水源と同じ音である。飲んではみなかったが、その昔はナトリューム性の硬水が湧いていたのだろうと推測する。
だとすると塩分の摂取が容易になり古代の人々には有難い水源であったろうと推測する。そこに日向のクニ?という推論も成り立つように思う。
説明板(写真4参照)は、鎌倉時代まで遡る話を語る。
疱瘡という病気が数十年前までは恐ろしい病気であったことを伝える話である。
更に山内川を遡り、谷間が少し盆地状になった所に日向集落がある。
伝承につながるような景色に巡り合えず、帰途に就こうと日向まで来た証拠に写真(写真5参照)を撮る。
少し引き返した所に、左手に地元の人が天岩戸という岩陰遺跡(写真6参照)があった。
なぜか人魚の銅像。大阪に本部がある新興宗教団体が建立したという。
説明板(写真7参照)では、昭和50年に作家松本清張が訪れ、日向の地を卑弥呼の出生地ではなかろうかと記す。
同年、熊本県文化課が発掘調査を行い、縄文、弥生、古墳の各時代の土器、骨角器、貝の腕輪、石器類等が出土、縄文後期の女性の埋葬された人骨も出土したとある。
ここまで食事なしで走って来たので、相良に出来たワイナリーで食事をして帰途に就く。
今日も無事だったことを天に感謝する。
熊本(自宅)35km→日向38km→熊本(自宅)
所要時間7時間(実6時間) 総計73km 走行累計28,984km
自転車で探訪した史跡・文化財等の記録です。一部山行の記録もあります。
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